2014年09月18日

利己主義とコンプレックス

このことについては、利己主義の極みを参照してください。

このブログは無料のブログですが、無料のブログと有料のブログにはそれぞれ一長一短があります。
このごろ、無料ブログの欠点を感じ、有料のブログへ移る方針です。
有料と言っても、無料を有料に変えただけのブログではなく、レンタルサーバーにて、自分で構築したブログです。
自分で手が入れられるメリットを感じての考えです。

利己主義の極み
posted by edlwiss at 22:23 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育研究

2014年09月12日

間違いをただす勇気

朝日新聞の東電、従軍慰安婦に関する報道について当の朝日新聞はどう対応するのだろうと思っていました。

このほど、記者会見で社長が誤りを認め、進退についても明らかにしたことで、ホッとしました。
記事の内容はともかく、明らかに間違っていても、訂正しない人がいる中で、今回の朝日新聞の態度は、遅きに失したとの批判もありますが、報道機関としての信用をかろうじて保った感じがします。

誤った報道はよくないですが、社長の会見には好感を持ちました。

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posted by edlwiss at 07:23 | Comment(3) | TrackBack(0) | 社会時評

2014年09月10日

しゃべりすぎ

昨日は話し方について講習を受けた。
そこで、自分の話し方の欠点を大いに感じた。
それは「しゃべりすぎ」ということだ。

すべて自分が説明してしまうというのがまずい。
例えば、資料を目の前にして
「赤道の一周は約4万Kmですね」
と言ってしまう。
資料に書いてあるのに、こう言ってしまうのがまずいのだ。
「赤道の一周はどれだけですか?」
すると、相手は資料を見る。
そして、相手が「約4万Kmです」と答える。
この方がいいのだ。

つまり「数字は相手に言わせる」ことがポイント。
そして、相手と自分との間で、言葉のキャッチボールのあることが大切。

一方的に、やつぎばやに話してしまうのがまずい。
特に、大切なことは相手に言わせることが大切。
こういうことで、大切なことが印象強くなる

こんなことは、ベテラン教師にとっては当たり前のことかも知れない。
しかし、人によっては相手が反応する隙がないほど、話が連続する人がいる。

授業はポイントが印象深くなることが大切。
だから、起承転結を用いたり、感動を呼ぶ演出を考えたりする。

そう言えば、かつてこの起承転結や感動を否定した人がいた。
しかも、その人は教員養成に携わっているという。
その人曰く、感動のある授業はよくない。授業は平坦に淡々と進めるのがよいと言った。
とすると、その人は感動のない授業をするように、教員を養成しているのだろう。

テレビをみていると、よく「どれぐらいだと思いますか?」と問いかけ、聞いている人たちに予想を言わせるという場面がある。
「それでは」と言って隠してある紙をめくると、予想外の数字に一同が驚いたりする。
ここに感動があるわけだ。

正解を隠しておかなくても、教師が答えてしまうのではなく、児童・生徒に教科書の記述を確認させ、言わせることで印象も強くなる。感動を呼ぶこともある。
教科書を読んで済ませることができるような教科は要注意だ。

大学の経済史の授業で、先生がはじめに「昔、日本とアメリカが戦争した時にですね・・・」と始めたら
「エッ、先生、それでどっちが飼ったんですか?」と聞いた学生がいたそうだ。
先生は力が抜けたそうだ。

小学校から高校まで社会科の勉強はしてきたはずだが、こういう大学生がいたことは事実。
戦争のことは習ったはずだが、記憶にないということだ。

人は関心のないこと、感動のないことは記憶に残りにくいと思う。
音大生で、ショスタコービチを知らない学生がいたというのも、話題になっていたが、音大でショスタコービチがどこかで出てこないということは考えにくい。

問題は、そのレベルの音大生がどれほどの音楽ができるのか、疑問である。
特にクラシックフアンでなかったら、知らないという人はいるだろう。

やや、話が脱線した感がある。

とにかく、しゃべりすぎないことを、念頭におこう。


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posted by edlwiss at 22:58 | Comment(3) | TrackBack(0) | 教育研究

