2008年08月01日

教育汚職に学ぶ

一学期間不登校の児童がいた。
この児童の通知票を見ると、かなりよい成績がついていたので、校長はこの成績をつけた先生を呼んで次のように聞いた。

「一学期間全部欠席で、なぜこんないい成績がついているのだ?」

その先生はそれに答えて

「この子はこういう子です」

と言った。

校長は、まるっきりテストも受けていないのに、いい成績がつくのはおかしくないかと、再び問いただしたが、教員は「でもそういう子なんです」を繰り返すばかりだった。

その後の顛末はわからなかったが、この話を聞いて、現役の教師はどう思うだろうか?

そして、現役の教師たちに聞いてみたい。

「あなたは、どのようにして成績をつけているのか?」と。

そして、成績をつけられた者から、私の成績はどうしてこうなんですかと聞かれたら、明瞭に返答ができるか?

学校における成績は、競争でもある。
競争である以上、ルールが明確でなければいけない。

例えば、何らかのテストを5回行ったとしたら、その5回のテストそれぞれの得点に一定の比率を乗じたものの合計で、得点の高い者からよい評価を与えるといった具合だ。
もしくは、ある得点に達した者は平等に同じ評価を与えるなどである。

今では、評価を出すときにEXCELや成績処理のアプリケーションを使う人も多いだろう。
これらの者を使えば、機械的に得点の高い者から順によい評価がつく。

しかし、そういう評価の仕方が気に入らないという教員がいるのも事実だ。
具体的に言うと、機械的に出した順位を見ると、自分の意に反しているものがあるので、その順位を自分の気に入るように変更したいというわけだ。

そうしないと「気持ちが伝わらない」というのだ。
そして、気持ちが伝わらないのは教育ではないというのだ。

それでは、テスト結果が気に入らないので、自分の気に入るように操作することが、気持ちのこもった教育なのか?と聞きたい。

ここでは「気持ちがこもる」という言葉がひとり歩きしている。
「気持ちがこもる」という言葉は一見聞こえがよいが、どういう気持ちが伝わるかということを無視していないか?

この事例では「ひいきの気持ちが伝わる」ことになる。
また「この先生は、自分の気分次第で成績がどうにでもなる先生なのだ」という気持ちが伝わるのだ。

一般に言う「心が伝わる」と同じではない。

また、これは、大分県で行われた教育汚職と全く同じではないか?

私たちはニュースになると大騒ぎするのではなく、足下で同じことが行われていないかしっかり見つめることである。
あなたの学校では、こういう教育汚職と同じ現象が蔓延していないか?
PTAの役員の子どもだと手加減をしようとすることはないか?
また、PTAの役員が手心を加えてくれることが当然と思っていないか?

大分県の教育汚職は、元小学校や中学校にいた教師が、間違った「心が伝わる」を実践し、それを教員採用の県のレベルに持ち込んだものではないか?
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posted by edlwiss at 20:56 | Comment(2) | TrackBack(1) | 教育問題
この記事へのコメント
「この子は、こういう子です。」では
説明責任をはたしていないと思います。

なぜ「4」なのか、
なぜ「2」なのか、
本人・保護者が問い合わせてきたときに
納得させるだけの根拠がなければ
いけません。

子どもたち同士で、
通知表を見せ合うこともあるでしょう。

「えーっ、なんで。」と言われるよりも
「やっぱりね。」と言われたいものです。
Posted by 今年は野武士 at 2008年08月02日 16:05
おっしゃるとおりです。
しかし、現実には「そういう回答しかししない」人がいるのです。
もう、思考回路がそういう風にできてしまっているような感じがします。
やりきれない気持ちになります。
Posted by 筆者 at 2008年08月03日 08:12
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教員採用の望ましいあり方について
Excerpt:  大分県の教員採用汚職事件を受けて、政府の教育再生懇談会(座長、安西祐一郎慶応塾
Weblog: 教育失敗学から教育創造学へ
Tracked: 2008-08-02 00:58