2014年05月30日

プレゼンテーションをテレビから学ぶ

koregabuturi.jpgはじめにプレゼンテーションの意味を確認しておこう。
プレゼンテーション (Presentation) とは、情報伝達手段の一種で、聴衆に対して情報を提示し、理解・納得を得る行為を指す。略してプレゼンとも呼称される。フリー百科事典「ウィキペディア」

プレゼンテーションの意味を確認したのは、プレゼンテーションとはPowerPointを使って、プロジェクターに投影する姿を想像する人がいるのではないかと思ったからである。
私がかねてから注意したいと言ってきたのは、つい、言葉の意味を勝手にイメージして勝手な意味づけをしてしまうという過ちをおかしやすいと思ったからである。
特に、人に何かを教える立場なら、余計に気をつけなければならない。

プレゼンテーション(以下「プレゼン」と略す)の意味で、最も大切な部分は「聴衆に対して情報を提示し、理解・納得を得る行為を指す」というところである。
教師なら最も効果的なプレゼンは何かと追求しつづけることは、永遠の課題と言ってよい。

近年、コンピュータが発達したために、ついコンピュータを使ってということがプレゼンであるかのように思う人もいるかも知れない。

■テレビがどんなプレゼンをしているか意識してみる

テレビ局は、どんなプレゼンをしたらいいかということを、専門のチームで常に考えている。
また、そのアイデアを現実のものに作り上げる専門のスタッフもいるし、制作には、少しオーバーな言い方をすれば「金にはいとめをつけない」といったところがある。

そんな環境にあるテレビ局が、うらやましく感じることはしばしばである。

E-テレの高校講座にはアイデアがあふれていて、いいと思ったことは何でもやってしまうと思えることがある。
過去の化学の授業で、イオン化傾向の分野だったと思うが、金は最も安定した金属であるが王水(濃塩酸と濃硝酸とを3:1の体積比で混合してできる)だけには溶けると説明し、実際に金を溶かす実験をやっていた。
物理の実験では、クレーン車をスタジオに持ち込んでやっていたこともある。

habato.jpgPowerPointが活躍しているといっても、これが万能ではない。
投影するより模型の方がいい場合がある。
だから、テレビでのプレゼンを見ていると、模型がよく登場する。
最近は天気予報の説明に、模型を使うことも多い。

スマートさから言ったら、PowerPointや動画の方がいいだろうが、わざわざ不器用にも思える模型を使うのは、聴衆(視聴者)に与える印象がちがうからである。
だから、先生が作った模型の方が子どもには受ける場合がある。
どうプレゼンを考えるかは、先生のセンスにかかっていると言える。

いつも、おもしろいと感じる番組にNHK総合の「ためしてガッテン」がある。
この番組はプレゼンには滅多にプレゼンテーションソフトを使わない。
というか、全くないと言えるのではないか。

すべて模型でやっている。
プレゼンテーションソフトより、模型作りの方が大変であるが、あえて模型を使っている。
その模型にユーモアのあるところが、視聴者に対する印象を深めている。

マサチューセッツ工科大学の物理の教授の授業もおもしろい。
この授業では全くプレゼンテーションソフトは使われない。
教授のアイデアによる、日常に存在するモノを使った実験である。
やはり、ユーモアがあって学生たちの笑い声が絶えない。
難しい物理の理論を親しみやすく説明している。
実験の様子は学生たちの心に、深く刻まれることだろう。

■まとめ

優れたプレゼンの共通点はユーモアである。

プレゼンは便利や合理的優先主義ではいけない。

聴衆の立場に立って、如何に心に残るプレゼンをするかである。

そのヒントはユーモアと言えるのではないか。


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2014年05月30日

パイロットランプは何のためにあるか?

パソコンに関するトラブルで、電話がかかってきて応対に困るのがパイロットランプである。
インターネットが関わるトラブルでは、モデムやルーターについているLED、つまりパイロットランプの状態を、はじめに知りたい。

ところが
「モデム?ルーター?って何ですか?」
という具合。

rooter.jpg


インターネットを使っているのに、モデムやルーターに関心のない人は多い。

机の下や扉付きの戸棚にしまっている人もいて、通風が悪く、機械にとってよくない環境である。
だいたい、通風口のある機械はそこが放熱口なので、塞がれると加熱して故障することがある。
ノートパソコンの下に座布団を敷いて、ノートパソコンをダメにした人もいる。

パイロットランプがあるものは、動作状態を監視するためについているので、常に見えるように配置することが望ましい。

関心はなくても、少しは仕組みに関心を持ってもらいたいものだ。
でないと、電話での応対はクイズ番組のようになってしまう。


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2014年05月30日

足元の実践を通じて信用を高める

とかく他人のことばかりに目を向けて、批判をする世の中である。
ある国は内政の混乱を回避するために、他国の内政干渉をしているように見える。
こう見てくると、構図はどちらも同じである。

他人の批判は大いに結構。
だが、他人の批判をするほど「本人はどうなの?」という跳ね返りがあることは必須である。

保護者にしてみれば、他の世界の批判を聞いたところで、最も気になるのは「我が先生」である。

あれほど他人の批判をするのだから、うちの先生はすごいに違いないと思うのが人情だと思うが、他人の批判ばかりしているのに、ウチの先生はさっぱり実践報告がないとなれば、不安を抱くようになるだろう。


参観授業に出席する人の中には、そういう不安と期待を秘めて出席する人もいるだろう。
その後の信用は、ズバリ参観授業次第である。
参観授業は特別な環境のもとであるから、普段とは多少なりとも違うだろうが、それでも、ウチの先生は期待通りだったかどうかは参観授業から見て取ることはできる。

他人の批判はいい。
だが、批判をすればするほど「ウチの先生は?」という気持ちは、表に声として出さずとも、強くなるだろうと思う。
だから、足元を固めることは大切である。


最近はモンペア(モンスターペアレント)がとかく話題になるが、大体のモンペアはうるさいだけで、浅いし、問題ではない。
しかし、よい意味で本当に手強いのは静かな保護者であると思う。
こういう保護者は、普段は目立たないが、いざと言うときは強力な支援者となる。
私自身身を持って経験している。

教育実践は派手で目立つことをすることではない。
静かな保護者たちの支持を得ることである。

なかなか大変なことであるが、学級通信を出している先生は、静かな保護者たちに人気があるような気がする。
簡単な学級通信でも、子どもや保護者はよく読んでいる。


私は学級通信に救われた思い出がある。
自殺未遂事件が起こった時、当事者の生徒が「ぼくたちの先生はそんなんじゃない」と発言したことで、一気に保護者たちの態度が変わったことがある。

私自身は全く意識にはなかったことだが、生徒はいつも通信を読んでいて、その内容から教師の心を察していたのである。
私自身は、生徒の受けを狙って書いた浮いた記事を書いた覚えはない。
だが、生徒は表面的な文字でなく、真相や本音を探っていたのである。
子どもだからと舐めた記事を書くことはできない。
通信は真剣勝負である。

他人のあら探しや批判をする以上、それが自分に向けられた時、それ以上に自分の実践は応えられるものでなくてはならない。
言うまでもなく、当然のことではあるが。

学級通信を書きましょう。

ブログが書ける人なら、大したことではないでしょう。
何なら、ブログと同じものを学級通信にすればいいだけのこと。


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2014年05月28日

操作だけを覚えることが勉強か?

