2013年11月30日

CDプレーヤーの故障

CDプレーヤーの読み取りが不調になった。
CDをセットしても、読めたり読めなかったり。

具合の悪いことに、珍しいCDプレーヤーを買ってしまった。
もう10年ぐらい前になるだろうか、販売店の試聴室で店員が次々と入れ替えるCDプレーヤーの中で一番いい音がすると感じたものに決めた。

決めたのはいいのだが、その格好たるや誰かが日曜工作で作ったもののように見えた。
実際「これってどなたかが日曜工作で作られたものですか?」と聞いたら、とんでもないと言われた。
メーカーの名前はEINSTEIN(アインシュタイン)、初めて知ったメーカーだ。
日本のメーカーではなく、ドイツのメーカーである。

製品が風貌からしてユニークである。
あれこれ文献を探した結果、確かにドイツに存在するメーカーでCDプレーヤーは一機種しか作っていない。
商品名が「THE CD」で5年の歳月をかけて開発されたとあった。

CDは間違いなくデジタル機器であるが、最近はアナログレコードの人気が復活してきて「CDの音はデジタル臭い」とデジタルの音を嫌う人たちから歓迎されている。
CDの音は本当にデジタル臭い音なのか?
CDをかけた時、誰もが「これはCDの音だ」とわかるものなのか?

CDの音とアナログレコードの音を比較するとき、機器はそれぞれ最高のランクのもので比較しないと比較にならないのではないか?

CDの音はデジタル臭くて嫌だ、と言っている人が聴いている機械が1万円ぐらいで、これがCDの音と結論づけるのはおかしくないか?
つまり「CDの音」という時、CDに入っている情報を余すことなく取り出した上で、評価しているかということである。
そう考えると、それではいくらぐらい出せばいいのかという疑問も出てくる。

日本のメーカーが発売しているCDプレーヤーを見ると、各社値段に妥協しないで、これならCDの能力を最高に出しますと言っている製品の値段は、およそ50万円以上になるようだ。
100万円を超す製品もあるが、こういう再生装置はある価格からは、音の良さは必ずしも値段に比例するものではないと言える。
これは、逆の視点から言うと、CDの最高の音を出すには50万円以上のプレーヤーで論じてくれと言うことになる。

さて、不調の私のCDプレーヤーだが、現在、買った店がない。
困ったことに、どこでサポートしてくれるのかわからない。
巷にあるCDプレーヤーから共通部品を探すというのも不可能。

と言うのも、このEINSTEINという会社、ユニークなのはいいのだけれど、普通の機械とはかなり発想が違うのである。
デジタル再生機器なのに、CDを回転させるのにベルトを使っている。
CDをセットする時も、アナログプレーヤーのように上蓋を開けてCDを乗せ、その上にインシュレーターという重しを乗せる。
まるで、アナログプレーヤーのようでもある。
そういうことが音に反映するのか、私もそう感じるのだが、聴いた人は、いわゆる「デジタル臭い音」とは言わない。

私としては、このEINSTEINがぜひ復活して欲しいと思い、今いくらでどこで買えるのかネットで探してみた。
ある輸入販売店にあることがわかった。
わかったのはいいのだが、価格が190万円となっていたので、これはとても手が出ないと感じて買う方は断念。

思い切って自分で修理しようと決断。
中を開けてみた。

einestein1.jpg


部品を眺めてみると、なんと部品にJAPANの文字や日本のメーカーの名前が目につく。
CDプレーヤーの読み取りが弱くなるのは、レーザー光が弱くなる原因が多い。
他の部品に異常が感じられないことから、レーザーピックアップを交換すればよいだろうと判断した。

ピックアップをよく眺めてみると、型番らしき記号が見えた。
ネットで検索すると、アメリカのサイトにあった。
VISAで購入できるので早速注文した。
ところで、このレーザーピックアップも日本製である。
日本製なのにアメリカから取り寄せるというのも、変な感じだ。

einstein.jpg


部品は航空便で意外に早く届いた。
外観も全く同じなので、これで修理できると喜んだのもつかの間、出ているケーブルの本数が違う。
結局、使えないことがわかった。
型番の横に括弧で(5/8)と記されていたのを無視していたが(6/6)でなければいけないことがわかった。

再びネットで調べると、香港の会社にあることがわかった。
今は香港からの部品の到着待ちである。

奮闘の数日間で感じたことは、部品はほとんど日本製なのに、なぜ日本ではこういう製品ができないのだろうといことだった。
国産車は性能がよく、世界中で売れているのだが、ドイツ車に魅力を感じる人々がいるのを思い出す。

EINSTEIN車は独自の考えを持って製品を作っているようだ。
日本の製品の場合、50万円というフラグシップ製品を作っても、その下の型番で30万円とか10万円という製品を作る。
EINSTEIN社は「THE CD」だけで、他の型番はない。
これは自信の現れだろうか?

そのEINSTEIN社も認める部品を作っている日本だから、日本も良い製品を作る道がまだありそうだ。
高い米でも「これが日本の米です」と堂々と売れる時代を期待したい。

EINSTEIN


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2013年11月29日

国民年金の価値

先回につづき、ファイナンシャル・プランナーとして年金について書いてみたいと思います。

「国民年金なんて掛金を払っても、払っただけ戻ってこないんだから、払うのはムダ、貯金の方がいい」

という異見を聞くことがあります。

確かに、若い人は払っただけ戻ってこない可能性は大です。
それどころか、支払額は増える可能性もあります。

では、国民年金は期待しても価値がないかと言うと、そうも言えません。

払う年数は25年以上払わないと、年金をもらう資格が得られません。
満額をもらうには、40年必要です。
40年払ってもらえる額は、年額にして80万円ほどです。
ということは、月額7万円を切るわけです。
老後の生活費としてはとても足りない額です。
生活保護の方が多いので、ここが問題になっています。

こう見てくると、ますます国民年金の掛金を払うのはバカらしいように思えます。
しかし、大きなことが欠けています。

1.結婚して子どもが生まれたとき、もし父親が亡くなった場合は、子どもが18才になるまで遺族年金が支給されるということです。
注意点は、子どもがいないと支給されません。

2.自分が障害者になると、障害年金が支給されます。

学校の先生の場合は、共済年金ですから違いがあります。
それは、夫が亡くなった場合、子どもがいない場合でも妻に遺族年金が支払われます。

以上、大雑把ですが、年金で大切なことを書いてみました。

国民年金にはメリットがありますが、実際のところ、払う余裕のない人が多いということが問題だと思います。


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2013年11月28日

人目を引くタイトルに注意

私はファイナンシャル・プランナーという資格を持っているので、協会の会員になっている。
だから毎月、会報が届くということもあって経済、年金、保険、ライフプラン(生涯設計)、税金、相続などに関心がある。
だから、それらの本の立ち読みをすることも多い。

