2011年07月31日

オレが死んだ後のことはどうでもよいという考え

私がある団体のメンバーであったとき、運営に関して、トップリーダーの家でしばしば会合を持った。

真剣な討議が繰り返されるうち、トップに対して「あなたが亡くなっ後はどうするんですか?」という後継者問題の話になった。

そうしたら「あ、オレが死んだ後のこと?、オレが死んだ後のことなんかどうでもいい」とトップが言った。

これで、会議はしらけてしまった。

この会議は運営に関わる幹部だけの話し合いである。
ここで決まったことは、100人を超えるメンバーが従っていくことになるわけだ。

そうすると、この団体のほとんどのメンバーはごく一部のトップだけのために奉仕し、トップ亡き後は野となれ山となれということなのだ。

人は現状が満足でなくても、未来を感じていたらやる気を出して仕事をすることができる。
だから、リーダーはメンバーに対して、ことあるごとに努力はやがて報われるということを話さなければならない。

しかし、トップがいなくなったらおまえたちはどうでもよいなんて言ったら、誰もついてこなくなるだろう。
だから、そんなことは言えない。
本当のことは言えないから、ウソを言うことになる。

私はこの時のことを思い出して、今、日本が原発に関しておかれている立場が、これと同じではないかと思うのである。

オレが死んだ後のことはどうでもよい

本音がこうだったら、どうだろう。

原発に関する専門家と言われる学者、経済学者、ジャーナリストで、なんとか原発を推進しようと語る人たちって、みな年が多くないか?

60才も過ぎていたら、原発の最も恐ろしい結果が出るのは20年、30年、・・・というずっと先の話なので、結果が出る頃にはこの人たちは責任をとらなくてもよくなっいる。

今、原発推進の各所から多額の金をもらって、経済的に裕福な生活をする方が、自分の生涯を考えたら得だという考えも成り立つ。
どっちみち、結論が出るのは数十年先だから。

いや、子や孫の代はどうなんだという考えも浮かぶだろう。
だが、オレが死んだ後のことはどうでもよいと考えるような人なら、子や孫のことも考えないかも知れない。

もし、考える人がいたとしたら、自分の子や孫だけは安全な場所に移すということを考えるかも知れない。

いずれにしても、根本、本音にオレが死んだ後のことはどうでもよいという考えがあったら、どんなに討論を重ねても徒労に終わるだろう。

オレの人生ももう長くない、だったら、今、たんまり金をもらって生きているうち裕福に暮らそう。
このように考えていたら、少ししゃべるだけ、少し記事を書くだけで500万円入ってくるということは美味しいということになるだろう。

私も人間だから、損得は考える。
ずるいことも考える。
しかし、いかんせん、私を育ててくれた伯母のように、小さな子どもの顔を見るとどうしても裏切れなかったというのが本音だった。

だから、しばしば「お前は流れに沿っとらん」と忠告を受けたことがある。
「流れ」とは何だ、それは学閥というやつだ。

人間て、変なものを作る。



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2011年07月30日

福島原発の危険性



この方も、東京大学の先生(教授)ですが、実に論旨が明快でよくわかります。
まさしく学者という感じがします。

さすが東大の教授。
日本のトップレベルの大学はこうあってほしいです。

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2011年07月30日

2011年07月26日

原発の放射能と安全性



これは「朝まで生テレビ」の一部である。
ここに登場する、主な発言者の発言要旨を以下にまとめてみる。

katsuma_kazuyo.jpg勝間和代

・放射能物質が実際よりかなり怖いと思われていることに問題がある。

・チェルノブイリの事故では、確かに小児の甲状腺ガンは10倍ぐらいになったが、それ以外に病気が増えたというデータはない。

・今回の原子力の問題で死者が出ましたか?津波の死者の多さと比べると報道のバランスが悪い。

・自然界には、放射能がもともとあるんですよ。それすら(人々は)知らない。みんなで怖がっているとすぐに直せないと思うんですよ。

・原発擁護かというと、そうではなく、データに基づいて事実を言っているだけなんですよ。

勝間 和代(かつま かずよ、1968年12月14日 - )は日本の著述家、評論家。学位はファイナンス修士(専門職)(早稲田大学)。株式会社監査と分析代表取締役、中央大学大学院戦略経営研究科客員教授。
フリー百科事典「ウィキペディア」より

ikeda_nobuo.jpg池田信夫

・(原発の)のリスクがゼロかというと、そうではない。ゼロにするためにはいくらでもコストをかけていいかというと、そういうことを言うと原子力発電は火力発電は(経済的に)競争できなくなる。経済性とのトレードオフになっちゃうんですよ。