パソコンを教えて欲しいという人は多いが、近年、特に強く感じることは、操作だけにしか関心がないとということである。
別に、その人がそれでよければ、それでよいとも言えるが、同じようなことを何度も教えなければならないことになる。

何度も教えることが嫌だということではないが、同じものなのに少しデザインやボタンの配置が変わっただけで、わからない人には別物になってしまうのだろうかと思う。

これは何だか変な現象だと感じていたが、変と感じるのは「これは勉強ではないのでは」ということである。
さらに「なぜ勉強と感じない」と思うのかを考えてみたら。

勉強は「転移」を考えて(期待)する、ということが欠落しているのだと気がついた。

転移を考えて勉強の計画(学習計画)を立てるのは、教育学の基本である。

それでは、学校は教育をするところだが、教育はあるのか?という疑問を感じるようになった。
学習計画なるものはあるだろう。印刷物としてだが。
でも、学習計画なる印刷物はあっても、教育がなければ「仏作って魂入れず」と同じではないか。

■受験勉強に毒されてきた学校

戦後学校教育が大きく変わったのは、学歴偏重であると思う。
外人から「日本は学歴という階級がある」と言われたが、この言葉は日本の社会を一言でよく表していると思う。
近年、学歴偏重は崩れてきたとも言われるが、依然として根強いものがある。
地域によっては「○○高校を卒業しなければ、縁談もない」と言われるところすら存在する。

学歴偏重は日本人の心を強く支配してきたと言えるのかも知れない。
いや、もうゾンビに犯されたように、自身がやっている学歴偏重に染まっていて、一過性の点取りが勉強であると信じて疑わない人が多くなったのかも知れない。

私は中学生のころ、自分は将来どういう大人にと考えるようになって、いろいろ考えるうちに「受験勉強に振り回される人生は嫌だ」と思い始めた。
もっとも、貧乏な母子家庭だったから、進学などどうでもよいと思っていた。
それが、突然、入学試験を受けてみようと思った時、もう3ヶ月ほど先が試験日だったが「点さえ取ればいいだろう」と半ば入試をバカにした気持ちで点取虫になった。
この経験を通じて「点さえ取ればいい」という、自己流の受験対策法を身につけたと思っている。

入試がばかばかしい一過性のものだと思っていた、私の考えは大学に入ってから見事当たっていた。
入試のための勉強で、入学後役立ったものは何もない。

役立ったものは、小学生頃からやっていた「ハンダ付け」の技術である。
理数系の実習で、電気回路を組み立てるハンダ付けの技術はとても大切なものである。

同級生は実習ではハンダ付けに右往左往していた。
その度に、私は受験ゾンビに汚染されなくてよかったと思った。
先生も私の実習態度を見て、特別目をかけていただいたように思う。

こう書いてくると、気がついていただける人がいるかも知れない。

成績がいいとか、学力がついたと言っているのは、私の言う「真の成績」や「真の学力」ではなく、一過性の中間テストや期末テストの点で判断しているのではないかということである。

学んで力となるのは、学んだ経験ではなく、永続的に身についた力ではないか?
本来、そういうものを学力と呼ぶべきではないか?

モーツアルトを演奏する力は、一過性の効果を狙った勉強でつくものではない。


学校が本来の教育や勉強を一過性の効果だけを狙う試験のために捨てたことが、今、操作だけにしか関心がないという人を育ててきたのではないか。
それで、日本人は急速に頭が悪くなっているような気がする。

■パソコンを教えていて変だと思うこと

これも多いのだが、パソコンを買ってきてから、教えてほしいという人が多いこと。
そして、教えているうちに「買う前に相談するとよかったですね」という言葉が、ほぼ間違いなく出てくる。

パソコンという名前を知っているだけで、自分で選んで買ってくるという現象は不思議だ。

「あなたは、このパソコンをどうして選んだんですか?」

と聞くと「さあ?」である。

もう一つ不思議に思うのは、パソコンを手探りで覚えていこうとしていることである。
もちろん、学び方で、手探り、つまり試行錯誤で学んでよいものもある。

しかし、パソコンの場合、何の仕組みもわかっていないという出発点から始めるので、買ったばかりのパソコンがめちゃくちゃになっている。
Windowsがなかったころは、命令語を知らないと、何も操作できなかったので、めちゃくちゃにはならなかったが、今はマウスでクリックできるという安易な操作ができるようになったので、惨憺たる状態になる。

大体、終了に時間がかかっているパソコンは、中がひどい状態になっていると考えてよいだろう。


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パソコンを操作するとき、中ではどんなことが起こっているか、およそでも考えるような教育をしなければ、日本人の能力は弱体化するのではないか。
また、そうでなければ、人はどんどんロボットに置き換えられてしまうような気がする。
もっとも、霞ヶ関の人たちからすれば、国民があまり利口になることは望ましくないのかも知れないが。


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2014年05月28日

パソコンは難しいのか

パソコンは難しいという言葉はよく聞きます。
しかし、難しいと言われることの多くは、パソコンの難しさではないと感じています。

気が利かない人のことを「言われたことしかやらない」と言いますが、まさにパソコンは命令されたことしかやりません
まだ何も知らない子どものようと言えます。

「お茶を入れてくれない?」

と言えば、普通の人間なら

湯はあるか?
お茶の葉はどこに?
急須は?
茶碗は?

