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教育に情熱を
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2014年10月22日
2014年09月18日
利己主義とコンプレックス
2014年09月12日
2014年09月10日
しゃべりすぎ
昨日は話し方について講習を受けた。
そこで、自分の話し方の欠点を大いに感じた。
それは「しゃべりすぎ」ということだ。
すべて自分が説明してしまうというのがまずい。
例えば、資料を目の前にして
「赤道の一周は約4万Kmですね」
と言ってしまう。
資料に書いてあるのに、こう言ってしまうのがまずいのだ。
「赤道の一周はどれだけですか?」
すると、相手は資料を見る。
そして、相手が「約4万Kmです」と答える。
この方がいいのだ。
つまり「数字は相手に言わせる」ことがポイント。
そして、相手と自分との間で、言葉のキャッチボールのあることが大切。
一方的に、やつぎばやに話してしまうのがまずい。
特に、大切なことは相手に言わせることが大切。
こういうことで、大切なことが印象強くなる。
こんなことは、ベテラン教師にとっては当たり前のことかも知れない。
しかし、人によっては相手が反応する隙がないほど、話が連続する人がいる。
授業はポイントが印象深くなることが大切。
だから、起承転結を用いたり、感動を呼ぶ演出を考えたりする。
そう言えば、かつてこの起承転結や感動を否定した人がいた。
しかも、その人は教員養成に携わっているという。
その人曰く、感動のある授業はよくない。授業は平坦に淡々と進めるのがよいと言った。
とすると、その人は感動のない授業をするように、教員を養成しているのだろう。
テレビをみていると、よく「どれぐらいだと思いますか?」と問いかけ、聞いている人たちに予想を言わせるという場面がある。
「それでは」と言って隠してある紙をめくると、予想外の数字に一同が驚いたりする。
ここに感動があるわけだ。
正解を隠しておかなくても、教師が答えてしまうのではなく、児童・生徒に教科書の記述を確認させ、言わせることで印象も強くなる。感動を呼ぶこともある。
教科書を読んで済ませることができるような教科は要注意だ。
大学の経済史の授業で、先生がはじめに「昔、日本とアメリカが戦争した時にですね・・・」と始めたら
「エッ、先生、それでどっちが飼ったんですか?」と聞いた学生がいたそうだ。
先生は力が抜けたそうだ。
小学校から高校まで社会科の勉強はしてきたはずだが、こういう大学生がいたことは事実。
戦争のことは習ったはずだが、記憶にないということだ。
人は関心のないこと、感動のないことは記憶に残りにくいと思う。
音大生で、ショスタコービチを知らない学生がいたというのも、話題になっていたが、音大でショスタコービチがどこかで出てこないということは考えにくい。
問題は、そのレベルの音大生がどれほどの音楽ができるのか、疑問である。
特にクラシックフアンでなかったら、知らないという人はいるだろう。
やや、話が脱線した感がある。
とにかく、しゃべりすぎないことを、念頭におこう。
教育に情熱を



そこで、自分の話し方の欠点を大いに感じた。
それは「しゃべりすぎ」ということだ。
すべて自分が説明してしまうというのがまずい。
例えば、資料を目の前にして
「赤道の一周は約4万Kmですね」
と言ってしまう。
資料に書いてあるのに、こう言ってしまうのがまずいのだ。
「赤道の一周はどれだけですか?」
すると、相手は資料を見る。
そして、相手が「約4万Kmです」と答える。
この方がいいのだ。
つまり「数字は相手に言わせる」ことがポイント。
そして、相手と自分との間で、言葉のキャッチボールのあることが大切。
一方的に、やつぎばやに話してしまうのがまずい。
特に、大切なことは相手に言わせることが大切。
こういうことで、大切なことが印象強くなる。
こんなことは、ベテラン教師にとっては当たり前のことかも知れない。
しかし、人によっては相手が反応する隙がないほど、話が連続する人がいる。
授業はポイントが印象深くなることが大切。
だから、起承転結を用いたり、感動を呼ぶ演出を考えたりする。