・ゼロにできないなら作るなと言うなら、飛行機も自動車も全部やめるかというと、そうはいかないんですよ。

・原子炉は今回、壊れていないんですよ。壊れていなかったということは非常に大きい。壊れていたらチェルノブイリみたいになっていたんだから。

・バックアップの電源がおかしかったのは、それほど致命的なことではなかったんですよ。

池田 信夫(いけだ のぶお、1953年 - )は、日本のアルファブロガー、経済学者、経済評論家、上武大学特任教授、SBI大学院大学客員教授、株式会社アゴラブックス代表取締役社長。元日本放送協会(NHK)職員。
フリー百科事典「ウィキペディア」より

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【感想】

テレビにコメンテーターとして呼ばれたり、経歴をみて、なかなかのものという先入観を持って発言を聞くと、こういう偉い人が言っているんだから、正しいことなんだろうと思う人もいるかも知れない。
しかし、私はいつからかそういう見方はしないことにした。

それは、いくら若いとき神童と呼ばれたような人も、年をとったらどうなるかわからないからだ。
その意味では、プロ野球を例に出して説明している。

いくら、元大リーガー速球投手、年間30勝の経歴を持っていたとか、打率3割、ホ−ムラン40本と言ったって、それは過去のことであり、現在、どれほど力があるかわからない。

まあ、そういう人をたたえて、野球の殿堂入りにするとかいう話ならいいけれど、過去の成績がよかったからと言って、現役として通用するかどうかわからない。

現役で通用しないなら、それは戦力外だ。

そういう意味では、今回の勝間和代・氏、池田信夫・氏の両氏は戦力外だ。

二人ともそうそうたる経歴の持ち主だし、現役で活躍中だと思ったから期待したが、思考力はとても知識人と言えるものではない。
二人は戦力外で早々に隠居してほしい。

断っておくが、二人が原発推進で私が原発推進者が嫌いだからというお粗末な考えからではない。
私は論理が通ることなら、それを言う人が、子どもだろうが何だろうが受け入れる姿勢でいる。

しかし、二人の意見は、ごく初歩的な論理が破綻している。
中身は中学生にも、いや、小学生にも笑われるようなことを言っている。

[勝間和代]
放射能物質が実際よりかなり怖いと思われていることに問題がある。
と言っているが、実際よりかなり怖くないんですか?と問い返したい。

常識人なら、広島、長崎の原爆を思い出し、1945年に投下された原爆の放射能で今も苦しんでいる人がいるという怖さを感じていると思う。
それとも、今回の放射能の飛散がそれほどでもないと言うのか?

原発よりかなり離れた地域である飯舘村の人たちが、村を捨てなければならないということを当初想像しただろうか?

今回の放射能汚染が大したことはないということが、客観的に本当に言えるのか?

チェルノブイリの影響で、小児ガンが10倍になったということは大したことではないのか?
(誠に非常識)

今回の原子力事故での直接的な死者は、確かにいなかったらしい。
それにくらべ津波の死者は万のレベルだ。
だから、死者のいなかった原発事故の報道が大げさだと言いたいわけですか?

私はこの発言が信じられませんよ。とても知識人だとは思えません。
ものごとには、即影響のあることと、時間ととともに影響のあることがあります。

例えば、草木を植えるときには、即効性肥料と遅効性肥料を施します。

即効性と遅効性の両面で考えなければ、論理的ではないでしょう。
経歴を考えるととてもお粗末、アンバランスを感じてしまいます。

放射能事故は、言うまでもなく、何十年にもわたって被害が及ぶ怖さでしょう。

自然界にはもともと放射能があるなんて、普通の人たちなら知っていますよ。
それとも、それで放射能は怖くないと言いたいんでしょうか?
量の問題でしょう?
それに、プルトニウムは自然界に存在しませんよ。

誠にお粗末ですね。


[池田信夫}
申し訳ないですが、東京大学出身はご立派で尊敬しますが、現役で学者とか教授は戦力外と思います。
おっしゃることがお粗末すぎます。

確かに交通事故はゼロにできないでしょう。
しかし、同じ事故という名目で、原発の事故と同じにしてはいけません。
でも、それを同じにしているということは、違いがわからないからなんでしょうね。

原発の恐ろしさは、爆発事故そのものにもありますが、なんと言っても放射能ですよ。
放射能の恐ろしさは被爆国の日本人は、一番知らなければならないことだと思うんですよ。

見えない恐怖。
何十年にもわたって被害を及ぼす恐怖。

電気エネルギーを生み出すのに、原発に頼らざるを得ないというなら、また考え方もあるでしょうが、今は原発に代わるエネルギーが存在しないのかという議論が先じゃないですか?