といったことを自分なりに考えてやります。

だけど、パソコンの場合は、人間に例えた場合、お茶を入れた経験がないので、何も知りません。
だから、お茶の入れ方をこと細かに、すべての工程を教えなければなりません。

パソコンがわからないという人の場合「私は何もしないけど・・・となってしまった」という人がいますが、それは何もしなかったのではなく「何かをした」のです。
「何もしない」と言った人は「何もしなかった」つもりになっているだけで、パソコンは忠実に命令を実効しているわけです。
人間なら「私の主人は、こんなことを命令するはずはない」と気を利かしたりしますが、パソコンはそんな融通をきかしません。

パソコンこそ5W1Hの感覚が必要だと思います。

何を・・・文字を
どのように・・・全角で、明朝体で、24ポイントで
どこから・・・左端から

と、必要な要素はみな命令しなければならないと心得ておくべきでしょう。

しかし、すべての要素を命令しておかなければいけないとなると、大変なので「何も命令がなかったら、こういう風にしておこう」という準備はあります。
これをデフォルトと言っています。
例えば、ワープロなら、ユーザーがいきなりワープロソフトを起動し、文字をタイプし始めたら左上から11ポイントの明朝体でという風に準備してあるわけです。

「急に小さな字になっちゃったんです」
と不平を言った人がいますが、それは何かの拍子に文字の指定を小さな字にしたのです。
マウスで行ったのか、ショートカットキーで行ったのかはわかりません。

いずれにしろ、自分の思うようにならないと、パソコンのせいだと不平を言う人は多いと感じます。
パソコンは忠実に命令を実行しているのですが。

パソコンの使い方で、その人のわがまま度がわかるような気もします。

「パソコンが難しい」といえば、文字通り解釈すれば、パソコンそのものの仕組みのことを言っているとも解釈できます。
だったら、パソコンが難しいというのも理解できます。
しかし、パソコンとしては、命令されたことは忠実に実行しますよと待ち構えているわけで、使い方を理解して使えば、パソコンは非常に便利なものと言えます。


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2014年05月27日

システム化できない会社

納品書、請求書、領収書などの発行システムは、今の会社では当たり前にプログラムでやっている。
どこまで業務を自動化できるかは、利益に影響してくる。だが、業務の流れの中で「ここはどういう根拠に基づいて判定しているか」が不明な箇所は自動化できない。
どうするかは、その時の社長の気分次第というのがそうだ。

学校でも、教師が気分次第で判断に一貫性がないと、児童・生徒の動きは悪くなるというか自主性は育たない。
勝手に動くと叱られるのではないかという心理も働くだろう。
「誰の許可を得てやったのだ」
「勝手なことをするな」
など専制君主的な教師のもとでは、じっとしているしかない。

しかし「いいことをやるじゃない」などと一貫性をもって褒めたりしていると、先生はどういう時に認めてくれて、どういう時にはいけないということが身についていく。
道徳を意識しなくても、道徳性も育っていくだろう。
さらに、好きな先生だったら、なおのこと先生が喜んでくれる行動をするようになる。

これは、小学生でも中学生でも同じだ。
いや、会社内でも同じことが言えるということは、大人も同じだ。

機械ではなくても、あたかも人がシステム化されたように動くのは、リーダー次第と言えそうだ。
リーダーがコンピュータを知らなくても、リーダーの頭がシステム的思考なら、システムエンジニアがフローチャートを書くのは容易だろう。

一度だけ小学校三年生を担任したことがあったが、会議が少し長引いて授業に遅れてしまった時、教室に行ったら子どもがピアノを弾き、いつも先生がやるように全員で歌っていた。
「すばらしいね」
と言うと
「○○ちゃんのピアノ、先生より上手だよ」
と言っていた。

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2014年05月26日

読んで心地よい批判を書く

厳しいことを言うが好かれる人と言うのは、人間味を感じる人。
人間味とは相手への思いやりである。
同時に、相手の向上を願っていること。

子ども対象の音楽コンクールでは、審査員がうまく批評している。
よかった点を褒め、さらに、どうするとよくなるかを言っている。
これは、観客が聞いていても心地よい。

もちろん、ただ褒めればよいというものではない。
さすが専門家と感じられる褒めかたをしなければならない。

こういうところを、私も見習おうと思って、ある人に「褒めることは大切だ」と言ったら。
「やたらに褒めてもだめだ」
という返事が返ってきた。


rouzin.jpg
この人は勘違いしている。
何にもわかっていない人が褒めたところで、褒める効果は起こらない。
「間違えたのに、よくできましたね」
と言うから、あの先生は嫌だと言っていたのは、ピアノを習っていた中学生だった。

私の経験での話だが、中学生は大体において、厳しい先生が好きのようである。
それは、自分が上達したいと思っているから、よくないところ見て、よい方向に導いてくれる先生を求めていると考えられるからだ。

しかし、こういう話もあった。
「うちの娘は、あの先生の時から全くピアノを弾かなくなった」
という話だ。

それは、その先生が厳しすぎたという話ではない。
先生から下手と言われて、怒る生徒はそうはいない。
なぜなら、自分をうまくするために言ってくれていると感じるからだ。

私自身の経験だが、生徒の前で(私の指揮が)「指揮が0点だな」と言った先生がいる。
この時、私は「先生は私に期待をかけている」と感じた。
なぜなら、だめだと思ったら、適当に褒めて帰ればいいからだ。
その辺の成り行きは、先生と私の過去のつながりもわかっていないと、理解できないかも知れない。

話はピアのを弾かなくなったある人の娘に戻る。
そのピアノ先生は、その娘の人格まで否定することを言ったのだ。
こういうのは、娘に聞いてもわかりにくい。
あえて言葉にしてみると「あなた、いくら練習しても、あなたにはピアノは似合わないわよ」なんて言い方をされたということ。

楽器というのは相性があるように思う。
いくら練習しても、あまり伸びが感じられないとき、別の楽器の方がいいかなと思うことがある。
プロ野球でも、ピッチャーとして入団したが、コーチが打者でいく方がいいじゃないかと思うときである。

そういうのは、本人もコーチ(先生)の気持ちがわかる。

■表面的な言葉面(ことばづら)でごまかしてはいけない

一番悪質なのは、まるで相手の不幸を喜んでいるかのような言い方だ。
「あいつなんか、○○になってしまえばいいんだ」
という言い方は、かえってあっさりしていて、しこりがないように感じることが多い。

だが、陰湿なのは、車を買った人に
「車なんか運転すると事故を起こすぞ」
という言い方。
事故の心配をしているのではなく、やっと車を買った人の喜びを半減させようというやっかみだ。

