2011年03月19日

性格の見分け方

seikakunomiwakekata.jpg
猫を飼ってみると、生まれたばかりの小猫たちも、すでに個性を持っていることがわかる。
とかく、雌猫は子どもを生むということで敬遠されがちだが、飼ってみるとかわいい。

雄とは明らかに違うと思う。なんとなく、心優しいところがあり、雄と比べるとデリケートでもある。
子どものころのことだが、家には代々いろいろな猫が来て、それぞれに思い出がある。
商売をやっていたせいか、猫がいないと何か家の調子が悪いような気がしていた。

悲しいのは、死別だ。
とてもつらいので、その度に、もう猫は飼うまい。こりごりだと思うのだが、やはり猫がいないとおかしい。
それで、どこからか縁があってまた猫がやってくる。

ペコちゃんは、我が家にとっては初めての雌猫だった。
将来、子どもをどうしようという不安をかかえていたが、ペコちゃんを見た時、どうしても飼いたいという気になった。

おじさんが亡くなって、おばさんと二人だけの暮らしと、そこへ猫がいるのとでは大きな違いがあった。

雌猫は自分だけの時は飼い主に甘えているが、子どもができて母親になると「やはりお母さんなのだ」と感じるようになる。
自分のことはさておき、子どもが第一になる。
そういう雌を見ていると、何だか偉くなったようにも見える。

「あれあれ、大事でしょうがないんだね」

おばさんは、ペコちゃんが子どもにかかりきりになっているところを見てそう言った。
雄猫しかいなかったころと比べると、一家の雰囲気がずいぶん変わったような気がした。

子どもは大きくなるにつれ、少しずつ行動範囲が広くなる。
それらの子どもを見ていると、みな個性がある。
成長していろいろなことを経験して、身につけていくこともあるが、生まれつきの個性は変わらないような気がする。

人はどうなんだろうか?
私は幼いころから、しかけのあるものというか機械に興味を持っていたようで、そのせいで失敗もある。

いまでこそ、時計は至る所にあるが、昔は貴重なもので、時計を買うということ自体大変でもあった。
そんなころ、小さな商売を始めた我が家に、あるところから時計のプレゼントがあった。

私はそのしかけに興味を持って、分解したくなった。
ところが、分解したもののもとに戻せなくなって、ずいぶん叱られたことを覚えている。

私の分解好きというのは、大人になって、機械だけでなく人間にも興味が移った。

性格の病気

知人に、Aという、どうも変だという人がいた。

ハッタリが強く、やたらにエライ人を知っているという言葉が出てくる。
普通の人なら恥ずかしいと思うことさえ、平気で言えてしまうという人物で、演技とも思えない態度で言えてしまうので、若い女の子などすっかり信じてしまう場合もあった。

こりゃあ変だなあと思って、調べているうちにふと見つけたのが、性格の見分け方という本で、見つけたのはずいぶん前だったのだが、まだ発売されていた。

この本のある部分を読むと、これはと思う部分があったので、別な人に「これ、誰だと思いますか?」と言って読んで聞かせたところ「そりゃあAさんでしょう」と即座に返事が返ってきた。

「性格の病気」というところに「わざとらしいことを言っても、みっともないことをしても平気」というタイトルがあって、そこには次のようなことが書かれていた。

1.自分を価値あるものに見せるため、人より優位に立つためには、普通の人なら自尊心が傷ついてしまういやらしいことでも平気で行う。

2.人の功績を自分のものであるかのように印象づける。

3.たとえ嘘がバレても悪びれることはなく、・・・・虚栄の世界を堂々と生きることができる。

4.哲学者であり精神医学者であるヤスパースは、このタイプを現にそうである以上の者であるかのように見えることを望む人であるとしている。

5.たとえ、自分の非を指摘されるようなことがあっても、自分が正しいと信じこんでいるため、反省することがない。

6.周囲は翻弄され、混乱を来すこともある。だが、その場しのぎの嘘もやがて破綻し、周囲の人たちもいったんおかしいという目で見れば多くの矛盾やいかがわしさ、異常なほどの自己中心性に気づくようになる。その矛盾をあえて指摘せざるを得ない人が出てきて、トラブルになる。

7.はじめのうち効力を発するこのタイプの生き方も、頻繁に接する関係の中ではやがて無効となる。したがって、信頼関係に基づいた人間は築きにくい。



実際、会社では彼はアブナイと見られているようで、一応役員としての身分にはなっているが、実質仕事はもらっていない。
しかし、自尊心が強いため、オレすごいんだとという振る舞いがいっそう強くなっている。

私はあきれて、このA氏からは遠ざかっているが、別な人からハッタリが聞こえてくる。
問題はまことしやかに、ハッタリや何でも知っている風に言えてしまうので、本当に信じこんでしまって犠牲になる人がいることである。

ある女性は、本当にプロ歌手になれると思って、くっついていて、ついにいい歳になってしまった。

これは、一つの例だが、ほかにも変な人がいる。
先生で、やっぱりおかしいのではないかと思える人がいたが、ついにある校長が子どもへの被害を心配してのことか、休職させて精神科へ入院させた。

1年経って復職したが、普通の時もあるが、やっぱり変だという時もあり、正常と以上の間を行ったり来たりしている感じである。


誇大妄想

この手のタイプは自信過剰である。
ある精神科の医師は「誇大妄想は他人が非を唱えても決して揺がない程、強い信念です」と言っている。

オレが教えてやる、オレは何でも知っているというものの言い方をする人は、自信過剰でこの類の人だろうと思う。
聞いている方としては「オマエ、何でそうエライの?オマエの言うことなんか信じていないよ」と思っているのに、何を勘違いしているのか、常にものの言い方は「オレ様」である。