2014年09月08日

教師の力量とは

最近、私は10年以上ぶりにゴルフを再開した。
今のところへ引っ越ししてくる前に、もうゴルフをすることはないと思っていたから、セットはすべて置いてきてしまった。
ところが、コンペに熱心に誘われたので再開することにした。

参加してみると、すばらしく上手な女性がいたので話を聞いてみると、彼女はコーチについていたと言う。
そして、7番アイアンを徹底的に練習させられたと話した。

どのクラブから始めるかということについては、プロコーチによっても意見の別れるところであるが、彼女のコーチはそうだったという話である。

■指導のメリハリ

優れた教師に共通するのは指導のメリハリだと思う。
なぜメリハリがあるかというと、自分の指導に自信があるからだと思う。
つまり、自分のやり方でやれば、必ず上達するという自信である。
これは、言葉を変えれば、自分のやり方に従ってくれたら、必ず上達させるという上達請負人なのだ。

■分析力

プロのコーチに必要なのは分析力である。
ゴルフの場合なら、クラブの握り方からスイングまでを見て、良い悪いが瞬時にチェックできて、具体的に指摘できることである。
必要なら、なぜそうしなければならないか説明できることも必要。
かつ、お手本を示せることも必要。
そして、コーチの指示を守ったことで、上達が実感できることが大切である。

こうして、コーチの説得力は増し、信頼感も増す。

■褒めるということ

「褒める」の意味は二通りある。

一つは「たたえる」という意味である。
例えば、このほどテニスの錦織選手が決勝に進んだことを、国民がたたえるという意味である。

二つ目は「高く評価する」という意味である。

コーチが指導中に褒めるのは、高く評価するということで意味がある。
初心者は、練習中に、どういう状態が良いのかを客観的に知ることが難しい。

そこで、客観的に分析できるコーチが必要なのだが、コーチは「上達請負人」なので、上達を請け負う以上は生徒が言ったとおりにやってくれなければ困る。
それで、良い状態の時は「良い」とはっきり生徒に伝えることが大切である。
初心者である生徒は、どの状態の時良いと言ってもらえるかわからないが、何回も繰り返すとき、どういう時に良いと言ってもらえるかが次第にわかってくる。
特に、良いと言ってもらえることを期待して行った時、予想通り良いと言われたら自信がつくことになる。
つまり、良い悪いがはっきり言えることは、名前だけのコーチかプロコーチかの違いとも言える。

良い状態の時「そうだ、今のがとてもよかった」などと褒めることで、生徒は良い状態の印象を強くする。
これが指導における褒めるの効果であり、これを「たたえる」との区別ができていない人がいる。

憂うべきは教師の中にも、褒めるの二通りの区別ができていない人がいることである。

「たたえる」という褒めるは誰にもできることである。
しかし、指導における高い評価である褒めるは、プロコーチでなければできないことである。

だから、教師の力量とは褒めることができるかどうかであるとも言える。

褒めることができるコーチとは、自らも実践者であり苦労した人、お手本が示せる人である。

私は一応、ゴルフを何年か経験しているが、我流であり、人のスイングを見ても分析はできない。
だから、ゴルフのコーチはできない。

[注]
「ほめる」は「褒める」で「誉める」は常用漢字にはない。学校も「褒める」で教えることになっている。
従って、本記事では「褒める」を使用した。



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2014年09月07日

情けない平均点信仰

平均点は集団の特徴を見るときに使う統計の手法である。
しかし、多くのデータを一つの数字に集約するということ自体乱暴とも言える。
例えば、国民の平均所得を出してみても、多くの人にとって実感がないようである。
これは、わずか数%の人が所得の大部分を占めていて、それが平均に影響しているからである。

あまりにも、平均点が神の数値のごとく用いられるせいか、それがあたかもすべてを物語っているように信じこんでしまっている人もいるようだ。

どこかの知事が平均点をたいそう気にしていて、平均高い学校の校長名を発表すると言う。
一体、知事殿は平均点の高さと、校長がどのような関係にあると思っているのか?
聞いてみたいものだ。