車を運転すれば事故を起こすという確率はゼロではない。
だから、車を運転する人は多少なりとも、事故の不安を心に秘めている。

だから「私、車を買ったけど、運転が下手だから事故を起こさないか心配です」と言ったら
「スピードを出しすぎず、車間距離をとれば大丈夫だよ」
と言ってあげるべきだ。

しかし、なかなかそう言えない人は、心の底に不幸を背負ってしまっているから、他人が幸せそうにしていると腹が立ってしょうがないのだ。

不思議なもので、頻繁に事故が起こる場所があって、霊媒師によると、過去に事故で亡くなった人の霊がさまよっていて、人を引き込もうとするからだという。

他人を不幸に陥れようとする人は、こういう霊(悪霊)のようなものだ。

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「あんなに厳しいことを言って・・・」と感じても、結局、相手を思いやっていると感じられる批判はいいものだ。
教師は「厳しいけど好きだ」と言われる人がいいのだろう。


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2014年05月24日

発表する前に、何を根拠にしているか考えてみる

自分が想像したことを話したり、文章にする前に、なぜそう思うのか考えてみることは大切と思っています。

毎日、ニュースで事件が報道されますが、容疑者が逮捕されたというニュースを聞くと、容疑者を直ちに犯人と思ってしまうことはないでしょうか?
容疑者の段階では犯人と決まっていません。裁判が行われ、判決によって、有罪、無罪が決まるわけです。

容疑者として逮捕されたが、裁判によって無罪になった人は何人もいます。
有罪となり刑に服してからも、再審により無罪になった人もいます。
一度は死刑判決を受けたが、再審で無罪になった人もいます。
これは刑事事件の例ですが、想像で結論を出すことの、難しさ、危険性を考えさせられる問題です。

人には感情がありますが、感情に支配されてしまって客観性を失うことは、学校の教師にあっては特に気をつけなければならないことと思います。

hennnahito.jpg「放射能は燃やせばなくなる」と発言した人は、いかなる根拠からそう発言したのでしょう?
口から言葉が出る前に、自分の思ったことは正しいのかという心の余裕があったら、こういう発言でバカにされなかったかも知れません。
少なくとも「燃やせばなくなるのでしょうか?」にとどめておけば、恥をかくまでには至らなかったかも知れません。

私が5W1Hを大切にしようというのも、何の根拠もなく断定的にモノを言うことをやめ「なぜ自分はこう言いたいんだろう?」と考える習慣をつけようと言いたいからです。
根拠なく断定するからバカにされるのだとも言えるのではないでしょうか。

悪事千里を走るの言葉のように「先生のおかしい発言」はたちまち学校中に知れ渡ると感じています。
それが保護者の井戸端会議にも波及し、ごく短い間に有名人になってしまうようです。
特に「おかしな発言」は伝達速度が速いようです。

昔なら、井戸端会議の範囲だけであったものが、このネット時代では、ネットじゅうを駆け巡ることもあります。
有名な「2ちゃんねる」のネタになっているものもあります。

まあ、良し悪しに関係なく有名人になれば、ブログのアクセス数も増え、それも本人にとっては喜びかも知れませんが「変人が、今度はどんなおかしいことを言うのか」という目で見られているとしたら、教員の信用低下を一生懸命やっているようなものです。

有名になるなら、奇人変人で有名ということに、なりたくないものです。


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2014年05月23日

プレゼンテーションのハードウエア

プレゼンテーションという概念の整理で示した構図を実現するには、ハードウェアの力を借りなければならない。
ハードウェアも含めた全体像は次のようになる。

prezen_harad_soft.jpg


DTP (DeskTop Publishing)= デスクトップパブリッシングはコンピュータ(パソコン)で出版物の版下を作るが、その時使うソフトが図を描くためのイラストレーター、写真などを編集するフォトショップ、文章を書くテキストエディターで、これらをまとめる(統合する)ソフトとしてクォークイクスプレスまたはインデザインがある。
DTPの技術を確立するのに、大きく貢献したのがAdobe社で、特にPostScript(ポストスクリプト)の技術を開発した功績は大きい。

プレゼンテーションの世界では、これと似た構図がある。
文章、図、写真、音声、動画等を統合する役目がPowerPointで、PowerPointにより有機的なプレゼンテーションができる。
私が参加する講習会では必ずと言っていいぐらいPowerPointが利用されているが、PowerPointの優れた機能の一つに、PowerPointを使って投影する画面をそっくりページ付きで印刷できることがある。
(この機能を学校で使っている場面を見たことはない)

PowerPointを使うハードウエアとしては、具体的には教師がPowerPointを駆使する環境にて一例を紹介した。

一太郎というワープロソフトがある。
このソフトの人気が高まっている頃、一太郎とはパソコンのことだと思っていた人がいた。
今日、そんな人はいないと思うが、PowerPointがプレゼンテーションをやってくれるソフトだと思ったり、近年流行りのiPadやAndoroidなどのタブレットとPowerPointを同格のものと思っているような混乱ぶりをみると、一太郎とパソコンの区別がつかない人を笑うことはできないだろう。

目下、PowerPointを使ってプレゼンテーションができるハードウエアは、Windows、MacOSが走るパソコン以外は存在しない(※)。
PowerPointと同じ働きをするソフトにはLibreOfficeがある。
PowerPointと互換性があるし無料なので大いに利用すればよいが、動くのはWindows、Linux、MacintoshなどのOS上で、タブレット上では動かない。

タブレットは文字、図、写真、音声、動画等を単独で動かすことはできるが、それらを統合したプレゼンテーションはできない。
(もしできるという人がいたら、ぜひ実演を見せてもらいたいものだ)

■スマホやタブレットに過剰な期待をしないこと

これらのメリットは携帯性とインターネット(ネット)に繋がることで、いわゆる端末としての役割に部があるだけと言ってよい。
よく仕事をやっている人、特に出張の多い人はできるだけ小型で、仕事のできるパソコンを求めている。
軽量でネットに繋がるということで、タブレットに期待した人もいるが、もともと仕事ができる機械ではないので、結局パソコンに戻っている。

だから、軽量でネットに繋がるパソコンが仕事をする人には人気がある。
メーカーも小型軽量、バッテリーの持ちがよいパソコンの開発に力を入れていて、暑さ25mm以下のノートパソコンをウルトラブックと言うが、今後ますますウルトラブックの人気が高まると予想される。
バッテリーの持続時間もメーカー発表で30時間というものもある。

プレゼンテーション能力を高めることは、教員にとって、ますます必須のものになるだろうが、教わるなら実際に行っている人に聞くことが大切と思う。

※ タブレットでやってみようとしている人がいないわけではないが、パソコンのようにはいかないのが実情。

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2014年05月22日

プレゼンテーションという概念の整理

「プレゼンテーション」と言っただけで、混乱した意見が次々と飛び出してくるのには、うんざりすることがある。
その主要な原因は「言葉の意味を」自分勝手に作って言うことにある。
教師はモノを教える立場だから、もちろんそういうことがあってはいけない。
ただ、教えを受ける者が全く受け身ではない場合は、教師の言葉を鵜呑みにしてくれるとは限らない。
子どもの場合、教師の言葉をありがたく承る年齢は小学校低学年ぐらいまでだろう。
小学校高学年から、中学生になってくると、批判的に聞くようにもなってくる。
相手が子どもだと思って舐めていると、子どもの方が知識が優っていて、教師の方がバカにされていることもある。