普通ではとてもできそうもないと思えることを、自分には特別な力があると思い込み、平気で人前で言えてしまう性格である。
医師の言葉を借りれば

妄想性障害 妄想性障害は精神症状が主に妄想に限局している心の病気です。妄想性障害では妄想の内容が、誇大妄想である場合もあります。妄想を除くと精神機能にほぼ問題はないので、社会的機能は比較的保たれますが、やはり、人間関係、仕事面でのトラブルは生じやすいです。社会的機能を改善する為には治療が望ましいのですが、本人は治療の必要性をほとんど自覚していないという難しい問題があります。


SeijoIjo.jpgということであるが、別な専門家の言葉では、世の中に全く正常だという人はいないそうで、問題はその人がどの程度異常な方向に振れているかだそうである。

学校においては、校長は子どもへの影響を最も心配するのであり、私が知っている教師の場合は校長が思い切って休職させたが、そういう決断に踏み切れない場合、なるべく影響の少ない仕事に持っていくしかない。
時に自尊心を傷つけないように配慮しなければならないことも、悩みの種である。

一般の大人への影響は、A氏のようにまことしやかに、もの知りであり、何でも相談に乗ってやる、エライ人も知っている、芸能界に通じているというハッタリをきかせている場合、若い女の子は騙されやすい。
現実に、犠牲になった女の子がいると言ったが、A氏の話を冷静によく聞けば、話は軽いし、そんなに経験があるわけがないと察知することも不可能なことではないが、うまい話にのぼせ上がってしまっていると、周囲の忠告も耳に入らないので、犠牲になりやすい。

だいたい、本当にエライ人ほど話は謙虚であるということを忘れてはならないと思う。

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posted by edlwiss at 09:18 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育研究
この記事へのコメント
 褒めすぎばかりです。かえってご迷惑と恐れています。しかし、この記事にも私は全く同感です。ありがとうございました。

 私に二人の子があります。生まれたときから性格が見事に違っています。育つに従い、生まれたときのその違いが増長されました。大学でそれぞれ違う専門教科を選択し、一時、その専門教科から離れた分野を学び、結局、性格に適した職種と私が思っていた領域で二人は落ち着きました。

 私の趣味は猫ではなく、犬です。しかし、全く同じ印象を持っていました。貴方の記事により、私はさらに自分の感覚に安心できました。

 参考にならないかもしれませんが、私なりに貴方の疑問に答えたいと思いはじめました。母親の血液のホルモン状態に影響されて頭脳やアミノ酸生産の仕組みが出来上がり、人はオギャーと生まれてくるのではないでしょうか。環境に応じて頭脳は形成されるからです。このような仮説で私は理解していました。

 この仮説の論理的な証明は大変にむつかしいです。しかし、デカルト的な発想に限界がありそうなこと。東洋的な複雑な考え方でも説明はできないこと。中間に良い法則がありそうなこと。若いときから私はこのように考えてきました。

 今日、朝日新聞は主に現場の苦労話、日本人の現場の姿、世界が驚嘆する我慢づよさを報じています。一方、読売新聞や経済新聞は機器管理能力の弱さを指摘している世界の冷静な見方を報じています。両方真実なのでしょう。しかし、偏っています。一方が欠落しています。毎日もサンケイも。NHKや民放やネットも偏った報道姿勢が多いように思えます。まだばらばらです。大同団結ではないため、救われているのかもしれません。何れか一方にまとまった怖い日本の再来だけは御免です。

 伊藤仁斎先生の研究者である友人は、今、書斎で研究に没頭しています。それを参考にして、私は人間科学の領域から考えています。すると人間の思考はかなり非線形性があり、これを上手く説明することが必要なのだと思い始めました。例えば、他人を怒った心理状態で、その他の人と接すると間違いを指摘し、怒りたくなる。やる気のある状態で問題を聞くと、解決策が浮かんでくる、などです。此処までなら問題はありません。しかし、興味が無い、関心がない、やる気が無い、責任を負いたくない、などのないないの心理状態は、恐ろしい結論が浮かんできます。貴方はそのような状態の世間と戦ってきたのではないでしょうか。間違っていて、お気に障れば、おせっかいな横丁のご隠居と切り捨ててください。

 貴方の正しさを多くの人が理解できるように、私は法則を考え始めました。期待せず待っていてください。これからも宜しくお願いします。
Posted by tsuguo-kodera at 2011年03月20日 07:22
tsuguo-koderaさん、今晩は。

そうです。ほめ過ぎで、私は恥ずかしいです。
斎藤喜博氏の「教師は実践者でなければならない」を肝に命じて、体験をもとに考えたこと、感じたことを書いているに過ぎません。

実践者でなければならないということを基準にすると、何も実践しないで、常に観客の立場でいる人が最も対極にある人でしょう。

とかく、実践しない人は、いかにも「こうすればできる」なんてことを言いがちですが、それは「ネコに鈴をつければいい」と言っているようなことが多く「それでは、どうしたらネコに鈴をつけられますか?」に対しては返事がありません。

>人間の思考はかなり非線形性があり

そういうことは、非常に感じます。
だから、人間に対しては「こうしたら、こうなる」は通じないと思っています。
また、そこが人間の魅力と感じることもあります。

動物では、犬はたいてい期待した行動をしてくれますが、ネコはそうもいかない場合があります。それがネコの魅力だとも思います。

人間は、言葉で「嫌いだ」と言っても、内心は「好き」と言っている場合もあるので、そういうところを間違えないで捉えることが大切と思っています。
Posted by dolce at 2011年03月21日 22:46
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