飛行機も自動車も事故を起こします。
でも、その事故が原因で多くの人に何十年にもわたって被害を及ぼすということはありません。

最悪でも、事故の当事者のみの被害です。
だから、飛行機の航路は人家の上空は飛ばないなどの規制をしているんです。

もう一つ唖然とするのは、原発の安全に金をかけると、火力発電にコストで負けてしまうという考えです。
火力発電に負けてしまうなら、火力発電にすればいいじゃないですか?

コストで負けるから、安全性を犠牲にして原発を進めたいというのは、どういう理由からなんですか?

それに、原子炉は壊れていないとおっしゃるが、その根拠は?

確か、原子炉の状態を知っている人は誰もいないと思うのですが、どうしてわかったんですか?

どうも、はじめに原発ありきで話を進めているとしか考えられないような気がします。

あるジャーナリストは原発推進の立場で記事を書いて欲しいと言われ、原稿料が500万円と言われたそうです。
その話を聞くと、500万円で原発推進の立場になったとも考えてしまいます。

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2011年07月24日

1億分の1はゼロではない

kakusareru_genshiryoku.jpg

鶴は千年亀は万年という言葉があるが、これを宣伝文句として亀を売っている業者がいて、それを真に受けて亀を買った人がいる。

ところが、数日経ったところで、その亀が死んでしまったので、買った人は業者に文句を言った。

それに対して、業者「その亀はちょうど1万年生きたところですね」と言ったという落語のような話があった。

学者殿は、原子炉の事故は確率が1億分の1と言ったが、今回の事故はちょうどその「1」にあたったと言うのだろうか?

確かに、そういう理屈が成り立たないわけではない。
そもそも確率というのは、100分の1と言ったって、1度あったからそれ以後99回はないというものではない。
2回、3回と続くかも知れない。

だから、こあいう話に確率を持ってきても意味がないのだ。
いくら事故の確率が小さいと言っても、小さいからいいということではない。
事故があるかないかということが問題であり、ゼロでない限り事故はあるのだ。
そういう意味では1億分の1とゼロの間には、大きな隔たりがある。

だから、大橋弘忠氏が、人類に壊滅的な衝突を与える隕石の確率が1億分の1ということを原発事故の説明に用いたことには根本的な誤りがある。
それは、事故の可能性が極めて低いという説明では、事故の心配はないという説得にはならないからだ。

それより、事故の確率はゼロにできるということが説得力を持つのであり、それは原発そのものがなければ、原発事故は起きないということに気づかなければならない。

genpatsunouso.jpg
つまり、話の焦点は「原発事故は起こる(事故は防げない)」ということ、そして「事故が起こった場合は、如何に安全が確保できるか」ということである。

震災復興構想会議議長に就任した五百旗頭真(いおきべまこと)・防衛大校長もNHKの日曜討論で「直下型の地震にみまわれたら、防ぎようがない。だから、災害をいかに小さくできるかという減災の考えが必要だ」と言っている。
この同日、佐賀県で住民代表に原発の説明をした保安院が、事故の不安に対する質問に答えて「(保安院は)安全でないものは許可しないんです」と答えていたのには笑えた。
だったら、原発は許可されないという理屈になるからだ。

また、過日、某新聞の読者の投書欄に「前原発停止は経済に大打撃」というタイトルで次ののようなものがあった。

・・・(前略)・・・日本国内は「ノー原発」の大合唱である。しかし、ここは冷静になってよく考えてほしい。・・・(中略)・・・しかし、日本の将来を考えると、今回の事故を徹底的に検証して万全な安全対策を立てた上で再稼働を認めるのが、最も現実的ではないか。


私はこれを読んで、ドッと疲れを感じた。
それは「万全な安全対策を立てた上で再稼働を認めるのが、最も現実的」というところである。

特に「万全な安全対策」という言葉。
この人は「万全な安全対策」ができると思っているのだろうか?