まさか、平均点の高い学校の校長が学校経営をうまくやっているとか、教育の成果を上げているとは思っていないだろうと思うが、万が一そう思っているとしたら、長としては恥ずかしい。

学力テストは能力の一部を測っているもので、人の能力として大切なものは他にもある。

■地域差

学力テストを行って出る結果は、その学校の教育力だけではない。
エンゲル係数の低い地域、つまり所得の少ない地位域では食費の占める支出が多いので、文化的なものへの支出が少ない。

つまり、子どもは学校へ行くようになって教育を受けるのではなく、生まれたらすぐに家庭環境による教育を受けるのである。
専門家の話では5歳児の脳細胞が最も多いという。

就学前の教育は後に影響するのである。
だから、義務教育年齢を引き下げようという話もわかる気がする。

実際、いくつかの地域で指導した経験では、中学生で、ある地域と別の地域では完全に1学年分差があると感じた。
学力格差は所得格差と関係があるのではないか。

こう考えると、知事の仕事は校長名の好評ではなく、県民の所得を増やすことではないか。
県民は所得を増やしてくれる知事を、選挙で選ぶべきだろう。


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2014年09月07日

妬みや他人の不幸を喜ぶ感情に関する脳内のメカニズムが明らかに

脳の解明も科学的に進んでいる。

嫌だなと思う人の中に妬みが多かったり、他人の不幸をみると黙ってはいられず、それが嬉しくてしょうがないという人がいる。
不幸だけでなく、欠点も探してああだこうだ言うのだが、その人のために言うのではなく、つまるところ嬉しいのである。
つくづく嫌だと思う。
昔はそうではなかったが、だんだんそうなったという人もいる。

欠点をあげつらうのではなく、とにかく悪く言いたいというのもある。
私自身が言われたこともある。
帰路がわからなかったので、スマホを取り出して地図を表示し「ここから、どういう風に行くのですか?」と聞いていると、陰で「彼は、すぐああいうものに頼る」と言っていた。
今や紙の地図を出すより、スマホの方が便利だから、スマホを利用するのは日常のことだ。

新車を買った時、なるべく目につかないようにしていたが、ついにあるとき見つかってしまった。
嫌な予感がしたが、彼はちょっと驚いた表情をしたが、すぐさま「よう金があるな」と言った。
このような例を挙げれば続々と出てくる。

私は何か悪く言われても、特に腹を立てないが(歳のせいかも知れない)、そういうレベルの人を見るのが嫌なのだ。
こういう人は場の雰囲気を壊す。
だから「いいところ」があっても誘えない。

「妬みや他人の不幸を喜ぶ感情に関する脳内のメカニズムが明らかに」の詳細は、ここのサイトにある。

説明によると、酷いコンプレックスがあるということだ。
問題は、治療法があるかどうか?

私は音楽の専科をやったことがあるが、専科教員という資格ではない。
だが、専科をやったということだが、それを聞いて、専科教員は教員のランクが低いように言っていた人がいた。
言っている人に、何かコンプレックスがあるのだろう。

私が小学校で音楽専科をやったのは、音楽の授業をやりたくない人がたくさんいて、これ幸いと私に押し付けたい人が多かったので、教務がこの要望を汲みとった結果、私の音楽授業が多くなったに過ぎない。

翌年は、荒れていることで有名な5年生の学年主任になった。
校長としては、5年生を躾けろということだった。

中学校でも、いつも札付きの担任。
転勤はひどい吹奏楽部の立て直しというのが、教員生活での仕事のようだった。
格好をつければ、さしずめ、必殺立て直し人というところか。
こんなことを書くと、また妬み心を燃え上がらせる人がいるかも知れない。

管理職でない限り、教員は授業を受け持っている。
学年主任は担任を持つ人と、持たない人がいる。

何かにつけ、担任や授業のある人を妬んだり、そういう人たちの失敗や欠点を見つけて喜んでいる人は、担任がしたくてもやらせてもらえない人、授業を持たせてもらえない人かも知れない。