■著者の肩書きに影響されないこと

先日、ある本屋でふと目に止まった本は、保険会社の裏側を暴露するというようなタイトルだった。
このようなタイトルをつけると、目立って本がよく売れるのかも知れない。

タイトルに惹かれて買ってもいいが「専門家が書いているから・・・いいだろう」というような読み方は、時に罠にかかったようなことになる。

「先進医療特約はいらない」

という文章が目に入ったので読んでみた。
確かに、最近は各社が競って医療保険にこの特約をつけている。
この著者の言い分は「先進医療に該当するする人は1万人に1人ぐらいだそうだから、そのために保険料を払うのはバカらしい」というものだった。

ここを、読んで私は「そんなに確立が高いの?」と思った。
それは、ある保険会社の先進医療特約は、2000万円の保険金が出るのだが、そのための保険料は1か月につき107円だ。

■保険は確率の商品

保険料をせっせと払っても、めったにもらえることはない(だから、もったいない)という人がいる。
しかし、保険金をもらう人が多かったら、そもそも保険自体が成り立たない。

1か月107円の保険料を払っていても、保険会社が2000万円を払うには、2000万÷107=186915.・・・で18万人分の保険料が必要である。
1万人に1人の確率で2000万円を払っていたら、保険会社は経営が成り立たない。

保険が必要か必要でないかは、その人の考え方で、もしもの時を考えて2000万円がもらえるように、毎月107円を払うのがもったいないと思うかどうかは人それぞれだろう。

自動車保険だって同じである。
自動車保険は個人が年間5〜6万円払っているそうだが。
10年間では50万円〜60万円払うことになるが、もったいないから保険はやめて貯金した方がよいと思う人はそうすればよい。

そういう考えのある人に「では、10年間のうちに事故があったらどうするんだ?」と聞いたら「そういうことは、めったにないから」と答えた。
おもしろい人だと思った。

■保険の仕組みを学んでおこう

「保険会社のウラを暴露する」という類の本の中には、専門家と名乗りながら保険の仕組みがわかっていない人がいる。
「活字にすると本当のように思えてしまう」と言われたことがあるが、肩書きだけで鵜呑みにしないで、自ら考えてみよう。
あるいは「ニュースを疑え」のように、疑ってみることも大切だ。


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2013年11月26日

プロバイダーのメール

今や自分のメールアドレスを持っていない人は珍しい存在になってきました。

時々、パソコンで救援を求められますが、その度に気がつくことは、プロバイダーから提供されたメールを使っている人が多いということです。

■Gmailのすすめ

Gmailとはご存知の人も多いと思いますが、Googleが提供してくれるメールです。
そして、プロバイダーから提供されるメールは止めた方がよいというのが私の提案です。

理由は、何らかの事情でプロバイダーを変更しなければならなくなったとき、メールアドレスの変更を余儀なくされるからです。
プロバイダーが変更されると、△△△@□□□というメールなら□□□の部分が変わってしまうからです。

少しお金を出してもいいと言う人は、ドメインを取得しサーバーを借りることを、おすすめしたいと思います。
自分専用のドメインを持てば、自分の好きな名前でメールはいくつでも作り放題です。
例えば、hogehoge.comというドメインを取得すれば、他人がすでに使っているメールではないかと、気にする必要はなく、加藤さんならkato@hogehoge.comというメールをつくることもできます。
自分が持っているドメインで作ったメールアドレスは、プロバイダーが変更になってもそのまま使えます。

ドメインとサーバーにかかる費用は、○○.comのようなドメインが年間管理費が950円ぐらい、レンタルサーバーが安いプランで月額105円です。


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2013年11月25日

無視することも大切

スマホの普及で手軽にインターネットを利用できるようになった。
その影響でトラブルも増えた。
中学生が自分のことを、ブログや掲示板で誹謗されたりして、いじめの温床になったりもしている。

ただ、昔からあらぬ噂を立てられるということはあって「人の口には戸は立てられぬ」という言葉もある。
これは、誰が自分のことを何か言っているということを、いちいち気にしてもしょうがないということである。
企業では「悪口を言われるようになったら、一流企業になった」とも言われるくらいで、妬む人が出てきた証拠だとも言われる。いわゆる有名税である。

あらぬ噂を立てる奴はもちろん悪い。
だからと言って、それらを探し回るより無視するという器の大きさも必要と思う。
中にはわざわざ相手を怒らせる目的で非望を繰り返す者もいる。

悪質な者に対しては、相手をせず、黙って証拠収集することがいいと思う。
例えば、NEVERNOTEにコピーして保存する。
NEVERNOTEは一ヶ月の転送量の制限はあるが、保存量は無制限なので気軽に保存できる。
どのくらい相手が悪質なのか、証拠集めをしておいて、いざというときに証拠提出する。

私が知人から実際に聞いた話だが、早朝、突然に警察官5人がやってきたという。
何だろうと驚いていたら、息子のパソコンを押収していったという。
息子が同級生をネット上で誹謗中傷していたのだ。
サイバーポリスが捜索をしていたのだ。

未成年でも14才以上は書類送検される。
知人の息子は書類送検され、しっかりお灸をすえられた。

成人となると、そうもいかない。
誹謗中傷や個人情報等が掲示板に記載されてしまった場合は、自分で掲載内容を保存しておくほか、当該サイトの管理者に対してログの保存を忘れずにしておくよう依頼すること。
名誉毀損や業務妨害等の犯罪に該当するような場合は、お住まいの地域を管轄している警察署で相談する。
(警視庁)

保存した証拠をもとに刑事訴訟、民事訴訟に出る。

訴えられた相手は、有罪になれば刑事罰を受けることになる。民事で敗訴すれば損害賠償を払うことになる。
平成22(ワ)9588 損害賠償請求事件 平成24年06月15日 大阪地方裁判所の判決では、名誉毀損の慰謝料が600万円という判決が出ている。その上に損害賠償の額を加えたら1千万円を超えることもあるだろう。
悪質なものに対しては、とにかく証拠を集めておこう。

相手にしないというのは、思考のロジック(論理)が壊れていて、コミュニケーションがとれない相手がいる。
いわゆる常識がない人間のことである。
これは、しばしば営業のプロが相手にしない者である。
(2ちゃんねるの管理人が言う「頭のおかしな人には気をつけましょう」は参考になる。こういう相手とはスパッと縁を切った方がいいだろう。)

子どもは教育の権利をもっているので、いかなる子どもも一人前になれるように学校の教師は骨を折らなければならない。
むしろ、ハンディのある子どもこそ、立派にすることは、教師の腕の見せどころと言える。

これは、教育される側に取っては、甘えられるのは未成年のうちとも言える。
成人したら、すべて自分で責任をとらなければならない。


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2013年11月24日

なぜ?が大切

「EXCELに、確かに入力したのに印刷がおかしい」という質問が時々あります。
それで、画面(モニター)に映っている文字とプリンターで印刷される文字が違うからです、と説明するのですが、狐につままれたような顔をする人がいます。
今や画面と印刷は同じだと思っている人が多いようです。

Windowsが登場する前は、画面に映っている円を印刷しても楕円になりました。
そこで「真円になるプログラムを作りました」という記事が専門誌に出ていることもありました。

そんな時代にコンピュータに携わった人たちは、苦労した分コンピュータの構造や原理をよく知っていたと言えます。
だから困った現象が現れると、何が原因なのか想像できました。
医者が患者の症状を聞いたり診察したりして、病状を判断するのに似ています。

アメリカが昔、教育改革に取り組んだ時「原理を教えよ」が合言葉になっていました。
文明の発達とともに、知識は膨大なものになっていきます。
それを追いかけていると、教科書は百科事典ほどになっても追いつけません。
こういうことは、私がわざわざ言うまでもなく、先生方はよくご承知のことだと思います。

では、何を教えるべきかを精選することが大切になりますが、これもかなり研究されているだろうと思います。
問題は、どういう意図で精選されたのか、教えるべき先生が十分理解していることだと思います。
そして、それが指導に反映され、結果として現れなければなりません。
その辺の評価はどうでしょう?