これは「交通事故がなくなるような万全な対策を立てた上で、車を走らせてほしい」と言ってみればわかるだろう。
そんなことを言ったら、車を走らせることはできなくなる。

「原発事故がなくなる万全な対策をとって再稼働」といえば、結局、再稼働はできないという結論になる。
「原発事故が起きても安全であるという対策をとって再稼働」としても同じである。

一見世論のような、根本的な論理の誤りを含んだ意見には要注意である。

要注意というか、不愉快なのは松浦祥次郎(京都大学工学部出身)という原子力安全委員会の元委員長の話だ。

この人は、やはり隕石の衝突を引き合いに出して「隕石の衝突を防ぐには莫大な費用が必要・・・」と言い始め、つまり「だから、原発事故対策にも莫大な費用が必要だから」と言い、それでは原発は止めるべきだというのではなく、安全対策の費用は、あまりかけるべきではないと言っているわけだ。

ということは、ひとたび原発事故が起きた場合は、犠牲者が出るかも知れないが、その時はごめんなさいと言っているようなものだ。

一番問題なのは、結局他人の誰かが犠牲になることは何とも思わないという感覚なのだ。

だから、技術的問題をいくら討論しても、誰かが怪我をしてもいい、死んでもいいという感覚を持った人間が国を動かす以上、意味が無いと言える。

この松浦祥次郎氏は、この度の原発事故が起きた後、日本記者クラブの席で

これまでの科学知識の外側にある自然現象が起こったのは、「科学の限界の外の現象」つまりトランスサイ-エンスの領域ではないか、と述べた。想定外とされる事故はほとんどがトランスサイエンスの問題であり、安全確保にトランスサイエンスをどう組み込み内包するか、が問われる。具体的には「全電源喪失でも自然冷却するような原子炉の開発」が必要。全電源喪失を考慮しなかったのは、日本の電力設備は十分な安全性を備えており、これまで事故もなかった・・・過信していたことが誤りであった


と、いわゆる「想定外」と弁解している。
先に述べた安全に対する費用はあまりかけるべきではないなど、もともと、安全対策には消極的姿勢であったことを考えると、非常に不愉快な話をしている。

「総力を結集して対策をしなければならないと思ったが・・・法律が不備・・・国が悪い・・・私は十分と思っておりませんが・・・対策がなされていない」

など、他人ごとのように言っている。



要するに、自己弁護に一生懸命ということで、不愉快極まりない。

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2011年07月22日

水蒸気爆発はあり得ないという6年前の説明

これは6年前(2005年)に佐賀県の主催でで行われた討論のビデオである。

今思うと、この時点で何らかの対策を講じておけば、津波や地震は防げないものの、今ほど放射能の被害に苦しまなくてよかったように思う。

それにしても、地球に隕石が衝突する確率は1億分の1だから、原発の事故(危険性)も同様に安全であるという論理には納得しがたい。



討論会の全容は以下を参照のこと。



2/9 http://www.youtube.com/watch?v=HVpl6UlnNbg
3/9 http://www.youtube.com/watch?v=6RubLAljQWs
4/9 http://www.youtube.com/watch?v=oaRfZQjvnis
5/9 http://www.youtube.com/watch?v=7XtlYuLF2LM
6/9 http://www.youtube.com/watch?v=CDiy8Odh4Ag
7/9 http://www.youtube.com/watch?v=knPjHWXZalY
8/9 http://www.youtube.com/watch?v=zTM-cPyDOmk
9/9 http://www.youtube.com/watch?v=CLSETeY0uMI

1.テーマ
玄海原子力発電所3号機プルサーマル計画の安全性について

2.開催日時
平成17年12月25日(日) 13:00 〜 17:30

3.開催場所
唐津ロイヤルホテル

4.参加者(パネリスト)
九州大学大学院教授 出光一哉
東京大学大学院教授 大橋弘忠
京都大学原子炉実験所助手 小出裕章
美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会代表 小山英之
拓殖大学海外事情研究所長 森本敏
神戸大学海事科学部助教授 山内知也
(コーディネータ)科学ジャーナリスト 中村浩美
(オブザーバー)資源エネルギー庁 大臣官房参事官 野口哲男
原子力安全・保安院 原子力発電安全審査課長 佐藤均
原子力安全・保安院 原子力安全広報課長 伊藤敏
原子力安全委員会事務局 審査指針課
安全調査管理官 吉田九二三
原子力安全委員会 原子炉安全専門審査会委員 更田豊志
九州電力(株) 取締役 原子力本部長 樋口勝彦

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2011年07月21日

すばらしいアイデア「市民ファンド」

shiminfando.jpgNHKのクローズアップ現代で紹介された"市民金融"被災企業を救うで紹介された市民ファンドに希望の光を感じた。

大きな資金が必要な時、これまでは、銀行とか国とか地方行政に頼るというのが普通だった。
銀行は雨の日に傘を貸してくれないで、晴れた日に、傘を貸しましょうと言うし、行政は対応が遅い、審査で通らなかったなどとイライラする情報が多かった。