人は時として間違ったことを言うことがある。子どもだってそのぐらいは理解しているので、教師が間違えてもその辺は許容範囲になる。
だが、いつまでも、ひどく時代遅れのようなことを言っていたり、権威でに間違いを押しきろうとすると、軽蔑に変わってくる。
これは、私が妄想で言っているのではない。
子どもが集まると、盛んに「おもしろい先生(?)」の話をするからだ。

「プレゼンテーション」と聞くと何を想像するだろう?
子どもに質問されたら、正しく答えられるか?
これは、他人に言っているのではない。
日頃、よく耳にする言葉を、時に「どういう意味だろう」と自問自答することにしているからだ。
自答してみてから調べてみる。
そこで「プレゼンテーション」とは?
英語で、「表現」「提示」「紹介」という意味。広告業界では「プレゼン」という略語で早くから浸透している。同業界では、クライアントに対する自社の経歴や作品の提示のほか、広告活動に関する計画、表現戦略の提案など、幅広い解釈でプレゼンという言葉を用いている。いずれにしても、視覚伝達手段の一種であるプレゼンテーションの本質は、自らの意思を他者に伝達するために表現・提示することであり、デザイン業務には不可欠である。ちなみにプレゼンテーションの表現手段としては、スケッチ、図表、図などの二次元的手法のほか、モックアップ(模型)などによる三次元的手法がある。
( 武正秀治 多摩美術大学教授 )ことバンク


改めて大切な言葉を確認すると、表現提示紹介である。
そして、視覚伝達手段の一種であるプレゼンテーションの本質は、自らの意思を他者に伝達するために表現・提示することであるとの説明が大切なところ。

presentationの意味には、紹介,披露,発表,提示.発表[提示]の仕方,体裁.演出,上演,上映,公開といったものがある。

つまり、プレゼンテーションとは、人に何かを説明したいと言うとき、資料として提示する手段を言い、通常プレゼンテーションを問題にするときは、効果的な方法を模索していると言ってよいと思う。

近年、Microsoft Power Pointが話題にのぼるのは、プレゼンテーションのツールとして、認められてきたからと考えられる。
(人によっては、プレゼンテーションと聞いただけで、とんでもない妄想に突っ走って、それがあまりにもすごいので、笑いのネタにされている場合がある。)

プレゼンテーションのツールとしてPower Pointを使おうとするとき、どんなものに習熟している必要があるかを、私なりに図にまとめてみた。

prezen_matome.jpg


この説明は、次回にゆずることにする。
ご意見のある方は、よろしくお願いします。

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2014年05月21日

バカなことを言うからバカにされる

放射能は燃やせばなくなると発言して、バカにされている著名人がいるらしい。
本人はバカにされて怒っているのだろうが、バカにしている人が悪いのだろうか?

■バカにされて怒る前に自分でやってみればよい

バカにされて怒るぐらいなら、自分でやってみればよい。
放射能を燃やしてみて、確かに消滅したということを証明すればよい。
それができないなら、黙って黙々と自分のペースで研究を続ければよいだけのことだ。

歴史的にみても、天才のやることには、一般人では理解できないので、不遇だった人は多い。
しかし、後になって価値が証明され、天才の偉大さを知ったということを人類は繰り返してきた。

■自分の言うことに自信があるなら、他人の言葉など問題ではない

バカにされて怒るというのは、何に怒っているのだろう?
自分をバカにしたということそのものに怒っているのか、理解できない者のバカさを怒っているのか?

自分の主張に自信があるのなら、その怒りは後者の方だろう。

■教師も自分でやってみてから主張しよう

「さすが先生」という言葉があるが、先生である限り、生徒から直接そう言われないまでも、心に感じさせることは大切だろう。

時に生徒は「そんなことはできないだろう。先生は口で言うだけだ」と思っている(らしい)ことがある。
「先生、そういうけどね、そんなに簡単じゃないんだよ」
という表情を感じることがある。

そんな時、先生がやってみせるというのは説得力がある。
どんな教科でもできることではないと思うが、ピアノの先生なら、弾いてみせるということで、生徒は「恐れ入りました」という気持ちになる。

私が中学生の時、授業後、毎日、理科室へ行き水槽の「どじょう」を観察していた先生がいて、その熱の入りようから変人扱いを受けていた。
オス、メスの「どじょう」を飼っていて、いったい何をやっているのか私は知らなかったが、やがて、その先生のことを「スケベ○○」とか生徒たちが言うようになった。
そんなことに、先生はいっこうにおかまいなしだった。

その後、先生のことが、新聞にかなり大きな記事で出ていた。
先生の研究に、大学から博士号が送られたのだ。

生徒たちの気持ちが尊敬に変わっていったのは言うまでもない。
一時ではあるが、その先生に教わった時期がある私にとっても、誇らしいものがある。

とてもすばらしい先生の教えと言える。
私は、それ以来、自分に怠け心が出たとき先生を思い出して、戒めている。
先生は私にとって、永遠の先生である。

やっていることが本物なら、誰が何と言おうと平気ではないか。

「放射能は燃やして消滅できる」と言った(大)先生、やってみせてください。


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2014年05月20日

数字ではわからない物理特性

人間に聞こえる周波数帯域は20Hz〜20000Hzと言われている。
そのため、CDの規格は人の耳で聞こえる範囲でよいということで、20Hz〜20000Hzとされた。
オーディオシステムも、同じように20Hz〜20000Hzを再生できればよいと考えて、開発された。

もう30年ぐらい前になるが、懇意にしていたオーデイオ販売店から、スピーカーを紹介された。
次の写真(上に乗っているもの)。

super_tweeter.jpg


ちょっと奇妙な形をしているが、スピーカーである。
このスピーカー、なんと高域の限界再生周波数が150000Hzである。

店員が、これいいですよと勧めた。
人間の耳には、最高20000Hzまでしか聞こえないので、無駄だろうと思っていた私は興味を示さなかった。
すると、店員は、貸し出しをしますからと言ったので、お言葉に甘えて自宅に持ち帰った。