「マウスで画面をクリックするんです」と言ったら、マウスで画面をタッチした人がいるという話は有名になっていますが、これに類する考え方をする人が多くなってきたように思います。

折に触れて話したり書いたりしていますが「なぜ画面と印刷が違うんだ」と質問して、その原因を知りたいと思う人はいい方で、それより「どうしたらうまく行くのか」という結果を性急に知りたがる人が多いような気がします。

そういう大人が増えてきたということは、どういう教育を受けてそうなってきたのか追究してみる必要があるでしょう。
今や模型店では、組み立てる模型を子どもは買わないので完成したものを売るようになってきました。
組み立てる模型を買うのは、むしろ大人だと言います。
私もそうでしたが、子どもの頃は完成品より組み立てる模型に興味を持ちました。

学校が送り出している子どもは、答えを出す過程に興味を持たず、早く結果を求める教育をしているのではないか振り返ってみる必要があると思います。

昨日、長年使ってきたCDプレーヤーが壊れました。
原因を追求したところ、レーザー光が弱くなってきたらしいということがわかりました。
CDプレーヤーは国産ではないので、困ったなあと思っていましたら、中を開けるとレーザーピックアップの部品に型番らしき番号が刻印されていたので、ネットで検索したらアメリカの販売店に写真付きで出ていました。
VISAを使って部品の注文をすることができました。
やはり、英語は学んでいた方がよいと実感しました。

余談ですが、その部品を作っているメーカーは日本の会社でした。
日本で作ったものを、わざわざアメリカから取り寄せるというのも不合理ですが、ネットの発達した世の中では国の距離は関係ないのかも知れません。

公開授業では、結論(答え)を出す過程を大切にし時間をかけていますが、それを見ていると今の年間の授業数では足りなくなるのではと思います。
見せる授業の時だけでなく、普段の授業でも考える過程に時間がかけられる教育課程を望みたいと思います。


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2013年11月23日

クラスのまとまり

「クラスのまとまり」と題しましたが、人が大勢集まる集団に共通の話です。

ある有名なオーケストラの指揮者は言っていました。
オーケストラには二種類あると。

一つは指揮者がだめだと、バラバラになってしまうオーケストラ。
もう一つは、指揮者がだめだと、指揮者を無視してコンサートマスターを中心に演奏してしまうオーケストラ。

これをクラスに当てはめると、担任がだめだとバラバラになってしまうクラス。
もう一方は担任がダメだと、担任を放っておいて学級委員を中心にまとまっていくクラス。

オーケストラもクラスも、バラバラになるのはメンバーにとって不幸です。
だから、学級担任は統率力を持たなければなりません。

勉強するということは、複雑なものが簡単に見えることです(複雑なものが簡単に見える)。

勉強することで子どもの目は次第に開かれて行く。
先生はその案内人というか、指揮者です。

現実のオーケストラは運営に多額の資金を必要とするので、しばしば財政難に陥ることがあります。
つぶれそうになったオーケストラを引き受けて、それまでろくに給料をもらっていなかった楽員たちに、給料を払うようにしたら、楽員たちが「神様と音楽ができて、その上お金までもらえるなんて」と言ったそうです。
これほどの賛辞はないだろうと思います。

オーケストラも「この指揮者ならついていける。この指揮者なら一生懸命やろう」と楽員たちの気持ちがまとまって行くことが大切です。
みながそうなったとき、指揮者の言うことを注意深く聞こうという態度ができてくるわけで、それは指揮者の目指す音楽に向かうことだと思うのです。
それは、みんなでいい音楽作りをして、みんな幸せになろうということなんだと思います。
集団がありリーダーがいるところには同じような関係があります。

マー君が登板の時は野手が張り切るのは、マー君のためと思われがちですが、それは「マー君が登板だから勝てるぞ、マー君で勝てなかったら俺たちの責任だぞ」という意思の表れだと思うのです。
「『あの先生なら僕たち(私たち)一生懸命やらなきゃ』という気持ちにさせる」(自分一人の力ではない)も同様、あの先生について行けば、きっとまとまりのあるクラスができて、みんな幸せになれるという、先生への期待感の表れだと思います。

先生たるもの、児童生徒たちからのそういう期待感を感じる仕事がしたいものです。

別な言い方をすれば、児童生徒たちはそういう統率力のある先生を待っている、と言えるのではないでしょうか。

プロ野球が「この監督なら優勝できるぞ」と思える監督を待っているのも同様でしょう。


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2013年11月22日

自分一人の力ではない

今年は楽天の田中投手が大きな話題になりました。

彼はインタビューでは、いつも「僕一人の力ではないですから」と言っていた。謙虚な態度には交感が持てる。
もちろん、野球は一人ではできるものではないから、それは確かだが、田中投手の力は誰もが認めるところ。

田中投手が投げる時は、打線がよく打って点を取ると言われた。
勝利投手か敗戦投手かはチームの勝ち負けで決まる。

だから10点取られても、味方が11点取ってくれたら勝利投手になれる。
逆に相手に1点しか取られなかったとしても、味方が0点だったら敗戦投手になってしまう。
だから、投手の実力は防御率だという人もいる。

田中投手はそれでも大した投手であるが、誰それが投げるときは味方が点をよく取るというのも、その投手の実力のように思う。

「自分一人の力ではないですから、みんなの力でできたことですから」

これは優れた選手の、優れた人の口から出る言葉である。

何回もこの言葉を聞くうちに、私は思い出したことがある。

私が中学校の吹奏楽部を教えていたとき、私の誇りは、入部してきたどんな生徒も3年生ではかなり楽譜が読めるようになっていたことだ。
3年生になった生徒の中には入部してきたとき、自分がいかに楽譜が読めなかったかを自慢する者もいた。
その生徒と小学校も同じだった生徒は「あの子、信じられない」と、彼のことを言っていた生徒もいた。