しかし、市民ファンドは投資者と借り手が互いに顔が見える。企業の熱意が直接伝わってくるなど、心を動かすものがあり、何よりも資金調達のスピードが早い。

ファンドの運営会社や融資を受ける企業は大丈夫かという不安はあるが、ファンド運営会社は金融庁への届出が必要とされており、ファンド会社は金融のプロが貸出先を審査するということで、リスクヘッジ(危険性の回避)をしている。

この度の震災被害で経営を断念しようとしていた優良企業が、これで復活しようとしている。
暗いニュースが多い中で、これから希望が持てるような気がする。

国や銀行はあてにならないから、市民でやろうといった感じだ。
これが刺激となって、国の行政や銀行も市民のためのものという意識が高まれば、国全体に活気が出てくるような気がする。

市民ファンドのもう一つの良さは、何といっても投資金額が小口なので、個人がポケットマネーのレベルで投資できる。

会社経営というのは、どんな波風にさらされるかわからない。
だが、個人が「あの会社を応援したい」「あの社長さんの熱意に動かされた」というなら、それは身近な人にかけたという気持ちでリスクを一緒に背負ってという気持ちで、たとえ失敗に終わっても大きな後悔はないだろう。

借り手の企業としては、苦しい中を個人が応援してくれたという気持ちで、常に貸しての顔を思いながら働くという人間的な感情もメリットだと思う。

パチンコはやめて、市民バンドに参加しよう。

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2011年07月21日

サッカーをやりたいという子どもが増えそう



女子サッカーも、男子に劣らないよう、環境面での支えがほしい。

知れば知るほど、女子サッカーは決して恵まれているとは言えない環境で練習をしていたと思える。

経済大国の名に恥ずかしくないような支援を望みたい。

不況のあおりで、企業スポーツは不遇になっている。
国は、せめて税金面で応援するぐらいのことをしてよいのではないだろうか。
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2011年07月20日

2011年07月19日

電力業界は再編成すべき

denryokugyokai.jpg
独占状態にある電力会社の権限を開放し、電力の販売の自由化を促進すべきだろう。
今でも、自前の発電所を所有している企業もあり、余裕のある場合はそれらを活用することも容易にすべきと思う。

独占状態にあるほど、事故があった場合は被害を受ける範囲が大きくなるから、電力を分散して供給するほうが安全になる。

電力業界を再編成し、その際送電も現在の100V送電から200V送電にすれば送電ロスも少なくなり、それだけでも節電効果は大きいだろう。

最近は電気に関するニュースや番組も多いから、今一度、オームの法則や電気回路の基本的な知識に立ち返って基本から押さえてみよう。

P=I・E

P:電力(W) I:電流(A) E:電圧(V)

だが、これにオームの法則からE=I・R (R:抵抗Ω)を代入すると、

P=I・I・R

となるから、電力は電流の二乗に比例する。

家庭用の送電を200Vにすることで、電流は半分になり、送電線に含まれる抵抗の影響が四分の一になる。
送電線自体の太さも小さくできるから、省資源に貢献できる。

50Hzを60Hzに統一したいところだが、電力業界再編成が進むなら200V化もすすめてほしい。

家庭も自前の発電設備を持つのはよいが、近頃はほとんど太陽光発電の話になっている。
電気自動車が実用化され、電池が注目され、燃料電池の話題もかつては多かったが、最近はなぜ少なくなったのだろう。

また、ガス会社が発電するというのもいいではないか。
住宅によっては、ガス発電機を備えて従来の電気とのハイブリッドも考えられる。

最近の報道をみていると、エネルギー供給源の話が偏っているような気がする。

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posted by edlwiss at 22:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会時評

2011年07月19日

2011年07月19日

電力は本当に足らないのか

震災で復興資金が必要というのに、政府は本当にやる気があるのか疑問に思うようになってきた。
国会中継を聞いていると、野党の追及でわかったことだが、未だに復興資金の1%ぐらいしか支給されていない。
確か、政治主導とか言っていたと思うが、本当に政治主導でやっているのか?

学校でも、役がつくととたんにそれまでの態度と変わる人がいるが、民主党もそうか?
フルータスお前もか?