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2014年09月05日

多数決は正しいか

結論から言うと、多数決そのものを正しいか否かというのはおかしい。
では、なぜこういうタイトルを掲げるかと言うと「多数決だから正しい」という人がいるからである。
何とも情けない気がする。

「多数決で決まったことは正しいですか?」
と社会科の先生に聞いてみた。
返事は
「多数決で決まったことは、(おおむね)正しいと言えるんじゃないか」
だった。

■多数決の例

1.帰宅した子どもが頬を赤くしていたので、母親が問い詰めたところ、クラスでは宿題を忘れた子の頬を忘れなかった子が平手で叩くということが決まったという。
母親が担任に問い合わせたところ、担任は「多数決で決まったことですから」と答えたという。

2.山奥の小学校で、子どもたちが来年は海水浴に行きたいと話し合いをした。
賛否を問うと、大多数は賛成だったが、3人反対の者がいた。
海水浴は決定できるのだが、賛成の子どものうち、3人はなぜ反対するのかに関心を持った。
3人の家を訪問して話を聞くと、3人は家計を心配して反対したのだとわかった。
それで、子どもたちはみんなで栗拾いをして、費用を作ることにした。
栗拾いの後、再び賛否を問うと満場一致で海水浴に行くことが決定した。

[まとめ]

「多数決だから正しい」のではない。
多数決はものごとを決定するための手段の一つにすぎない。
国会でも「議論が尽くされていない」と紛糾することがある。
話し合いは、議論を尽くすことが大切であり、多数決を用いれば何でも正しいと勘違いして、即多数決をするのはよくない。


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2014年09月05日

死刑論議は思考力が問われる

最近、死刑が執行されたとの報道があった。
刑罰としての死刑に賛否を問うと、アンケートでは賛成が多いと報道されている。
しかし、これを持って世論が死刑に賛成していると考えるのは単純すぎる。

なぜ、死刑に賛成するのかを考えねばならない。
死刑とは国家による、合法的な殺人である。
こうみると、殺人に賛成の人がどのくらいいるだろう?

enzai_tukurareru.jpeg■何のための死刑か

死刑に賛成か反対かという聞き方は、AかBか二者択一せよという聞き方だ。
どちらかを選ばざるを得ないから、別れるのだろうが、人を殺すことに賛成だという人は少ないのではないかと、私は思う。

■歯止めとしての死刑

これも、私の思うところだが、死刑という極刑を設けるのは、人を殺すような罪を犯したら、自分は死刑になるかも知れないという恐れから、殺意を抱いても殺人を踏みとどまる効果をねらったものではないかと思うのである。

■死刑の問題点

裁判は人間による判定である。
人間である以上は判断にミスがないとは言えない。
人間はミスをするというのは、社会生活上の基本である。
これは、もちろん、ミスをしてもいいということではない。
万全の注意をしたとしても、ミスは免れないというのが人間、という考えである。

死刑の最大の問題点は、執行したあと、あの判決は誤りだったとわかっても、回復のしようがないということである。

■冤罪

死刑判決を受けたのに、再審で無罪になった人が、私が知る限り、4人はいる。

よく、人を殺したら死刑になって当然だという意見を聞く。
しかし、人を殺したということを誰が知っているのだろう?
これは、行った本人と、現場にいて目撃した人しかわからない。

裁判官は想像で判断しているだけである。
裁判官は神ではない。
私が呆れた考えに「裁判は真実を決めるところ」というのがあった。
真実を決められる人など、いるはずがない。

■冤罪を生む背景

なぜ冤罪が起こるのか?
それは、人間はミスをすることもあるからという単純なものではない。

司法は、戦後のGHQの改革が及ばなかったところと言われる。
これは、司法の世界には戦前からの思想が続いているということである。
その影響か大審院という明治時代に作られた機関の判例が、今も生きている。

裁判官が判決を下す時の根拠としては
1.証拠による判断
2.裁判官の心証による判断
がある。

これは法律であるが、問題は2の「どうあろうと、裁判官がそう思ったら思った通りに判決を出していい」ということである。
もっと平たく言えば、判決は裁判官の気分次第とも言える。

気分次第で死刑判決を出しても、裁判官にペナルティはない。
これを称して「やり得」と言われている。

有名な弁護士の著書を読んだところ
「トーストの焼け具合が悪いと、死刑判決が出やすい」
と言うのがあった。
この意味がおわかりだろうか?

