象徴的と言うのは「特徴が出ている」「らしい」ということである。
だから、違う部分を見つけて、そんなことはないというアラサガシ的な反論はいただけない。
しかし、これは反論を一切拒否するという意味ではない。
反論でも批判でも質問でもよいがねコメントを寄せる人は、まじめにやって欲しい。
■小学校での授業の例
小学校で体積を学んで間もないところで下の図のように、1立方センチメートルの立方体と1立方メートルの立方体の実物を示して
「この1立方メートルの立方体の中に、1立方センチメートルの立方体が何個入ると思いますか?」
と質問をしてみる。

子どもは「1000個」とか「1万個」とか「10万個」とか答える。
そこで「100万個入ります」と言うと、子どもたちは驚く。
ここで、先生が理屈で説明しても、子どもは「そうか」とは思っても「でも、信じられない」という顔をする。
それで、先生は
「では、みんなで1立方センチメートルの立方体を100万個作ってみよう」
と言う。
グループ分けして、グループごとに作り始め、クラス全体で100万個作りに挑戦する。
当然時間はかかる。
子どもたちは「本当に入るのか?」など半信半疑で、雑談をしながら作る。
100万個になったところで、できた立方体を1立方メートルの立方体と比べてみる。
比べ方はどういう風がいいかなどということは、ここでは省略するが、そこまでやると、子どもたちは、本当に入るんだと納得する。
その後、先生が1mの長さのところに真っ直ぐ1立方センチメートルの立方体を並べると、100個並びます。次に横に同じように並べるとやはり100個並びます・・・などと説明していく、実物もあるので子どもは納得する。
子どもたちは、とにかく100万個という凄い数に驚くのである。
ところで、なぜこんな手間ひまのかかることをわざわざやるのか?
そんなムダなことはと思う人は大切なことがわかっていないのである。
何を大切にしているかと言うと「驚き」すなわちここでは「感動」である。
■中学校での実践例
「20Wの電球と100Wの電球があります。どちらが明るいですか?」
と質問してみる。
当然のように、100Wの電球の方が明るいという答えが返ってくる。
そこで「では実験をしてみましょう」と言って、実験をしてみる。
ところが、20Wの電球の方が明るくなるので、生徒たちは始めはインチキではないかと疑ったりする。
でもどう確認しても、電球にインチキはない。
今度はもう一つの実験装置で、20Wと100Wの電球の比較をしてみると、今度は100Wの電球の方が明るくなる。
ここまでで、まあほとんどの生徒は驚いたり不思議がったりする。
何が違うかを、例えばグループごとに考えさせる。
すると、実験ボードの裏側にしかけがあるのではないかなどという意見が出てくる。
例えば、このような授業が「学校らしい」と言える。
しかし、恐らく学習塾ではこのような授業はやらないだろう。
「だろう」というのは、当然、私は全ての学習塾を知っているわけではないからだ。
もし、そういう塾があるというなら教えてほしい。
学校は一見ムダと思えるようなことに時間をかけて指導する。
だから、機械的な反復をするという学習の時間は、当然少なくなる。
漢字の書き取りや計算ドリルが宿題になりやすいのも、このためである。
繰り返すが、学校の授業は「驚き」=「感動」を大切にする。
ある小学校の先生は1000万か1億かは忘れたが、子どもたちにその大きな数を実感させるために、紙をその枚数だけ体育館に並べるということをやったと言う。
今まで述べたことで、この先生が何を大切にしたのかはわかるだろう。
学習塾ではとにかくテストの点を上げることに目標を置くので、このような授業はやらない。
問題を解かせるということが中心になり、講師は試験のポイントや出やすい問題などを中心に、良い点を効率よく取るために時間をかける。
学校はドリル学習を軽視しているわけではない。
学習塾はもともと学校のすきまを埋めるためにできてきたものであるから、学校が時間をかけられないところを中心にするのは当たり前である。

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中2の娘を持つ母親です。