特別会計に手を入れるという話はどうなったんだ?
200兆円もの会計の詳細、実態は未だに国民の前に明らかになっていない。

金が足りなければ、日本銀行が一万円札を印刷するという手もある。

「お金に困っている人がいたら、もっとお金を印刷すればいいのに」

とは子どもの素朴な考えである。
だが、今となってはこれはいい考えである。
ものすごい円高だから、お金を印刷することで円安に誘導できるというメリットもある。

震災復興には総額で25兆円ほど必要と言われる。
実に巨額だが、今の日本の経済環境からすると、大した額ではないようだ。

何しろ、景気刺激策として国民一人当たり50万円を配るという案が、良心的な元官僚氏からも提案されたぐらいだから。

それを実行すると、65兆円ほど印刷する必要があるが、それから比べたら25兆円の復興資金は小さい。

菅総理大臣が日本銀行に依頼して、25兆円印刷してもらうようにしたら、歴史に残る総理大臣になるだろう。
相当な反発もあるだろうが「文句があるなら解散で国民の信を問う」とやればいい。

国の金のことになると、野田財務大臣がリーダーであるが、この人、この地位についてからどうも官僚的な顔つきになってきたような気がする。

ゾンビの出てくる映画があるが、怖いのはゾンビに接触した人間がゾンビになってしまうことである。
もしかしたら、悪い官僚たちはゾンビで、野田大臣はゾンビの住む財務省に入って、自らもゾンビになってしまったのだろうか?

ところで、節電の合言葉が日常的になったこのごろだが、本当に電力は不足しているのか?
原発に頼らざるを得ないのか?

このあたりの真相については、私があれこれ言うより、もっとその世界に詳しい人の話がいいだろう。

最近はYoutubeが役に立つ。

akaitate.jpg
私は昔、広瀬隆・著「赤い盾」を読んでから、この作家に関心を持つようになった。
この人は系図をずいぶん丹念に調査し、政界、財界、国内を問わず人のつながりを研究して、それが著作のベースになっていることが多い。

Youtubeは少し前まで10分という動画の制限があったが、それがなくなったので、広瀬隆・氏の講演を全部聞くことができる。



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2011年07月18日

原発の安全性強化は望ましくないんだそうです

enerugi21.jpg


民放のサンデーフロントラインを視ていたら、村主進(すぐり・すすむ)という人が出てきて語っていたことだが、その話に耳を疑った。
それは「安全対策は十分になされなればならないが、十分以上にすることは故障率が増えるから望ましくない」との発言を聞いたからだ。

いったい、この人はどういう人だろうと思って調べてみたら、著書が何冊かあって、それらは原子力についての著書である。

原子力安全委員会 原子炉安全基準専門部会 部会長とか原子力・エネルギー勉強会・会長などの文字が検索されることから、この方は、早い話、原子力発電を推進したいという立場らしい。
そして、将来のエネルギーの不安を強調し、そのため原発が必要だと言い、原発はいかに安全なものであるかと説いて、賛同を得たいようである。

まあ、ずいぶん原子力について専門的に勉強してみえたのだろうが、専門以前の基礎的な論理思考に欠陥があったのでは、専門も砂上の楼閣である。

「安全対策は十分になされなければならないが、十分以上にすることは故障率が増えるから望ましくない」

という言葉をよくかみしめて考えてもらいたい。

十分な安全対策というのはどうしてわかるのか?
また、それは誰が判定するのか?

という疑問が出てくる。

人間が生活している場で、十分と言える安全対策なんてあるのか?

例えば、交通事故は撲滅したいのだが、いっこうにゼロにはできない。
人が怪我をしない、死なない十分な安全対策というのはわかっているのか?

信号機をたくさん設置するほど、信号機の故障率は多くなる。
故障率を問題にするなら、信号機はすべてなくしたほうがよいことになる。
信号機がなければ、信号機の故障は一切なくなるわけだから。

原発だって同様である。
原子炉からの放射能漏れ対策をほどこせば、その対策物の疲弊や故障が増えるのは当たり前である。
故障率が高まるから安全でなくなると言いたいなら、それは論理のすり替えである。

この人の本音は、簡単に言えば原発の安全対策にたくさんお金をかけてほしくないということなのだろう。

それはなぜか?

原発の安全対策にたくさんお金をかけると、そんなにお金が必要では原発はやめようという方向に行くのを懸念していると考えられるからである。

ということは、安全対策はそこそこで、危険性は承知の上で見切り発車しようと言っているわけで、さらに深読みすれば、もしもの時被害に遭った人はごめんなさいということなのだろう。

少々犠牲者を出しても、経済界が影響受けないためにもしかたがないことである、とまとめられるのではないかと思うのである。

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2011年07月18日

節電とオーディオ

節電が叫ばれるようになって、肩身の狭い思いをしているのはオーディオの好きな人たちではないだろうか。

それはかつてのブームの時代からすると「たかが音楽を再生するだけに、何でそんなに大がかりなことをしなければならないの?」と思っている人が多いだろうと想像するからである。