オーデイオの世界には、マニアの心理をついた、わけのわからないものが登場することがある。
変なものが驚くほど高いのだが、耳が悪いと思われたくないとの見栄で大枚をはたく人もいる。
まさに裸の王様である。
ちなみに、私はマニアではないので、そういう心理作戦には乗らない。

さて借りてきたこのスピーカー、1個の値段が、当時は高級スピーカーが買えるほどの値段であった。
さらさら買う気はなかったが、一応試してみるかということで、つないでみた。

ところが、聴いているうちに無駄と思われる超高音を再生するこのスピーカーを追加すると、明らかに音が変わった。

音を言葉で表すのは難しい面もあるが、その効果とは、高音がきれいで聴きやすくなった、全体に透明感が出て、音の見通しがよくなり、オーケストラの楽器は配置がぴったりと決まる。
それだけではなく、低音まで元気になるのには驚いた。

私の耳は最高16000Hzまでしか聞こえない。
だから、このスピーカーを追加することは全く無駄なことと考えたのだが、事実は違うのである。

音が魅力的にグレードアップしたので、借りたスピーカーを返したくなくなってきた。
それで、なんとかお金を工面して買い取ることにした。
見事、店員の作戦にはまったというべきだろう。

我が家に訪れる人は、このスピーカーをみると「これ何ですか?」と言う「スピーカーです」と言うと、耳をちかづけて「何だ、何も聞こえないじゃないですか?」と言う。
確かに、私も耳を近づけてみるが、聞こえない。
それで、必要ないのではと思って外してみる。
すると、確かに音は淋しくなる。

「聞こえない」という客の多くも、効果は感じている。
それは「透明感がありますね」とか「楽器の配置がよくわかりますね」というからだ。

このように超高域を再生するスピーカーのことを、スーパーツィーターというのだが、普通の高音スピーカー(ツィーター)の上に足す時、バトンタッチする周波数をクロスオーバー周波数というのだが、その周波数は、試聴を繰り替えした結果、24000Hzになっている。

スーパーツィーターが受け継ぐ周波数自体が、人間の聞こえる周波数の上限を超えているというのも不思議な話だが、実践してみるとこうなるのである。

■実践は大切である

ブラックホールは、はじめは理論から導き出されたもので、後になって発見され理論の正しさが証明された。

錬金術が流行った時代に「金は男性の尿に含まれている」との説があったらしい。
それで、尿を煮詰めて金を取り出そうと実践したとか。
当然のことながら、金は取り出せなかったが、その実践を通じて「尿素」を発見するという収穫があったという。

仮説は大切だが、実践して実証してみなければ何にもならないと言えるだろう。
時に仮説は妄想になってしまうこともある。
妄想と言われなくても、実証しないことにはそう言われても仕方がないだろう。

コロンブスの世界一周の話もそうだ。

逆に、本日の話のように実践してみると、理屈では説明できない現象もある。

教育実践も、仮説では及ばない現象が起こることもあるだろう。
「教師は実践者でなければならない」という斎藤喜博の言葉が思い浮かぶ。


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2014年05月20日

プレゼンテーション能力を高めるもの

昔はプレゼンテーションと言えば、B紙を使ったり、紙芝居を作ったりが重でした。
テープレコーダーや映画を使おうと思えば、できなくはなかったのですが、毎日の授業で手軽にというわけには行きませんでした。

それが、近年は機械の進歩、インターネットの普及で、あらゆるメディアを統合して、日頃の授業で手軽に使えるようになりました。

しかし、手軽に使えると言っても、各種の技術を統合する方法を知らないことには、実現できません。
放送設備は学校には必須のものですが、毎日の放送で、それを支える人のことを考える人は、ほとんどいないのではないかと思います。
何の支障もなく運用されているのが普通で、異状があると不満の矛先だけが行くのが視聴覚担当者です。
便利な機械も、扱いに慣れている人が黒子になっていることで、有効に使われているわけです。

先のブログでは、アナログをデジタル化することに触れました(アナログをデジタルに変換する)。
これは、プレゼンテーションを支える技術の一つですが、授業者が「こうしたい、ああしたい」と考えたとき、役立ったりします。

よい授業をするには、よい指導案を考えることは大切ですが、それを実現するには、マルチメディアを自由に駆使することのできる人材が必要です。

授業者一人がそういったことにも精通しているとは限りませんので、よい授業の実現にはチームで取り組むことが望ましいと思います。
このチームとは、いろいろな得意分野を持った人の集まりといことですが、一人一人が得意な人から学んでいくことも大切と思います。

例えば、最近、テープの媒体は少なくなってきたとは言え、カセットテープは根強い需要があります。
下の写真は録音テープを三種類並べてみたものです。

tape.jpg


なぜ、このように種類があるのでしょう。
もちろん、それぞれ必要があって作られたものであり、視聴覚に通じた人には理由がわかっています。
アナログの一番始めの録音音源は、一番左のテープですが、関心のない人は、真ん中のカセットテープで、録音も再生もすべて間に合うと思っているかも知れません。

私は演奏の伴奏をコンピュータで作成し、CDーRに書き込んで利用していましたが、CDプレーヤーを頻繁に持ち出すうちに、壊れてしまいました。
過酷な使用に耐えられる作りではなかったので、持たなかったと言えます。

それで、再生装置としてはSONYのWALKMANを使うことにしました。
こういう時に、WALKMANを利用する方法で、意外とつまずくのがコネクターです。
具体的には、下の写真のようなコネクターが必要です。

walkman.jpg


何だそんなことかと思う人もいるでしょうが、現実には、こういうケーブルが必要だと頭が回らないことが多いのです。

今日は「プレゼンテーション能力を高めるもの」がタイトルですが、マルチメディアの扱いに強い人を育てることは、その学校やその研究グループのプレゼンテーション能力を高めることになると言いたいわけです。

学校は担当者がいても、とかくローカルな知識になりやすいと思っています。
時には放送局へ出張で、勉強に行くぐらいのことをしてもいいのではないかと思っています。


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2014年05月18日

アナログをデジタルに変換する

アナログの映像や音声データが残っていて、それらをデジタル化したいということがあります。
一言でアナログデータと言っても、いろいろなものがありますので、ただケーブルで繋げばいいというものではありません。

■アナログレコードのデジタル化


近年、アナログレコードの人気が高まっていますが、アナログレコードの音声データをデジタル化し、i-Podやwalkmanなどのモバイル機器に転送する、あるいはCD-Rに焼くといったことが行われています。