それで、恥ずかしいことに、私はやや有頂天なっていたように思う。
はっきり言えば、自分の教え方がいいと思っていたわけだ。

しかしそうではない。
楽譜の読めなかった彼を取り巻いている生徒たちの影響力が大きいのだ。

そういう意味では、指導力というものは教師一人の力ではない。
教師と生徒の協力でできているものなのだ、と思うようになった。

これは、学級においても言える。
担任はリーダーであるが、クラスの生徒で作る前向きの空気が、大きな影響を持つ。
とかく、口で生徒たちに伝えることだけが教育と上っ面だけで考えやすいが、教室の生徒たちと担任でつくる空気が、大きな力になる。

あのピッチャーが投げるのなら、ぜひ点をとってやらなきゃというように「あの先生なら僕たち(私たち)一生懸命やらなきゃ」という気持ちにさせるなら、教師冥利につきるというものだ。


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2013年11月22日

複雑なものが簡単に見える

勉強すると、今まで複雑に見えていたものが簡単に見えるようになります。

motherbord.JPG


写真はパソコンのマザーボードです。
これを見ていると、街のようにも見えてきてゲームのCimCity(シムシティ)のようにも見えます。

複雑に部品が並んでいますが、これらの部品は機能的に配置されています。
その機能がわかってくると、簡単に見えてきます。

今やパソコンは生活にビジネスに、なくてはならないものです。
そういうこともあって、パソコンに関わる質問も多くなっています。

質問が多いこと自体はいいのですが、私が問題だと思うのは、あまりにも原理がわかっていないがために、驚くというか信じられない質問があります。

例えば、インターネットエクスプローラー(以下IEと言う)をクリックするとYahooのサイトが開くような設定がありますが、この状態を見てIEの中にYahooが入っていると思っている人がいます。

また、IEをクリックしてサイトが2つ起動すると「2つも出てくるようになってしまいました。IEを消してもらえますか?」と言ってくる人がいます。

あるいは「パソコンがおかしくなった」と言う人に、どういう使い方をしたか聞いてみて「それは、あなたがそのような操作をしたからです」というと「私はやっていない。そんなことをした覚えがない」などの返事があります。

IEが2つ起動したのは、IEを2回クリックしたからだと想像できます。
パソコン起動時は動作が遅いので、IEがなかなか起動しないので、何回もクリックしてしまうことがあります。
だから、はじめにクリックした分に続き、あとからクリックした分がきどうするわけです。

パソコンを使わざるをえない人が増えてきましたが、あまりにも原理がわかっていないので、変な質問が続出するのだろうと思います。
最近の人は気が短いのか、目的を達するための操作だけ覚えればよいという傾向があります。

自動販売機でジュースを買うのには、コインを入れて目的のジュースのボタンだけ押せばこと足ります。
機械の仕組みはどうなっているんだろう、という関心を持つ人は少ないんでしょう。
しかし、自動販売機が始めて出てきた頃は、コインを入れてボタンを押すだけでジュースが出てくるのに感動したのではないかと思います。
そして、そこから好奇心が湧いてきて「仕組み」に興味を持つ人もいたと想像しますが、今日ではそういう方向に心が動かなくなっているように思えます。

学校では、面積を求める勉強は三角形から始まり、それが円の面積までに発展します。
先生は円の面積が求められる原理に時間をかけます(かけるはず)が、テストでは「半径×半径×3.14」さえ覚えておけばできるので、自動販売機でジュースを買うように結局、計算をする操作だけになってしまいます。

私はこの操作だけの訓練のような練習に、大変懸念を感じています。
というのは、応用することがなくなるので、知能を使わなくなってしまうと思うのです。
つまり、知能低下です。

そういえば、いつ頃からははっきり言えませんが、テストはできるのに頭は悪いなあと感じる子どもが増えたこと、その後同様な大人も増えたと思うようになりました。

この先はどうなるのでしょうか?


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2013年11月20日

情報伝達のズレ

最終的に到達すべき情報、すなわち教育目標の主題は先生と児童生徒の相互の間で情報が行き来しながら到達すると言いました(情報の流れは行ったり来たり)。

これは、音声信号という電気の流れに似ていると言いました。
今回は、その流れの行き来する接点に注目してみます。

swiching.jpg


細かく見たとき、上図のようにズレがあると問題です。
どういう問題かと言うと、人と人の話し合いでは話がズレて相互のコミュニケーションが取れない状態です。

発信者が、受信者の話を聞いた時「私はそんなことは言っていませんよ。どこに(Where)そんなことが書いてあるんですか?」と文句を言いたくなるような時です。
(こんな時「いろいろな意見があっていいんだよ」というまるきり見当違いのこと言う人がいたのには、笑えたことがありました)

これは電気回路でも問題になりました。
下図は真空管アンプの回路図の一部ですが、上の真空管が+領域、下の真空管が-部を受け持って増幅しています。
上下の真空管がうまく連携して、信号全体を増幅しているわけです。

sinkuukanPP.jpg


これは、先生と児童生徒で成り立つ授業に当てはめてみると、先生と児童生徒の間の言葉の連携がうまくいってこそ授業が成り立つと言えるようなものです。

授業をやっていると言っても、何かを喋っているだけでは授業が成り立っているかどうかわかりません。
授業の成立はまず、意思の疎通がうまくいっていないことには、中身がないことになりますから、指導的立場である先生が児童生徒の意思を正しく受け止めることが大切です。
意見が正しいかどうかという以前の問題です。

だから、先生には読解力が必要なように、聞く力、その他の児童生徒からのサインを受け取る能力も大切と言えます。
間違っても、受け取る能力のなさから、勝手に決めつけるようなことをしてはなりません。
そのためには「君の言いたいことは・・・と言うことなんですね?」と児童生徒言いたいことを短くまとめて確認することも必要と言えます。

電気回路においては、このズレをスイッチング歪
と称して、解消すべく技術に取り組んだ時期がありました。
スイッチング歪みがあると音が悪くなるからです。

電気回路を駆使して作ったアンプの内部も、人の活動に似たところがあるものだと、改めて驚いた次第です。


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2013年11月19日

情報の流れは行ったり来たり

低く出して高く受けるは情報の伝達が電子回路のインピーダンスの関係、すなわち出力が低く、入力側(受信側)高いに似ていると説明したものだが、情報の流れを詳しく見ると、それは行ったり来たりする音声信号に似ているように思う。

教育目標は、先生の情報は発信から始まり、教育活動を通じ児童生徒に伝わるものだが。
これは、先生から児童生徒へに向かって情報が一方通行で流れるものではない。

johodenntasu_syousai.jpg

電子回路を通過する音声信号は、例えばCDプレーヤーを使って音楽を聴く場面を考えてみると、最終的にスピーカーから音楽(情報)が聴こえてくることから、[CD→スピーカー]と一方通行のように見えるが、音声電流の流れは行ったり来たりである。

上図にそのイメージを表したが、0(ゼロ)のレベルを境にして上が右方向とすれば、下は左方向になる。
これは、教師が教育目標を実現するために、児童生徒に対して情報を一方的に流しているのではなく、児童生徒から教師に対して情報を流す状態もあるということだ。