オーディオブームの頂点は、今から約30年ぐらい前だったと思う。
そのころ、どんなオーディオ製品が売られていたかは、オーディオ懐古録というサイトを見ると参考になる。

そのころ大卒の初任給が10万くらいだったことを合わせてみてもらうと、よくも高いものがよく売れたものだと思う。

例えば、このサイトの一番初めに紹介されているKEWOODのプリメインアンプL-02Aは55万円とある。
大卒の初任給の5倍以上である。
現在に換算すれば100万円以上なのだろう。

誰でも買ったというわけではないが、このぐらいの物も良く売れたので、メーカーも元気だったしそれだけ、世の中も活気に満ちていた。

いい音で聴きたいと思う人たちをターゲットにした製品は、なんとか安くしようと作っていたわけではなく「やりたいことをやった」という製品が多く、中を開けてみると、物量がつぎ込んであるのがよくわかる。

だから、好きな人たちの間では、今でもこのころの製品を欲しがる人は多く、保証期間がとっくに過ぎた現在、メーカー以外の特別な修理専門店に10万以上もかけて直す人も少なくない。

ところで、オーディオは高級化すると、どんどん大きく重くなってしまう。
その一番の原因は電源である。
そして、アンプは一つの筐体に収まりきらないので、回路の前段(プリ部=電圧増幅部)と後段(メイン部=電力増幅部)とに分かれることになる。

こういうのをセパレートアンプと言い、セパレートアンプはプリアンプ(またはコントロールアンプ)とメインアンプとに別々に売られるようになる。

だから、セパレートアンプはプリアンプとメインアンプと両方買わなければ、スピーカーを鳴らすことはできない。

例えばVICTORはプリアンプP-L10とメインアンプM-L10に分けて売っていた。
この2台をペアで買うと60万円である。

ML-10.jpgこのメインアンプの中を開けてみると、写真のようにほとんど電源部が占めている。
実は私はこのアンプを現在2台使っていて、1台が28Kgあるので、ラックから出し入れするにはなかなか厄介である。

こんな具合で、オーディオは全体として必然的に大げさになってしまう。
そして、巨大な電源部を内蔵していて、たくさんの電気を消費する。
ちなみに、私のシステムでは総出力が640Wである。

知らない人が想像すると、きっとすごい音がすると思うかもしれないが、すごい音はしない。
オーディオはグレードアップしていくと静かになる。

車で言えば、40km/hの速度で走るのに、1500ccの車と5000ccの車では、後者の方が静かというのと似ている。
ほんの少しでもアクセルを踏み込むと、体がシートにグッと押しつけられるような加速を感じるようなところも似ている。

小さなアンプはギャンギャンという鳴り方だが、大きなアンプは静かである。
100人編成ほどのオーケストラがpp〜fffまでを演奏すると、大きなアンプではそのクレッシェンドがよく感じられるのに対し、小さなアンプではその差があまり感じられない。

これは、一度体験するとやみつきになる。
そして、電源が大切であるとということを実感するようになる。
しかし、アンプの電源がいかにしっかりしていても、コンセントから供給される電源が非力だとよくない。

それで、より良い音にしたいと思う人は、電源を供給する壁に目が行き、その先のブレーカーから家の外に出て電柱に関心が行く。

chujohenatsuki.jpg実際、人によっては、いい音で聴きたいがために、電力会社に依頼して自分の家だけの専用電柱と専用の柱上トランスを注文した人がいる。

しかし、最近になって「この節電しなければならない時に、そんな贅沢をやっていていいのか」と言われそうである。

多分、オーディオの好きな人は現在、そんな気分でいるのではないだろうか。
私の知っている人で「オーディオは電源を切ると、音が悪くなるから」という理由で、電源を切ったことがない人がいる。
そのお宅ではレコードプレーヤーのターンテーブルも24時間回りっぱなしである。

でも、震災以後、さすがに遠慮して電源を切ったとか切らないとか。

RSDA202.jpg私はそこまでではないが、最近はデジタルアンプというのが出回ってきて、これが非常に能率がいいということで、試してみた。

なんと、アンプが片手に乗ってしまう。
そして、変換効率がいいので何時間使っていても熱くならない。
これはいいと思ったが、音質はトップクラスというわけにはいかない。

walkman.jpg次に、なるべくヘッドフォンやイヤフォンを使おうと思った。
i-Podにはまるで関心がなかったが、そうも言っておられないと思い、結局、i-Podより音質がいいという噂でSonyのWalkmanを買った。