私の出る幕では、無いのですが、少し思っていることを…
この冬休み、初めて娘を塾にやりました。
私自身は学校での授業と、通信教育だけで
十分だと思っていたのですが、娘の希望です。
「塾」に行けば、「勉強の仕方」「コツ」「勉強をする空気」を
買う事が出来ると思うのですが、
子供が夜に家に外出するというのは、
どうも解せないのです。
家族と夕食を食べて、早めに寝てこそ成長できると
今でも思っています。
しかし、娘達の世代は、小学校の低学年で理科をやっていません
まぁ、女の子なので理数系が苦手なのだと思っていたのですが、
どうも男女問わず、理科だけは塾に…と言う方が多く、
それも娘の学校だけでは無いようで…
休み中なら、早めの時間に塾に行けるので
娘の切望もあり、6回コース3万円+αで塾にやりました
今まで、理解出来ていなかった事が理解出来
嬉しそうにしている娘に
「これで、大丈夫だね」と話したら「やっと追い付いただけ」と…
>「驚き」=「感動」
も、理解の上になりたつのだと思います
土曜日が休みの分、やはり、子供は苦しい思いをしているのかも
知れません…
考えさせられるところがありますね。
>子供が夜に家に外出するというのは、
>どうも解せないのです。
>家族と夕食を食べて、早めに寝てこそ成長できると
>今でも思っています。
おっしゃる通りだと思います。
生活のリズムが狂ってしまいますね。
また、夜、家族と一緒というのも、教育のうちだと思います。
家族とは何かというと「何度、一緒にご飯が食べられるか」と言ってもよいと思います。
>小学校の低学年で理科をやっていません
むしろそういう危機感がかえってよく働く場合もあるし、依頼心が強い子だとそのままということもあるのではないでしょうか?
ただ、試験ということを考えると、実験をしたかしないかより問題集のトレーニングの方が点に結びついてしまいます。
何回もやっていると「こういう問題が出るんだ」とか「こういう場合はこう答えを書けば良いんだ」ということがわかってくるんですね。
塾でも、かなりの場合がそういうトレーニングであり、実験もやるなんてところは珍しいでしょう。
おすすめするのは、夜は家族がみんな勉強することです。
お父さんは、お父さんの勉強(教養、小説、etc)をする。
お母さんはお母さんで料理の本を読むとか、こういうのが家族の絆を作るとともに、良い生活のリズムを作ると思います。
>今まで、理解出来ていなかった事が理解出来
>嬉しそうにしている娘に
ということは、先生もいいしね娘さんも受身ではないということですね。
>>「驚き」=「感動」
>も、理解の上になりたつのだと思います
ということもあるし「現象に驚いて」どうして?と解明したくなる場合もあるでしょう。
ぷりむらさんがおっしゃられている通り、勉強における驚きや感動は理解の上に成り立つものだと思います。一定の知識が身についた状態で、実はこういう意味だったんだよと後々説明してあげれば、「へー、そういうことだったんだ!」と感動し、科目に興味を持ったりすることがあります。これが本当の驚きであり感動であり興味だと私は思います。
具体的な例が出るとその教師の力量が分かります。1辺が1メートルの立方体に、1辺1cmの立方体が100万個入ると子供たちに伝える、ここまでは良いと思います。しかし、その後に実際に100万個作りに挑戦する、こうした時間が子供の学力を下げる要因だと私は思っています。きっと子供達はだらだらと作業をし、一体何をしているのかを考えずにやっている子供も多いかと思います。終わった後の子供たちは驚き、感動どころか、ああしんどかった、やっと終わったというものだと思います。ここまでしんどい思いをして得られる知識は1立方メートルに1立方センチメートルが100万個入るということだけ。果たしてこれが時間をかけるべきところなのでしょうか。