情報の流れは教師と児童生徒の間を行ったり来たりし、それを繰り返すことで教育目標が実現されるというイメージに似ている。

自然の摂理は、人間の活動にも似たところがあるというおもしろさを感じた。

というより、人間の活動は自然の摂理に従った方がよい、ということを示しているのかも知れない。


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2013年11月17日

低く出して高く受ける

モノを伝達するするとき、出す方と受ける方がある。
音声信号の場合、出す側のインピーダンス(交流抵抗)が受ける側のインピーダンスより高いとうまく伝わらない。
つまり、出す側は低く、受ける側は高くが基本である。

私たちの身の回りには、音を電気信号に変えて伝達するものがいくつかある。
ある機器と別の機器をケーブルでつなぐとき、出す方のインピーダンスは低く、受ける方のインピーダンスは高くなければならない。
例えば、ラジオとイヤフォン、携帯端末(iPhone、Andoroid)とイヤフォンのような関係。
これらは、みな低く出して高く受けるように作られている。

Row_High.jpg

同様なことが、先生と児童生徒の関係にもある。
先生の言うことが児童生徒にわからないと言うとき、先生の言うことが難しい場合がある。
こういうとき、先生は児童生徒がわかるようなやさしい表現を用いなければならない。
先生の方が低く、児童生徒の方が高くである。

中学校に長年務めていた先生が、小学校へ転勤してきた。
その先生が言うには
「子どもが、ぼくの言うことが難しいって言うんだ」
と言っていた。
この先生は、長年の間に中学生向けの高さで言うことが身についていたわけだ。
当然、先生の方が小学生の高さ、もしくはそれより低くしなければならない。

教えるということは、常に教えられる者の高さを意識して行うもので、少なくとも学齢期に置いては常に意識しなければならないものである。
しかし、高等学校となると、中学校を卒業してきたわけだから、中学校のレベルなら十分なはずであが・・・。

大人相手なら、成人ということで、話す方は常識ある社会人水準で話せばよい。
わからない大人は、話がわかるように自分のレベルを上げるべきである。

どちらにしても、伝える方が低く、受ける方が高くなければ伝わらない。

もっとも、現役の先生は無意識のうちに行っていることです。





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2013年11月16日

情報処理〜送信側と受信側

情報のやりとりには送信側と受信側があります。
教室においては、教師と児童生徒が相互に送信側だったり受信側だったりします。

johoukakunin_s.jpg送信側と受信側の関係において情報の確認(情報処理〜情報の確認)について述べました。
しかし、送信側と受信側で常に機械的に情報の確認をしているわけではありません。
確認をするときは、情報の内容が重要な時で、確認をしないときは、確認をするまでもない情報の場合です。

ビジネスでは[注文]→[確認]→[OK]→[納品]が普通のことです。
例えば「ビール1ダースお願いします」→「○○様、ビール1ダースですね」→「はい」→「かしこまりました」→「納品」となるわけです。

私の場合、パソコンの製作依頼がありますが、依頼を受けたときどんな仕様を希望しているかを聞きます。
さらに、その要望をもとに見積りを作ります。
その後、見積りをもとに修正を行い、OKとなったら製作に移り、完成後に納品書とともに納品するわけです。
依頼者は納品書を参照し品物を確認しOKを出し納品完了となるわけです。
パソコンは安くない物ですから、確認が丁寧になるわけです。
このように、社会生活の中では情報処理〜情報の確認の関係がよくあるわけです。

電話がかかってくる→「○○専務ですね。しばらくお待ちください」というようなこともよくある。
会社でなくても、こういうことは習慣にした方がよいと思います。

授業中でも「君の言いたいことは・・・ということですね」は随時、行った方がいいと思いますが、簡単な確認としては討論の途中で、児童生徒が「賛成です」と発言したら、先生が「賛成ですか?」というのがあります。
討論がかみ合っていくように随時、確認を入れるかどうかは教師の判断によります。

このように、現実の討論(話し合い)では、臨機応変な確認が入りますので、ビデオで教師の代行するのは不可能です。
将来、そのようなロボットが出てくれば別ですが。

■一方通行の送信

世の中には一方通行の送信というものもあります。
この場合は確認がありませんから、受信者の誤解、妄想までにも発展する時もあります。
例えば、このようなブログもそうです。

ブログは作者からの不特定多数の人への一方的な送信(発信)です。
不特定多数の人が読むので、受け取り方も様々です。
受け取る人の読解力によって、誤解、妄想が発生する可能性があります。
ブログはコメント欄があるので、記入可能な場合は、受信者が自分なりに解釈した意味を投稿して確認できます。

しかし、往々にして誤解が誤解のまま、妄想が妄想のままで終わる人は、確認のコメントをしないようです。
かつて、私がとりあげた「貧困率」の記事の例もそうです。
「貧困とは何だ!」と抗議のコメントがありました。
この人は、自分が「貧困と言われた」と誤解したようでした。
私が「貧困率と貧困は違いますよ。肥満率と肥満も違うでしょう?」と返事をしても、応答がありませんでした。

ブログはいろいろな人が読んでいるので、中には精神的に敏感な人もいます。
経済的に困っている人の中には、貧困の文字に敏感な人もいるかも知れません。
だから「貧困率」と書いてあるのに「貧困」の文字に過剰反応するのかも知れません。

まじめに議論をしたいのなら、確認をすべきです。
確認をするときは、文章の要約(要旨)をするという作業が必要ですから、確認をしないというのは、この作業ができないのかも知れません。
そのせいか、確認をしない人は、当該の文章の意味がどうあれ、自分が勝手に解釈したことまたは勝手な決めつけを押し通したいという心理があるように思います。

学校の教師の場合、相手が子どもであり教師は子どもにとっては権力者なので、教師と子どもが双方向でやりとりができる環境にあっても、一方向の教師の理不尽な振舞いが押し通されてしまう可能性もあります。
もし、子どもがそういう経験をしていくと、心に教師不信感という印象を植え付けかねません。

一方向の送信(発信)には要注意です。


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posted by edlwiss at 18:21 | Comment(3) | TrackBack(0) | 教育研究

2013年11月16日

情報処理〜情報の確認

情報は正しく伝達されることが大切です。
「情報の確認」と言ったら「よく見る」と答えた人がいましたが、よく見ても見落とす可能性があるのが人間です。
今日ではパソコンでの仕事が多いので、事務においても、情報の伝達は途中で人の手による再度のタイピングすることのないようにすべきです。
コピーアンドペーストで行うべきです。

通信で伝達ミスを防ぐために、行われている方法の概念図を次に示します。

johoukakunin.jpg


送信側がAという情報を送ると、受信側ではそれを送り返し「そちらが送った情報はこれでいいのか?」と確認を求めます。
送信側は、送った情報と確認を求めてきた情報を照合し、合っていたらOK(間違いありません)という返事を送ります。
受信側はOKがあったら次の処理に移ります。