1.出口、入り口のチェック

はじめにも言ったように、出入り口のコネクターが合うから繋げばよいというものではありません。
繋いだが音が出ないという話は、時々聞きます。

「低く出して高く受ける」が基本

この高い低いというのは、インピーダンス(交流抵抗)のことです。

hikuku_takaku.jpg


取扱い説明書を見ると、入力インピーダンス、出力インピーダンスが記載してあります。
通常は、取扱い説明書にあるつなぎ方を守れば、インピーダンス関係は問題ありません。
従って、特殊なつなぎかたをしようとする場合には注意する必要があります。

2.接続の仕方(全体像)

以下の図で示します。

recsaisei.jpg


図に示すように、A、B、Cの三通りが考えられます。
レコード針を取り付けるカートリッジのタイプにより、気をつけなければなりません。

AはカートリッジがMC型の場合です。
カートリッジの出力はヘッドアンプにつなぎ、ヘッドアンプの出力をイコライザアンプにつなぎ、イコライザの出力をアンプのPhono入力につなぎます。
BはカートリッジがMM型の場合です。
この場合は、ヘッドアンプなしで使います。

AかBかはアンプの背面を見て、MCやMMと記載があるアンプでは、ヘッドアンプとイコライザアンプを内蔵していますので、MC型はMCへMM型はMMへつなげばOKです。
また、MMとMCを切り替えスイッチで選択するようになっているアンプもあります。

amp_haimen.jpg


Cの場合は、プレーヤーにヘッドアンプとイコライザーアンプを内蔵しているものです。
下の写真のようなプレーヤーで、家電店で15000円ぐらいで売っています。
特に音質を気にしない場合は、これを使えばよいと思います。

aiwa_1_1.JPG


この場合はカートリッジの出力をアンプのPhono端子に接続するだけですみます。
もしPhonoという端子がなければ、AUX、CD、TUNERでも可です。

3.アンプからパソコンへの接続

私の場合は下の写真のオーディオシステムから、パソコンへつなぐことになります。

audio_system.jpg


左上がアナログプレーヤーで、右下から2段目のアンプの背面から、隣の部屋のパソコンにつなぎます。
この場合、普通はRCAと呼ばれるピンコードを使います。

pinplug.jpg


しかし、私の場合パソコンまで距離がありますので、キャノンコネクターと呼ばれる、平行型のコネクターを使ってつなぎます。
これは、ピンコードを長くすると途中で雑音を拾うからです。
ピンコードは、あまり長い物を使わないということが大切です。

キャノンコネクターとは次の写真のようなものです。

canon_conector.jpg


キャノンコネクターを使って、パソコンのオーディオインターフェースにつなぎます。

ua-101.JPG


これで、アナログプレーヤーの音声信号がパソコンまで届きます。

4.パソコンでアナログプレーヤーの音声信号を録音する

ケーブルでつないだだけでは、アナログ→デジタルという録音はできません。
録音用のソフトが必要です。
録音用ソフトはいろいろありますが、ここでは無料のSoundEngineFreeというソフトを使います。
無料ですが、とても素晴らしいソフトです。

http://soundengine.jp/software/soundengine/

5.録音設定

録音の設定は、CD-Rに焼く場合は16bit、44.1KHzに設定しなければなりません。

以上、ざっとアナログレコードの音声信号をデジタル信号に録音(変換)する方法を説明しましたが。
文章にしてみると、長くなると感じました。

学校では視聴覚担当の先生の分野ですが、まだこういうことをやったことのない人は、ぜひ挑戦してみてください。
やってみると「ここはどうするの?」ということが出てくるかも知れません。
そういうとき、それを乗り切っていくことで力がつくと思います。
また、放送係の生徒たちともいっしょにやれば、いい教育になると思います。

とかく、学校は教室での授業で教えるとの印象が強いと思いますが、こういう授業とはちょっと違った実践が生徒たちにはとても刺激になると思います。
生徒が先生を尊敬するときというのは、案外、こういう実践の時だと思います。

子どもは大人の思うようにならないと思うときがあります。
「公園を作ってやると、子どもはその外で遊ぶ」
と言った人がいます。

そういう意味からすると、本日の実践は、まさに「授業の外」であり、影響が大きいと思っています。


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2014年05月18日

生活習慣病

プレゼンテーションの話を続けていましたが、ここで、突然ではありますが、生活習慣病の話をします。
生活習慣病とは、糖尿病、高血圧症、動脈硬化と言った病気が食事、喫煙、飲酒、運動、休養と言った生活に深く関係することから、年齢に関係なくこう呼ばれるようになりました。

食事で気をつけることに、塩分の取りすぎがあげられますが、こういう話を何人かでしているとき、そばで聞いていたある人が

「君たち、健康に気をつけることを忘れちゃダメだぞ」

と言ってきました。

こういう思考回路が、日頃、私が問題としているものです。

「君、それじゃ飛車を取られてしまう」

と、飛車を取らせて勝つ将棋の邪魔をされているようなもの。

作文力も「書くこと」ではなく「考えること」がもとにあるわけですね。
とにかく書けば、作文に強くなるわけではない。

人はみな独自の意見を持っていいわけですが、その意見を形成する回路が故障していては、話し合い以前の問題です。

今、集団的自衛権が問題になっていますが、ある人は「戦争で解決するのではなく、外交による話し合いで解決して欲しい」と言っていました。
話し合いによる解決は、誰もが望むところだと思いますが、戦争って話し合いで解決できないから起こっているのでしょう?

「解釈を変更して」というのも奇妙な感じがしますね。
なぜ解釈を変更するのですか?
解釈って変更できるのですか?

はじめに結論ありきで、それに合わせたいので解釈を変更と言っているのではないですか?

少し法律の勉強したとき、予備校の講師が
「なぜ、こういう解釈をするのかと言うと、裁判官は始めに判決を決めておいて、判決に合うように理屈をつけるからです」
と言っていました。

憲法解釈も裁判と似ているなと思いました。

もしかしたら「解釈を変更して」は流行語大賞に?