そう言えば、かつてこの起承転結や感動を否定した人がいた。
しかも、その人は教員養成に携わっているという。
その人曰く、感動のある授業はよくない。授業は平坦に淡々と進めるのがよいと言った。
とすると、その人は感動のない授業をするように、教員を養成しているのだろう。
テレビをみていると、よく「どれぐらいだと思いますか?」と問いかけ、聞いている人たちに予想を言わせるという場面がある。
「それでは」と言って隠してある紙をめくると、予想外の数字に一同が驚いたりする。
ここに感動があるわけだ。
正解を隠しておかなくても、教師が答えてしまうのではなく、児童・生徒に教科書の記述を確認させ、言わせることで印象も強くなる。感動を呼ぶこともある。
教科書を読んで済ませることができるような教科は要注意だ。
大学の経済史の授業で、先生がはじめに「昔、日本とアメリカが戦争した時にですね・・・」と始めたら
「エッ、先生、それでどっちが飼ったんですか?」と聞いた学生がいたそうだ。
先生は力が抜けたそうだ。
小学校から高校まで社会科の勉強はしてきたはずだが、こういう大学生がいたことは事実。
戦争のことは習ったはずだが、記憶にないということだ。
人は関心のないこと、感動のないことは記憶に残りにくいと思う。
音大生で、ショスタコービチを知らない学生がいたというのも、話題になっていたが、音大でショスタコービチがどこかで出てこないということは考えにくい。
問題は、そのレベルの音大生がどれほどの音楽ができるのか、疑問である。
特にクラシックフアンでなかったら、知らないという人はいるだろう。
やや、話が脱線した感がある。
とにかく、しゃべりすぎないことを、念頭におこう。
教育に情熱を

2014年09月08日
教師の力量とは
最近、私は10年以上ぶりにゴルフを再開した。
今のところへ引っ越ししてくる前に、もうゴルフをすることはないと思っていたから、セットはすべて置いてきてしまった。
ところが、コンペに熱心に誘われたので再開することにした。
参加してみると、すばらしく上手な女性がいたので話を聞いてみると、彼女はコーチについていたと言う。
そして、7番アイアンを徹底的に練習させられたと話した。
どのクラブから始めるかということについては、プロコーチによっても意見の別れるところであるが、彼女のコーチはそうだったという話である。
■指導のメリハリ
優れた教師に共通するのは指導のメリハリだと思う。
なぜメリハリがあるかというと、自分の指導に自信があるからだと思う。
つまり、自分のやり方でやれば、必ず上達するという自信である。
これは、言葉を変えれば、自分のやり方に従ってくれたら、必ず上達させるという上達請負人なのだ。
■分析力
プロのコーチに必要なのは分析力である。
ゴルフの場合なら、クラブの握り方からスイングまでを見て、良い悪いが瞬時にチェックできて、具体的に指摘できることである。
必要なら、なぜそうしなければならないか説明できることも必要。
かつ、お手本を示せることも必要。
そして、コーチの指示を守ったことで、上達が実感できることが大切である。
こうして、コーチの説得力は増し、信頼感も増す。
■褒めるということ
「褒める」の意味は二通りある。
一つは「たたえる」という意味である。
例えば、このほどテニスの錦織選手が決勝に進んだことを、国民がたたえるという意味である。
二つ目は「高く評価する」という意味である。
コーチが指導中に褒めるのは、高く評価するということで意味がある。
初心者は、練習中に、どういう状態が良いのかを客観的に知ることが難しい。
そこで、客観的に分析できるコーチが必要なのだが、コーチは「上達請負人」なので、上達を請け負う以上は生徒が言ったとおりにやってくれなければ困る。
それで、良い状態の時は「良い」とはっきり生徒に伝えることが大切である。
初心者である生徒は、どの状態の時良いと言ってもらえるかわからないが、何回も繰り返すとき、どういう時に良いと言ってもらえるかが次第にわかってくる。
特に、良いと言ってもらえることを期待して行った時、予想通り良いと言われたら自信がつくことになる。
つまり、良い悪いがはっきり言えることは、名前だけのコーチかプロコーチかの違いとも言える。