これは、コンピュータ同士のやりとりに使われていますが、こういう例を出すと「機械と人間は違う」とか「機械と人間を一緒にするな」などと言う人がいますが、これは大変頭の固い人と感じます。
機械は人間が作ったものです。だから、機械には人間の思想が入っています
あらゆる機械は人の思想の範囲から出ることはないわけです。

ここに例示した情報確認の仕組みは、人の生活の中で使われています。
例えば、時々行われるテレビでの討論会において、司会が出席者の意見を聞いた後「あなたのおっしゃりたいことは・・・・:ということですね」と確認をします。

これは司会が人の意見を聞き、内容を整理統合するということを行っているわけです。
内容を要約し確認をするというのは、高度な知的作業だと思います。
これは、学校の教師にも必要な能力であると言えます。

児童生徒の話を聞き、内容を整理統合し「君は・・・ということを言いたいんだね」と確認することは、他の児童生徒たちにとっても、討論をすすめる上で有益と言えます。
表現力の劣る児童生徒の意思をみんなに伝えることで、そういう生徒も生きてきます。

こう見てくると、学校の教師に求められる能力として、他人の意見を正しくとらえること、断片的な話の内容を統合して要約することは非常に大切だと思います。

また、授業の中ではこういう能力を使うことが、教師が児童生徒の意見を、自分の(勝手な)解釈で決めつけて進むという危険を防ぐことにもなります。
「君は・・・ということを言いたいんだね」と返された児童生徒にとっても「先生は僕の意見をよく聞いてくれる」という満足感が得られるものと思います。


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posted by edlwiss at 09:29 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育研究

2013年11月15日

情報処理〜情報の流れ

下図はプログラミングの前に書いたりする、フローチャートで使われる記号(図)です。

zyouhounagare..jpg


この菱形には判定項目を書きます。
プログラムでは、具体的にコードを書きます。
授業でもこのようにフローチャートで書くことも行われました。

図では未確認情報が入ってきて、その情報に誤りがないかどうか判定することを表しています。
ここで何を判定するかは、情報が作文であれば、誤字、脱字、文法上の誤り、言い回しの矛盾、事実誤認などをチエックするわけです。
ひとことで言えば、ここで情報の誤りをチエックしているわけです。
誤りがあればNOの方向に情報は流れて、訂正処理になります。
誤りがなければYESの方に情報が流れ、ここから本格的な討論が始まるわけです。

ところが、おかしな人もいて「間違った情報を流すな」と言う人がいます。
情報が間違っているかどうかは、まず情報を正しく読んでみないとわからないはずなのに、こういうのは、言う人自身のロジックがおかしいと言わざるをえません。
これは、試験の時「間違った答えを書くな」と言っているようなものです。
答えが間違っているかどうかは、採点してみないことにはわかりません。

■まず、未確認情報を正しく読み取る力が大切

情報が正しいかどうかは未確認情報を正しく読み取らなければ判定のしようがありません。
私が読解力が大切と言っているのは、まず、まだ何が書いてあるかわからない情報(未確認情報)を、正しく読み取る力のことです。
それには、文中の言葉の意味、文法に沿った読み方、さらに読解力には集合の概念と統合力が必要で述べた、集合の概念と統合力が必要と言っているわけです。
プジョー車の特徴として、独特の設定がなされたサスペンションと、自社製作のショックアブソーバーによる、「猫足」と呼ばれるしなやかなで路面に吸い付くような接地感のある足回りが挙げられることが多い。一般的には走行安定性を得るためのサスペンションは硬くなりがちだが、プジョー車では柔らかい乗り心地と安定性を高次元で両立している。良好な乗り心地にはフランス車に共通のソフトでコシのあるシートも大いに貢献している。

例えば、この文章を読んで「車に猫を乗せるとは、私の好みではありません。猫が嫌いな人もいるということを、自動車メーカーは考えるべきです」というような意見を書く人がおかしいと私は言いたいのです。
これもロジックが壊れていると思うのです。
(出典:フリー百科事典「ウィキペディア」)

■なぜ見当違いの意見を言うのか

読めていないということなのですが、もともと読む気がないのかも知れません。
だから、文中の、自分が気に止まった単語(上記の例では「猫」)だけに注目して、その単語を中心にして自分の作文をしてしまう。
その作文は本文とは全く関係がない。

もし、職場にこういう人がいたら周りは困ることでしょう。
民間会社の人事部ではどうするでしょう。


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posted by edlwiss at 21:34 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育研究

2013年11月15日

読解力には集合の概念と統合力が必要

指導力の要素として、読解力、伝達力が大切という話をしてきましたが、
読解力を支える能力として大切なものに、集合の概念(力)統合力が重要という話をしたいと思います。

dokukairyoku2.jpg


コンピュータのプログラマーにとって、集合の概念は非常に大切です。
プログラミング中(フローチャートを描いているとき)には常に意識していると言ってもいいでしょう。

プログラミングでは、if〜then〜(もし〜ならば〜せよ)とか、case〜select〜(〜の場合〜せよ)という構文が頻繁に出てくるからです。
例えば、メタボの程度を計算する場合、男性と女性は計算が違うわけですから、計算式を変えなければなりません。
だから、まずラジオボタンで男性か女性を選ぶようにする。そして、男性のボタンが押されていたら「もし、男性ボタンなら、男性の計算の式を選べ」と言う風にコードを書くわけです。

これは非常に簡単な例です。
なぜなら、人間には男性と女性しかいないからです。

二つだけでなく、もっとたくさんに分けなければならない時は、case〜select〜を使うわけですが、一体何種類に分けたらいいのだろうかと頭を悩ます場合があります。

動物を分類しなければならない時は、哺乳類、甲殻類、・・・とか、ネコ科、イヌ科、・・・など分類する知識が必要です。
もっとも、いくつあるのかわからない場合があって、分けきれない場合もありますが、すべてを分類しなければならないという必要がない場合は、elseという構文、つまり「それ以外は〜」ということで処理します。

こんなわけで、プログラミングを経験すると「それは一体、何の分類の範囲での話なのだ?」ということが気になります。
哺乳類と甲殻類の話が混じっていてはまずいのです。
カニを飼っているのに、ミルクのやりかたを持ち出してもしょうがない。
ところが、そういうことに無頓着な話をする人がいます。

また、集合の範囲が大きすぎても話にならない。
教師と言っても、そう呼べる人はたくさんいます。
小学校教師と言えば、集合の範囲は狭くなります。
しかし「小学校教師は・・・」と切り出したら、小学校教師全体に共通する話をしなければなりません。
もっとも、話の筋から、この人の言っている小学校教師は自分が会った人のことを言っているんだなとわかることもあります。
そうではなく、自分が知らない小学校の教師まで含めて、そう言いたいたいという意思の表れであるという場合もあります。
それには、悪意の表れだったり好感だったりする場合があります。
「さすが、小学校の先生ですね。小さい子の教え方がうまい」
といった場合は、自分の小学校のある先生の授業を見てそう言っていると想像される場合もあります。
それが、自分の心の中で、まだ会ったこともない小学校の先生たちへの好感や信頼に変わっていると想像される場合もあります。