赤信号も解釈を変更して、進んでよいとしよう。

(閑話休題)

と言うことで、生活習慣病の話というより、変な思考の話でした。


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2014年05月17日

プレゼンテーション用のカラオケを作る

DTM環境でカラオケを作ってみました。
一般のカラオケは、バックに景色や人物の動画があって、その前に歌詞が流れるというものですが、教育用としては楽譜が流れるものが便利だと思います。

まずは、私自身の練習のために作ったものを紹介します。
ブラームスの「クラリネット三重奏曲」です。
※クラリネット三重奏曲とは、クラリネット、チェロ、ピアノという編成です。

はじめに、カラオケでないものを示します。



Finaleというソフトを使って演奏させると、ここまでできます。

そして、Finaleの楽器指定で、クラリネットのパートを、音を出さない指定にすると、次のようになります。



これで完成ですが、これではFinaleがないと、このような動作をさせることができません。
そこで、これを動画に変換します。

BB FlashBackというソフトを使います。

BB FlashBackはパソコン画面の動画を通常の動画形式に変換することができるソフトです。
使い方のYouTube動画がありますので、以下に紹介します。



合唱の練習をする場合、ピアノ伴奏だけ音を出すようにすれば、楽譜を見ながら練習ができます。
さらに、ソプラノの音をなしにするなど各パートの音をなしにしたものを作っておくと便利です。
楽譜を読む練習にもなるのではと思います。


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2014年05月17日

DTMのプレゼンテーションとオーディオ環境

DTNで使うソフトはSONARの他にCUBASEも有名である。

ハードウエアとしては、コンピュータの他にプレゼンテーション用の液晶テレビなどが必要である。
(タブレットでは代用にはならない)
他に音楽を再生するハードとして、インターフェースアンプスピーカーが必要である。

・インターフェース

通常、コンピュータ(パソコン)には音声を再生するハードを装備しているが、DTM用としては貧弱なので、別途用意する。

ua-101.JPG


これは、私が使っているEDIROLUA-101

・アンプ、スピーカー

DTMでは、アンプ内蔵のスピーカーがよく使われる。
アンプ内蔵のスピーカーを「パワードスピーカー」と言う。

pm04.JPG


上の写真は私の使っている、パワードスピーカー、FOSTEXPM0.4です。
(中央の赤いものは、CANONのプリンターです)

onkyo_yamaha.JPG


上の写真は、ONKYOのプリメインアンプにYAMAHAのスピーカーですが、スピーカーは下の写真のように、ONKYOのスピーカーに切り替えられるようにもしています。
テレビの音声を出すこともできます。

onkyo_sp.JPG


このように、三種類のオーディオを使っていますが、CD-Rに書き込みをしたとき、なるべくいろいろな装置で聴いてみるためです。


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2014年05月17日

DTMのプレゼンテーション

DTMはDesk Top Musicの略で、DAW(Digital Audio Workstation)との言い方もされる。
ミュージック シーケンサー(Music Sequencer)と呼ばれるソフトを使って作曲や編曲をする。
様々な楽器のデータが組み込まれているので、それらを使って演奏が実現できる。

ICT_kankyo.jpg


私の環境では、上図のCに2台のコンピューター(Win VISTAの64bitと32bit)の64bitの方に、SONAR
というソフトが入れてある。

富田勣氏が始められた頃は、ほとんど機械で実現するしかなかたため、これだけでも数千万円必要だったが、現在はソフトウエアで実現できるので数十万円そこそこで実現できる。
次の写真を参照のこと。モニターはまだ21インチのブラウン管を使っている。

com_c.jpg


具体例として、ポーランド民謡「クラリネット ポルカ」をSONARで作成したものを紹介する。
プレゼンテーションン(表示)はBの後ろの液晶テレビで行う。



この時は液晶テレビの画面を、ビデオレコーダーで撮影したので画像が汚い。

これは制作結果だが、過程をプレゼンテーションするには、SONARをインストールするコンピュータと液晶テレビかプロジェクターが必要。


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2014年05月16日

ICTとマルチメディアの実験環境

ICTの論理が妄想とならないために、実践を重視する私としては、このような環境で行ったことをもとに発表していますという構成図を示しておきます。

ICT_kankyo.jpg


理想的とは言えないにしても、一応のことはできると言えます。
大学時代は、何か足りないと言うと、すぐに揃えていただけた先生の力に感謝しています。
今はそういう人がいませんので、自力で考えねばなりません。

インターネット(ネットワーク)という通信手段とAV(視聴覚)が融合したのが、昔と大いに違うところです。
私が、いろいろ論述することの根拠の多くはここがもとになっています。

プレゼンテーションの資料も、ここで作っています。
今日は時間がないので、こうありたいという話も含め、説明は次回にします。

当ブログのサーバー(seesaa)に障害が起きていました。

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2014年05月15日

一過性の思考への懸念

教育関係の記事を読むと、方向が学門と言うより、受験に傾いているものが多いと感じます。
少しオーバーに言えば「すべては受験のために」と言っているようにも見えます。
「学力も受験のために」と感じるものも少なくありません。
そこで、私が懸念するのは、多くの人がそういう世界にどっぷりと浸かるうちに、思考が偏っていくように見えることです。
その思考は思考でも「一過性の思考」だというわけです。
言葉を変えるなら、到達点が受験で合格点を取ることになっていないかと言うことです。

そんなことはないという人がいるかも知れませんが、目的は受験ではないとしても、すべては受験型思考になっていると言いたいのです。

生活指導も一過性の受験型思考です。
なぜなら、道徳的に見て良いという姿を先生の前だけすればよいと見えるからです。
私がこういうことを言ったら、ある中学校の生活指導主任は否定もせず、とにかく「美しい姿を見せる」(ことが大切)と言いました。
先生の気配を感じたら、その時だけ「美しい姿を見せたらよい」ということなんですね。

試験も「試験の日だけできればよい」と教えられ、試験が済んだらすべて忘れてよいとよく聞きました。
生活指導もそっくりだなと思いました。
道徳指導もそうなるのでしょうか?

しかし、少なくともこういうのは学習とは言えないでしょう。
なぜなら
学習とは,特定の経験によって行動のしかたに永続的な変化が生ずる過程である。

ということですから。

ある瞬間だけできるのは、学習にはならないわけです。

自動車運転免許が、試験の日だけ運転ができたことで授与されたら大変だと思います。
自動車の運転ができるという、永続的な変化が起こらないとまずいでしょう。

何か皮肉めいたことを言ったのも、受験日だけ問題が解ければよいという考えが定着したために、入学後の問題が起こっているのではないでしょうか?

大学は入学してからの方が大切だと思うのですが、すべては入学試験の日だけ、瞬間的にパワーを出せばよいことから、永続的な力は疎かにされ、本当に有用な人材が大学に集まらなくなったとは言えないでしょうか?

また、試験当日だけできたというのは、それも力には違いないでしょうが、そういう力は、少なくとも学力という名にはふさわしくないように思います。

大学の入試は合格のボーダーラインを広くとって、1年後に進級できる学生と不合格の学生とにふるい分けしたらどうでしょう?

そうすると、一時的にできただけではだめだ、という思考も定着するようになると思います。
試験当日だけ合格点が取れるという、予備校の訓練は効率的ではありますが、そんな力は意味がないし、それだけで予備校が学問の専門機関のように言われるのは、大きな勘違いと、私は思っています。


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