■正義が勝つとは限らない

これも、有名な弁護士の言葉である。
「頭にきたから裁判だ」と言っても、正しいから勝つとは限らないということが書いてある。

■必要な証拠は作ってしまう

警察や検察は、犯人に仕立てるためには、必要な証拠は作ってしまうということである。
まさかと思う人もいただろうが、厚生労働省の役人の冤罪事件はフロッピーディスクの改ざんであった。
袴田事件では容疑者の履いていたとするズボンは、検察による捏造だったらしい。

こうしたことが起こるのは、検察が法の番人というより、検察もお役人だから出世志向だということである。
凶悪事件を解決したとか、地位の高い人を有罪にしたら手柄になり、出世の材料になるということである。

冤罪というが、証拠まで捏造して人を罪に陥れるのは、冤罪ではない。
国家による権力犯罪である。
そして、こういう捏造がバレたとしても、大したお咎めはない。
誤って死刑判決を出した裁判官に対してもペナルティはない。

このように人間のやることは、神から見たら欠陥が多い。
果たして、日本は民主国家と言えるのかとも思う。

教師たるもの、民主国家を作るためには、確かな思考力と深い知見を持たねばならない。

教師は国(文部科学省)のポチであってはならない。
それが、悲惨な軍事国家に戻らないための力でもある。


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2014年09月05日

パソコンを取り巻く人間模様

「パソコンがないと生きていけない」と言われるほど、パソコンは私たちの生活に溶け込んでいます。
こういう時代でも、パソコンに馴染めない人がいます。

スマホで問題になっているような依存症も困りますが、パソコンを全く拒否している人も困ります。
それは、公共サービスに使われることが増えてきたからです。
パソコンに馴染めない人へのサービスが低下し、パソコンを使う人との格差が生じていくのをデジタルデバイドと言いますが、これは各国の問題となっています。

とは言え、多くの人は生活の一部のようにパソコンを使っていますが、ここに様々な人間模様を感じます。
つまり、パソコンを通じて人の性格、人間関係、生活状態などが想像できるわけです。

■デスクトップ

まず、デスクトップにその人の人柄、趣味、仕事といったものが表れています。
デスクトップにはいくつかのショートカットがあるのが常ですが、ショートカットの意味がわかっていない人がいる。
実データとショートカッとが混在しているのは構わないのですが、ショートカットは「実物ではない」ということがわかっていないとまずい。
ハードディスクを交換した時は、デスクトップのショートカットは存在しなくなると思わなければばりません。
「あのー、確かにここにあったんですけど」
「ハードディスクを交換したんです」
・・・ハードディスクを交換したという意味がわかっていない。

デスクトップが汚いパソコンは、使用者のパソコンの理解度が低いと言えます。
データ管理がめちゃくちゃです。

■確かに保存したんですけど

作業をして、次に作業を再開したときに、目的のデータがなくなっていたと言う人もいます。
ディレクトリ」という概念がわかっていないのです。
また、再開するとき、いつもアプリの「開く」からしか開かない習慣の人は、ディレクトリが移動していると、データが見つからないので「データがない」とか「消えた」と言います。

データを保存するとき、どこに保存したか意識がなくて、あとで探すのに苦労している人がいます。
こういう時、怒って「どこに保存するかわかるようにしてないパソコンがいけない」という人もいます。
保存するとき、パソコンは保存場所を明示しているのですが、本人に意識がないだけの話です。

思うようにならないので「使い方を強制するパソコン」と不満の記事を書いていた大学の先生がいました。
とにかく、自分の思うようにならないと、不平を言ってパソコンのせいにする人は多い。
パソコンは「あうん」の呼吸がわかりません。
だから、やはり5W1Hを意識して使うことが大切です。
「これしまっとけ」と奥さんに言いつけるのならいいですけど、パソコンには「どこへ」を支指示しなければなりません。
パソコンは頭がよくないのです。