話し方には、相手にいい印象を与えるものと悪い印象を与えるものがあります。
「日本人は頭がいい」
と言った場合、日本人という集合がとても大きい集合で、日本人全部がそうとは言えないじゃないかと思っても悪い気はしません。
しかし
「日本人はずるい」
と言われると、気分はよくないと思います。
もっとも、自分が遭ったことに腹を立て、あえて日本人全体への非難という意図が感じられる場合もあります。

批判というか、悪く言っても印象が悪く響かない人もいます。
これは、その人の教養の高さだろうと思います。
また、良いことは言われないだろうと想像されるのに、あえてその人の意見を聞きたいということもあります。
教師ならそういう人になれるといいなあと思いますが。

どうあれ、人の発言には印象が伴います。
それは、臭いがつきまとうようなもので、少なくともそれが悪臭でないようにしたいと思っています。
悪臭ばかり放っている人の近くには、誰もよりつかないでしょうから。

読解力を支える力として、統合力なるものも大切だと、最近思うようになりました。
というのは、かつて、文章の部分部分しか読み取れない人のことを、自己流にピンポイント思考とかワンポイント思考などと言ってきました。
そういう人の思考回路はいったいどうなっているんだろうと、いろいろ考えているうちに次のようなことが頭に浮かんできました。

■色は三原色しかないのだが

sanngennsyoku.jpg減色混合と言って、絵の具のような色を混ぜると、たくさんの色を混ぜるほど暗くなっていきますが、一番もとの色は赤、黄、青の三つ、つまり三原色しかありません。
どんな色もこれらの混ぜ合わせでできており、これに明るさが加わって非常にたくさんの色が作られています。
(印刷の場合、これに黒を加えていますが)

普通、人は黄と青を混ぜると緑になるということを、頭の中で想像します。
同様に赤と黄ではオレンジというふうに。
しかし、それが頭の中で合成できない人がいるのかなと思うようになりました。

読解力も同じく、A、B二つの文章があった場合、これを合成して、つまり統合してCと解釈するような思考力または思考回路が必要ではないかと思うわけです。
例えば

A.ポチは犬である。
B.犬はワンと鳴く。

の二つの文章を統合して

C.ポチはワンとなく。

が引き出されます。

でも、どうしてもこのような思考ができない人がいるんではないかと思うのです。

ビデオで教師の代用はできないもそうです。

A.とても素晴らしい授業のビデオがある。
B.教師の行う授業は教材を提示したり、話したりする以外にその場での人間同士のコミュニケーションがある。

この二つの文章から

C.ビデオでは人間同士のコミュニケーションができないから、教師の代用はできない。

というA、Bの統合としてのCが引き出されるはずです。

以上の話には、現実の教師がどういう実態であるかということには全く関係ありません。

現実の教師がどうであるかという話は、集合の範囲が違います。

ここでの話は教師の機能について追究しているのです。

論議はまず集合の範囲で整理して、その範囲を逸脱しないようにしなければなりません。
その上で、いくつかの文章や発言を統合して理解する能力が必要です。

そうでないと、頭の中はジャンク箱かゴミ箱のようになってしまいます。


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posted by edlwiss at 12:34 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育研究

2013年11月14日

なぜ伝わらないのか?

ビデオで教師の代用はできないのブログにて、文字通りビデオを使って、教師の代わりをさせることはできない理由を書いたつもりだったが、どうもその意味が伝わらなかった人がいたようであった。

このような時、原因を探るのに「わかるように書かない方が悪い」と一方的な意見を言う人をみたことがある。
しかし、原因の追究としてはよくない。
原因を探るなら、まず原因の存在する可能性のあるところから検討すべきである。

そう考えると、原因のありかは伝える方受け取る方それら両者ということになる。

文章の場合は

1.伝える方の原因・・・・文章がよくない
2.受け取る方の原因・・・読解力がない
3.1と2の原因を含んでいる

と考えられる。

ビデオで教師の代用はできないの要旨をまとめると以下のようになる。
ビデオは生きた人間ではないので、ビデオが人間である教師の代わりをすることはできない。それは、教師の行う講義はその場で受講している人の反応を感じつつ行うものであり、受講者も教師に発した反応を教師が受け止めることを感じるという、言葉以外の無意識のやりとりが行われながら続くものだから。


文意が伝わらないとしたら、原因の1、2、3のいずれなのか関心のある方はビデオで教師の代用はできないをお読みください。

教師とは以下の意味である。
人間とくに子ども,青年を指導し,その発達を助け促す人。類似の語に教育者,先生,師匠,師,教員などがある。学校制度発足前には教師,教育者,教員などの語はなく,学芸,武道あるいは歌舞音曲などを教授する人は師匠と呼ばれていた。今日,師匠は茶道,華道など伝統的な芸事の教師について使われるにとどまる。教師が知識,技術の伝達を中心的な仕事にする人とされるとき,教育者はより広く人格形成者という意に使用される。また近代公教育制度の確立以降,法律用語としては教員が使用されてきた。
ことバンクより


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posted by edlwiss at 21:29 | Comment(6) | TrackBack(0) | 教育研究

2013年11月12日

ビデオで教師の代用はできない

学力の基礎〜伝える力でビデオを紹介したが、この優れた講義をそのまま教師の代用として使えるかと言うと、そうはいかない。

たしかに、このビデオは記録としてはすばらしいもので、価値のあるものだが、このビデオを現実の講義として使うことはできない。
勉強の資料として使うことはできる。

ある大学の先生が、私のもとにCDを1枚送ってきたことがあり、それはピアノ演奏のCDだった。
手紙が添えてあり「今の時代、シンセサイザーを駆使して、楽譜にある演奏を完璧に際限できる。だから、演奏者は不要になるのではないか」と言うようなことが書かれていた。

シンセサイザーで楽譜にある音を再現できるが、演奏とはそういうものではない。
なぜなら、演奏は演奏者と聴衆でつくるものだからである。

演奏者はその場にいる聴衆の心と呼応しながら演奏している。
もちろん、互いに声を出したりはしない。
しかし、演奏をしていると、聴衆の心は伝わってくる。
演奏者の心も、もちろん伝わっている。

指揮者として有名なヘルベルト・フォン・カラヤンは、当日のコンサートで聴衆が何を期待しているかを感じ取り、それをすぐ演奏に反映してしまう力を持っていると言われ。
それは、職人芸であり芸術ではないと批判した評論家がいた。

今、このことについては言及しないが、コンサートでも講義でもライヴでは生身の人間同士の呼応があるということである。
だから、優れた講義や演奏のビデオや録音に価値がないということではなく、記録では人間同士の呼応ができないという点において、現実の講義や演奏の代わりをすることはできないということである。

生後間ももない乳幼児をあやす場面に、ビデオをつかってみたところ、乳幼児はまったく関心を示さなかったという、京都大学の研究からも、人間同士のコミュニケーションは、実際に発せられている言葉以外の情報がやりとりされているということが証明されている。

