
他人をも巻き込む自殺を、拡大自殺と言うんだそうだが、最近このような事件がいくつか合ったような気がする。
犯罪を憎むことは簡単だが、それだけで終わってよいかという疑問が払拭できない。
それは、この日本がなんとなく不公平感を感じるからだ。
ごくわかりやすく言えば、誰でも5〜10年ぐらいまじめに働いたら、家一軒が手に入るというようなくにだったらなあと思うからだ。
「まじめにやれば」という実感を国民が持つようになれば、社会の空気も、ずるいことを考える人は少なくなると思うからだ。
子どもの頃は、将来を夢見て、意気揚々と生活していたものが、次第に夢がしぼむという社会は生きにくい。
もちろん、プロ野球の選手にあこがれていたが、身体能力がそのレベルにないから断念するというようなことを指して夢がしぼむと言っているのではない。
何が問題かというと、税金を取り立てるのはいいが、その税金が国民に有効に還元されているかということだ。
残念ながら、とれるだけ取って、取った以上自分たちで上手く使ってしまえとの印象が国民の間には強くなってしまったと思う。
そして、しばしば国益という言葉でごまかされるようでもある。
まじめな人は、国益というと、それは国民のためと考えると思う。
ところが、それは国体を維持するためと説明され、国体の維持とは何かと追求していくと、最終的にはお役人のためという結論に達してしまう。
戦後、ずいぶんアメリカの影響を受けてきたのだが、日本はアメリカの個人主義を受け入れず利己主義の増殖に努めてきたようだ。
利己主義の世界では、負け犬は死ねである。
それなら、一人死ぬのはしゃくだから、他人をも巻き込む拡大自殺をしようかという考えに至るのかも知れない。
今回の放火事件の容疑者は、家賃の滞納もなく、仕事もまじめだったという。
そういう彼が、人生の何に失望したのかを知ることは大切だと思う。
人はパンのみに生きるものではないの言葉を思い出した。

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