良い状態の時「そうだ、今のがとてもよかった」などと褒めることで、生徒は良い状態の印象を強くする。
これが指導における褒めるの効果であり、これを「たたえる」との区別ができていない人がいる。
憂うべきは教師の中にも、褒めるの二通りの区別ができていない人がいることである。
「たたえる」という褒めるは誰にもできることである。
しかし、指導における高い評価である褒めるは、プロコーチでなければできないことである。
だから、教師の力量とは褒めることができるかどうかであるとも言える。
褒めることができるコーチとは、自らも実践者であり苦労した人、お手本が示せる人である。
私は一応、ゴルフを何年か経験しているが、我流であり、人のスイングを見ても分析はできない。
だから、ゴルフのコーチはできない。
教育に情熱を



今のところへ引っ越ししてくる前に、もうゴルフをすることはないと思っていたから、セットはすべて置いてきてしまった。
ところが、コンペに熱心に誘われたので再開することにした。
参加してみると、すばらしく上手な女性がいたので話を聞いてみると、彼女はコーチについていたと言う。
そして、7番アイアンを徹底的に練習させられたと話した。
どのクラブから始めるかということについては、プロコーチによっても意見の別れるところであるが、彼女のコーチはそうだったという話である。
■指導のメリハリ
優れた教師に共通するのは指導のメリハリだと思う。
なぜメリハリがあるかというと、自分の指導に自信があるからだと思う。
つまり、自分のやり方でやれば、必ず上達するという自信である。
これは、言葉を変えれば、自分のやり方に従ってくれたら、必ず上達させるという上達請負人なのだ。
■分析力
プロのコーチに必要なのは分析力である。
ゴルフの場合なら、クラブの握り方からスイングまでを見て、良い悪いが瞬時にチェックできて、具体的に指摘できることである。
必要なら、なぜそうしなければならないか説明できることも必要。
かつ、お手本を示せることも必要。
そして、コーチの指示を守ったことで、上達が実感できることが大切である。
こうして、コーチの説得力は増し、信頼感も増す。
■褒めるということ
「褒める」の意味は二通りある。
一つは「たたえる」という意味である。
例えば、このほどテニスの錦織選手が決勝に進んだことを、国民がたたえるという意味である。
二つ目は「高く評価する」という意味である。
コーチが指導中に褒めるのは、高く評価するということで意味がある。
初心者は、練習中に、どういう状態が良いのかを客観的に知ることが難しい。
そこで、客観的に分析できるコーチが必要なのだが、コーチは「上達請負人」なので、上達を請け負う以上は生徒が言ったとおりにやってくれなければ困る。
それで、良い状態の時は「良い」とはっきり生徒に伝えることが大切である。
初心者である生徒は、どの状態の時良いと言ってもらえるかわからないが、何回も繰り返すとき、どういう時に良いと言ってもらえるかが次第にわかってくる。
特に、良いと言ってもらえることを期待して行った時、予想通り良いと言われたら自信がつくことになる。
つまり、良い悪いがはっきり言えることは、名前だけのコーチかプロコーチかの違いとも言える。
良い状態の時「そうだ、今のがとてもよかった」などと褒めることで、生徒は良い状態の印象を強くする。
これが指導における褒めるの効果であり、これを「たたえる」との区別ができていない人がいる。
憂うべきは教師の中にも、褒めるの二通りの区別ができていない人がいることである。
「たたえる」という褒めるは誰にもできることである。
しかし、指導における高い評価である褒めるは、プロコーチでなければできないことである。
だから、教師の力量とは褒めることができるかどうかであるとも言える。
褒めることができるコーチとは、自らも実践者であり苦労した人、お手本が示せる人である。
私は一応、ゴルフを何年か経験しているが、我流であり、人のスイングを見ても分析はできない。
だから、ゴルフのコーチはできない。
[注]
「ほめる」は「褒める」で「誉める」は常用漢字にはない。学校も「褒める」で教えることになっている。
従って、本記事では「褒める」を使用した。
教育に情熱を