ネットを使ったeラーニングも便利な面があるが、欠点は人間同士の呼応がないことである。
skypeならその欠点を補えるかもしれない。


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posted by edlwiss at 21:46 | Comment(5) | TrackBack(0) | 教育研究

2013年11月11日

大切な基礎学力〜伝える力

大切な基礎学力〜読解力と対になる大切な基礎学力として「伝える力」に焦点をあててみたいと思います。もちろん、これは私の考える基礎学力です。



この動画はTED(TEDは、価値のあるアイデアを世に広めることを目的とするアメリカの非営利団体)によるプレゼンテーションの一部です。
スーパープレゼンテイションと称してNHK-Eテレで、毎週月曜日夜11時〜11時25分に放送されています。
英語なので、英語が嫌いな人には敬遠されそうですが、放送では字幕が入っています。

私の所属する英語クラブでは、このような番組も"聞き取り"の教材として使うことがあります。
何を言っているかという内容の解釈はもちろんですが、ただの聞き取りだけではなく、互いに意見を出し合ったりもします。

今回のテーマは伝える力なので、聞き取りについては言及しないことにします。

教師にとって伝える力が大切なのは言うまでもありませんが、教師の力をただ指導力の一言で片付けるしかないのは、いかにも大雑把であり、それ以上分析できないのかというより、結局、指導力をみる力がないからそこで止まってしまっているのでしょう。
犯罪の捜査で「誰がやったのか?」の質問に対して「やったのは犯人です」と答えているようなレベルに思えます。

「指導力とは何か?」の問いに対し、読解力も指導力の一部であると同様に、伝える力も指導力の大切な一部であると考えます。

非常によくできた指導案があるとします。
この指導案を忠実に実行したら、いい授業ができるかどうか考えてみます。
これは、名曲の楽譜があったとして、これを忠実に演奏したら、いい演奏になるかというのに似ていると思います。

指導案にしろ楽譜にしろ、意図をよく理解して行うのはもちろんです。
楽譜の場合はアナリーゼができているかどうかの問題です。
楽曲分析(がっきょくぶんせき)とは、その音楽がどう組み立てられているか調べる事である。アナリーゼもしくはアナリシス(それぞれドイツ語のAnalyse(分析)、英語のanalysisからきている)ともいう。
フリー百科事典「ウィキペディア」より

今回紹介したTEDのビデオは、指揮者Benjamin Zander(ベンジャミン・ザンダー)によるThe transformative power of classical music(クラシック音楽には人を変える力がある)ですが、現役のプロの指揮者ですから、音楽の知識や技能も高いものを持っています。
この講座が人気を呼んだのは、そういう彼の知識や技能に加えて、伝えたいという情熱とユーモアが大きな力を持っていることです。

教師が教科の専門知識を持っていることは当たり前ですが、伝えようとする情熱とユーモアがなかったら、児童生徒の心をひきつけることはできないと思うのです。
経験を積んで、慣れから、つい冷めた授業をやってしまう人より、不器用でも熱の入った人の授業の方が成果を上げるように思います。

演奏も、プロは上手ですが、おもしろくないとの批評されるのは、慣れっこから熱の入らない、感動のない演奏をしてしまうときです。
技術は劣ってもアマチュアの演奏が好きだと言われるのは、冷めたプロの演奏にないものがあるからでしょう。

参考サイト:http://www.nhk.or.jp/superpresentation/backnumber/131104.html
http://www.nhk.or.jp/superpresentation/


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2013年11月10日

大切な基礎学力〜読解力

安易に学力という言葉使われる割には「それ、学力ですか?」と問いたいような意見もある。
今回は、学力とは何かということには触れないが、読解力は学力のうちでももっとも重要、あるいは学力を支える力として最も大切なものと考えて、意見を述べたいと思う。

学校の先生にあっては、児童生徒の作文を読むという機会が多いと思うが、その内容が正しく読み取れなかったら何も始まらないと言えるだろう。というか、児童生徒にとっては正しい評価を得られないことになる。
作文コンクールの審査だったら言うに及ばずである。
だから、教員採用試験では読解力の重みを大きくすべきだと思う。

私たちの実生活においても「説明を読む」と言うことは多い。
また、説明を読むと同じぐらい大切なものに「人の話を聞いて、内容を正しく受け取る」ということ、つまり「聞く力」も大切である。

議論をする前に「そんなことは書いてない」とか「そんなことは言っていない」と言われるようでは、議論そのものが始まらない。
以前、人として当たり前に備えるべきロジックが異常だったら危険だというようなことを書いた。
もっとはっきり言えば、頭がおかしいということだ。
読解力がおかしいのは、頭のロジック回路がおかしいからだと考えられる。

読解力が正常かどうかをみるには、実際の文章を読ませて、要旨を言わせてみるとよい。
例えば、ネットにはたくさんのブログがあるので、それを読み合って、あるいは読ませてみて、要旨を言わせてみるとよいだろう。
たとえば、前回の私のブログの記事単純になる仕事を題材にしてもよい。

この文章の要旨を書いてみると以下のようになる。

1.企業は競争のために、生産効率を上げようとして人件費節約に走る。
2.必要な時に必要なだけ人を雇いたいので、雇用しやすく解雇しやすい形を求める。
3.そのためには誰でもすぐできる簡単な仕事にまで分解する必要があるので、必然的に仕事は単純化に向かう。
4.その結果、長期雇用となる正社員は少なくなる。
5.こういう社会の現実は学校教育が個性を大切にするという方向と相容れないものになっている。


この要旨の中でも中心的なものは、3の「誰でもすぐできる簡単な仕事にまで分解する必要があるので、必然的に仕事は単純化に向かう」というところである。

つまり、思考力(知能)を必要としない社会化への不安を書いている。

koderaさんが、この不安を払拭するには自営業がいいとのコメントをくださった。
確かに、若者は学校を卒業すると、どこかの会社に雇ってもらうということが当たり前の考えになってしまっているのかもしれない。

「雇ってもらうのが当たり前ではなく、自ら起業する」という考えももつべきであり、政治も起業しやすい環境を整えるべきであると思う。

つい先日、facebookの創業者をもとにした映画を放映していた。
facebookはネット時代をうまく取り入れた仕組みである。
facebookの時価総額は上場時、日本円にして8兆円を超えている。

資源国のアメリカから、マイクロソフトのビル・ゲイツやfacebookの マーク・ザッカーバーグのようなソフトウエアの寵児が登場するのに、資源のない日本でそういう人物が表れないのはどうしてだろう。
私の思うところでは、日本では相変わらず点取りの受験に青春時代のエネルギーを閉じ込めているからだと思う。
これは政策が間違っているせいだと思う。

主題から脱線してしまったが、何をやるにしてもコミュニケーションの道具としての国語は基本であるし、中でも人の書いたもの、言うことを正しく理解できる能力が最も大切であることを、再度強調しておきたい。


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posted by edlwiss at 17:07 | Comment(6) | TrackBack(0) | 教育研究

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