ここはそうではなく、100万個入るのを予想させることが大切です。まずは、1辺2cmの立方体はいくつ入るかを、作るならば実際にグループで作って数えさせます。そうすれば8個という答えが返ってきます。次に1辺3cmの立方体も作り数えさせます。27個という答えが返ってきます。次は「1辺4cmにすると何個になると思う?」と問いかけます。算数能力の高い子ならば塾で習っていなくともこのあたりで計算方法が分かります。計算して64個と返す子供がいるので、分からない子のために解説をします。1辺が3cmの立方体が手元にあるので、今1番上に見えている3段目の立方体の個数を数えさせます。9個です。その9個は計算でどうやって出すか。縦に3列、横に3列あるから3×3=9個です。ここらはすぐ納得するでしょう。「では9個が3段あるのだから?」。9×3=27個ということがもうほとんどの子供が理解はできるでしょう。となると、「1辺4cmの場合はどういう計算になる?」「4×4×4」と答えます。一応念のため1辺が5cmのものも聞いて計算させます。これで理解だけでなく、納得に変わる子が多くなります。
そして本題の1辺が1mの立方体に戻ります。「この問題は単位にmが使われているから、cmにしてあげないとダメだね。1mは何cm?」。ここで100cmと言えない子供が多かったりするのが学校の力量のなさであったりするのですが。ともかく「1mは100cmだったね。だとするとこの立方体には何個入るはどう計算すればいいかな?」「100×100×100」実際に計算させると「そう、これを計算すると100万個だね」「ほんとだ!」「なるほど!」と子供達はなってくれるわけです。100万個と聞いて半信半疑だったものが理解に変わり、体積の計算を理解する。これが勉強における感動だと私は思います。(ただ、立方体は縦、横、高さの長さがそろってしまっていて、これでは体積は1辺を3回かければいいと勘違いされる可能性あるので、私は実際は長さがバラバラの直方体から入りますし、塾ではとても時間がないので作る時間は省いています。)
それを実際に100万個並べて、計算方法が理解できないだけでなく、印象に残るのはしんどかった、面倒くさかったという思い出だけだと思います。実際にされたのかどうかは分かりませんが、このような考え方で授業をされているのであれば子供の学力が下がってしまうのは無理もないと思います。
また理科の場合、確かに実験は大事ですが、実験はすればいいというものではありません。これも知識を身につけてから、効果的なタイミングで入れるべきだと思います。知識を身につけないうちに実験を行っても感動はありません。子供たちは、実験は楽しい、おもしろいではなく、授業じゃないから楽という話を聞きます。そのあたりを教師の方たちは気をつけていくべきだと思います。
心理テストを行うと、今の子どもたちが劣っていることがらに「根気」「集中力」が出てきます。
集中力や根気を連続させ「やった」という新鮮な気持ちに到達するかどうかは、下地である「学級経営」に関わってきます。
実際に行った結果は100万個作るということは、大変そうですが、意外に早く作ってしまいます。
わざわざ、作るというのは、今の子どもたちに欠けている「根気」や「集中力」を養う意味もあるのです。
数学にかなり習熟した人は、抽象概念だけで納得できますが、実感するということは習熟度や教育学で出てくるレディネスを考慮する必要があります。
例えば、低学年では「象10頭」と「アリ10匹」が同じ数という概念もわかりにくいです。
また、10個の花瓶にそれぞれ花を1本ずつ挿した後、花を全部集めると、それでも同じ数であるという概念を習得するにも時間がかかることがあります。
だから「どう書いたら○がもらえる」という指導をすることは簡単ですが、子どものレディネスを考慮し、概念を収得させるということは、発達段階を考慮しなければならないので、抽象的な思考を促進させるなどの指導が大切です。
>実験はすればいいというものではありません。
当然です。
しかし、ちょうど昨日、そのようなことで来客と話をしたのですが、物理の電気の分野ですが、大学へ入るまでに実際に数々の回路を作ったりしてきた者と、大学へ入ってから電気科で専門を勉強した者では、大きな差が出ているということが話題になりました。
論理でいけばいいと考えがちですが、実体験があるのとないのでは、設計する段階で大きな違いが出ます。
それらの詳細について、今記す余裕は今ありませんが、実物に接するという体験は大切だと思います。