■不倫

パソコンが不倫をするということではありません。

「あのー、パソコンがわからないので教えていただきたいのですが」
・・・女性からの電話です。
(私にデートの申し込みがあったわけではありません)

行ってみると、Skypeがうまく使えないという話です。
この人にとって、Skypeは非常に重要ということがわかりました。
コソッと不倫の道具に使っているのです。
連絡だけなら電話でもいいと思いますが、顔が見えないのは寂しいらしいのです。

「旦那に私のメールがわからないようにしてもらえませんか?」
・・・これは、Windowsの設定で使用者(アカウント)を自分専用のものを作ればよい。
しかし、パソコンを初めて使うときの設定のまま、つまり管理者権限(Administrator)のままで使っている人が多い。
1台のパソコンを、3人がみな同じ管理者権限で、使っている場合が多いということです。
本来、これはよくないことです。
「コントロールパネル」の「ユーザーアカウント」で「標準使用」の権限のアカウントを人数分だけ作って、それぞれのプライバシーが守れるようにすべきです。

ともあれ、パソコンは不倫にも強力な道具となります。
なにしろ、ネットが使えるところなら、彼が世界中のどこにいても無料でテレビ電話ができるのですから。
旦那がパソコン音痴なら、言うことありません。

ちなみに、その女性、私にはSkypeでの連絡はしてきません(笑)

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2014年09月03日

リカバリーディスクはありますか?

ノートパソコンをお持ちの方、リカバリーディスクはありますか?
以前は、ノートパソコンを買うと同梱品の中にリカバリーディスクが入っていた。
しかし、最近の製品ではリカバリーディスクは入っておらず、ハードディスクの一部に保管されている。
だから、購入時にはハードディスクに保管されているリカバリーデータから、リカバリーディスクを作っておく必要がある。

リカバリーディスクの役目は、ハードディスクの故障の時、パソコンを購入時の状態に復元するものである。
リカバリーのためのデータが、ハードディスクの中に入っているだけだと、ハードディスクが壊れたらリカバリーのためのデータも壊れる可能性があるから、復旧ができなくなる。

ややこしい言い方になったが、要するに、パソコンが壊れた場合は再度Windowsを入れなおさなければならないが、そのWindowsが壊れる部分に入っていては入れなおすことができない。

以前は、Windowsのディスクが添付されていたが、今は添付しなくなった。

販売店によっては、購入時に「リカバリーディスクをお作りしますか?」という。
当然、その方が親切であるし、応じたほうがよい。
自分でできない人は、手数料を払ってもやってもらったほうがよい。

一番いいのは、パソコン購入時には詳しい人に相談し、店に同行してもらうのがよいと思う。


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2014年09月02日

ウィルスソフトはおまじないではない

目に見えた被害がないと、慌てないのが人情かも知れない。
XP騒動が下火になったからと言って、XPを使っていないから大丈夫というわけではない。
Windows Vista、7、8はMicrosoftがセキュティのサポートをしているが、それに加えてユーザーがウィルスソフトでガードしなければならない。

ところが、そのウィルスソフトが効いていないとみられる状況を見ることがある。

1.パソコンを買った時についいてきた、ウィルスソフトの有効期限切れ
2.ウィルスソフトの二重インストール
3.ウィルスソフトが更新されていない

自動更新にしてあるからいい、と言う人がいる。
24時間電源入れっぱなしならいいかも知れない。
しかし、新種のウィルスは毎日、頻繁に作られている。

■ウィルスの第一関門はルーター

家庭への回線を伝ってきたウィルスの第一関門はルーターである。
ルーターは元来、何台ものパソコンをつなぐためのものであるが、門番のような役目をし、信号の通過を監視している。
門はポートと呼ばれ、番号がつけられている。
ポートにはそれぞれ用途が決められていて、最終番号のポートは65301である。

家庭でも治安のために、使わない扉には鍵をかけるように、ルーターは不必要にポートを開けないようにして、ウィルスの侵入を防いでいる。
だから、ルーターの設定は大切である。
ウィルスソフトを入れておくことも大切だが、ルーターの設定が悪いと、不審者(ウィルス)をどんどん通過させてしまうようなことになる。