部屋の一角を占有するお大がかりな装置でなくて、こんなので間に合えばいいのだが(?)と思いながら、時流に少しでも合わせなければとの気持ちで使っている。

小型で、電気を食わない、いい音のデジタルアンプの出現を切望する。




stereo-90cb8.jpg


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posted by edlwiss at 00:43 | Comment(4) | TrackBack(0) | 日記

2011年07月17日

尊敬します



これは、すばらしい話ですね。

本当に尊敬しますし、頭が下がります。
posted by edlwiss at 19:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育研究

2011年07月16日

水泳指導に注意を



負傷した生徒の回復を祈るばかりだが、飛び込みは角度を誤ると危険だということらしい。

失敗しても、最悪な結果だけは免れるような指導が望まれる。


posted by edlwiss at 20:37 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育問題

2011年07月15日

不毛なデジタル、アナログ論争

digital.jpg
デジタル派とかアナログ派とか、デジタルたからどうのこうのというデジタルかアナログ化の論争が多くなってきたのも時代の流れというものを感じる。

写真はかなり長い間フィルムが主流を占めてきたが、さすがに今日では、プロもデジタルカメラを使うようになってきた。
デジタルカメラになってから、商品のサイクルは早くなり、まるで家電品と同じようになったとも感じる。

音響関係も、テレビの地デジ化の後押しもあってか、最近はデジタルアンプの採用が多くなり、変換効率の良さ(80〜90%)からますます拍車がかかっている。

小型で発熱が少なく消費電力も少ないデジタルアンプは、まさに今日の需要にぴったりの製品で、アナログのアンプはこれから衰退するのではと思う人もいるだろう。

デジタルアンプが、これで音が良かったら本当に優等生と言えるだろうが、残念なことにトップレベルを競うとまだそうもいかない。
私自身も期待をかけていたのに、少々残念なところである。

我が家ではメインの再生装置は、いまだに重量級でアンプの総重量は約76Kg、他の機器とも合わせると床が不安になるが、幸い建物が鉄筋ということで助かっている。

デジタルアンプにとって代われば、アンプの重量は片手に乗るぐらいになるかも知れない。
残念なことに、音質がまだ重量級にはかなわない。

新しくデジタル回路を設計して売り出したS社のアンプも、またアナログに戻ってしまった。
このS社のICを使って、作られた某社のアンプは宣伝を、あるターゲット層に絞ったせいかそこその台数を販売して一儲けした感がある。

商売の世界だから好きなようにやっていただいたらよいのだが、奇妙に感じるのは、まるで信者かと思わせるようなフアンがいることである。

そのフアン氏の言によれば「フルデジタル」という言葉がすぐに出てくる。

この「フルデジタル」という言葉は、オーディオに関心のある「ある層」にはかなりインパクトがあったようである。
まるで、アンプの中身がすべてデジタル化しているように錯覚していると思われる。

売り文句が「フルデジタル」と言っているのは、増幅段がすべてデジタル化されているということであって、アンプの中身が全てデジタルということではない
しかも、デジタル増幅と言っても2種類あって、従来のPCM増幅と今日デジタルアンプと呼ばれるD級増幅とは技術が違うのである。

デジタルと言っても、デジタル→デジタルという異なったデジタル方式の変換が行われている部分があって、入力から出力まで一貫して同じデジタル信号が流れているわけではない。

また、デジタル回路は強力な安定したアナログ電源があってこそ性能を発揮するものであり、言い換えればデジタルを支えているのはアナログだというところを認識する必要がある。

だから、ある人は「フルデジタルと言っても、真にフルデジタルと言えるアンプなど存在しない」と言っている。

要するに「デジタルだから・・・」などと言う言葉に惑わされないこと「デジタル派」とか「アナログ派」や「デジタル人間」「アナログ人間」などと二者択一の思考をして思考力低下をしないようにすることが大切だと思うのである。

それより、デジタルかアナログかわからないのだけれども、実際、聴いてみてどちらが良いと感じるのか、どちらが美しいと感じるのかという感性を大切にしなければならないと思うのである。

方式が違うということは、それぞれ一長一短があると、こころがけていた方がよいのであって、どちらかが一方的に良いということはないと判断すべきだろう。

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posted by edlwiss at 17:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会時評

2011年07月15日

最高裁で橋下知事逆転勝訴



新聞に掲載されるであろう、判決要旨を確認してみたい。
posted by edlwiss at 17:12 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会時評

2011年07月14日

外部からの調査でなければ真相は不明



不祥事の当事者の調査では信頼性が低い。

どうして、当事者が調査するか疑問。

それとも、改めて外部調査はあるのか。
posted by edlwiss at 21:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 社会時評

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