ウィルスはルーターの厳重な監視をくぐって、パソコンに到達する。
そのウィルスを捕獲するのが、ウィルスソフトの役目である。

■トロイの木馬

トロイの木馬は有名なウィルスだが、正確には「トロイの木馬型ウィルス」と言うべきだろう。
世界史に出てくるトロイの木馬のように、パソコンに侵入する時は正常なもの(木馬)と見せかけ、入った途端に中から不法者(ウィルス)が出てくるというように作られたウィルスである。

家の戸締まりをいくらしっかりしても、家族が出入りする扉だけは鍵を外すだろう。
これは、インターネットを利用する時に、ブラウザー(Internet explorer,FireFox、Google Chromeなど)でホームページを見る。
この時、80番というポートを開けることになる。
開けた途端に、外に潜んでいたウィルスが入り込むということがある。

ウィルスに汚染されているホームページもあって、そこを閲覧するとウィルスが入るということがある。

あるお宅では、非常にたくさんのウィルスが発見された。
履歴を調べたら、息子が特定のアダルトサイトを、よく見ていたということがわかった。

■ウィルスソフトは完璧ではない

パソコンのウィルスとは、人が病気になる時のウィルスではない。プログラムである。
(プログラムである以上、拡張子はEXEである)

このウィルスを駆除するためには、プログラマーはウィルスプログラムが動かないようにプログラムを作るのだが、プログラムだけでウィルスを完全に判断することは難しい。
通過条件を厳しくすれば、正常なものまで止めてしまうし、緩くすればウィルスの侵入が多くなる。
(同様に、子どもに有害なサイトは見せないように、ガードするというのも、プログラムで自動化することは難しい。)

■Windowsのウィルスは頻繁にやってくる

Windowsのウィルスの多さに嫌気がさして、Macintoshにする人もいる。
私はメインにLinuxを使っているが、これもウィルスが煩わしいからである。

だから、Windowsを使っていて、ウィルスの警告があまりないとしたら、ウィルスソフトが役に立っていないかも知れない。
ルーターも仕事をしていないかも知れない。

本日の記事は、そんなこと知ってるよという人もいるだろうが、パソコンのメンテナンスを通じて、意外にウィルスに鈍感な人が多いと感じたので、投稿してみた。

今も、ウィルスにひどくやられたとみられるパソコンを修復中。


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2014年09月01日

老齢化すると上から目線になる?

年寄りのマナーが問題になっていた。
テレビでの討論である。

順番を待って並んでいるところに割り込む年寄り。
それを注意すると、逆ギレする。

インタビューを聞いていると、ある年寄りは
「1歳でも年下だと、どうしても上から目線でモノを言ってしまうんですね」
と言っていた。

■老齢化の問題

・身体の健康
どうしても、病気が多くなるようだが、血流が悪くなることから起こることが多いようだ。
特に、脳には細かい血管が集中しているため、血管内部の汚れで血流が悪くなる。
そのため、栄養素が届きにくくなると、脳内の海馬が死滅していくため認知症の引き金になる。
血管が脆いと、破れてくも膜下出血になる人がいる。

などなど、支障はいろいろあるが、結局、食生活のアンバランスは影響が大きい。
これは、個人の生活習慣に影響するところが大きいようだ。

・精神の健康

昔から知っている人の、よくない変化をあげてみる。

1.頑固になってきた
2.嫌味が多くなった
3.忘れっぽくなった
4.上から目線が多くなった
5.女性に触るようになった

こう見てくると、老齢化は一概に60才とか65才と区切れるものではなく、上記のような症状が出てきたら、老齢化とみることができるのかも知れない。

私は製薬会社の健康講演会のアトラクションに、しばしば呼ばれるので、何回も健康の講義を聞くことになり知らぬ間に健康の知識が増えた。

自分の歳も考えると、タイミングがいい。

マナーの問題は、昨今、年齢には関係ないように思う。

「今の若いものは」は死語ではないかと思う。


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