2011年03月21日

言葉だけで伝わるものではない

多くの人が経験していると思いますが、犬には、近づいていくと、こちらを睨んでウーッと低い声で唸っている犬。
しっぽ振って喜んで飛びついてくる犬など、犬には様々な性格のものがいます。

また、ある人には吠えるが、別な人には全く吠えないという人を犬が選ぶということもあります。

私があるお宅を訪問したとき、家の中から突然、小型犬が走ってきました。
その犬とは初対面でしたが、何か嬉しいようで、飛びついて来て顔をペロペロ舐めたがります。私が触ってやると喜んで、静かになります。

それを見た家の人が

「まあ、珍しい」

と言いました。

私はこの犬が誰に対しても、こういう風かと思っていましたが、そうではなかったようです。
何かわかりませんが、その犬には気に入られたようです。

犬には、人の耳では聞こえないような高い音を感じとったりする聴覚があります。
いや、聴覚だけでなく、他のものも感じ取る感覚を持っているのかも知れません。
人を区別するということは、それぞれの人が発している固有の何かがあるのかも知れません。

犬だけでなく、人間も何かを感じるものを持っているのかも知れません。
それで、無意識のうちにそれを感じているのかも知れません。

私の母親代わりになってくれたおばは、小さな雑貨屋をやりながら、自分の旦那さんが亡くなったにもかかわらず、私を高校へやってくれました。

私は高校へ行けるなどとは思っていませんでしたから、受験勉強などということはやらず、部活動は3年生の終わりまでやっていました。

何だか知らないうちに、受験することになっていて、それがどんな高校かも知らなかったのですが、おばや先生の言うままに受けました。

受験勉強はしませんでしたから、合格する自信は全くなかったのですが、友だちが発表を見てきてくれて知ったということでした。

おばのおかげで高校へ行けることになったのですが、おばは食卓で、時々

「今日はどうしたの? 何があったの?」

と言いました。

「いや、何もないよ」

「そんなことはない。何があったの?」

「何かあったって、わかるの?」

「わかる」

「どうして? わかるはずないじゃん」

「わかる。顔に書いてある」

こんな会話が続いて、おばには隠せないなと思っていました。
いくら、何も無い装いをしても感づかれてしまうのです。
親との間で、こういう経験をした人はいるのではないでしょうか?

おばは、他人の気持ちにとりわけ敏感だったような気がします。
いや、飼っている猫に対しても、今売っている「ねこのきもち」のように、猫の気持ちもわかるようでした。

高校に合格したということで、おばは、つましい中から、合格祝いとしてレコードを買ってくれました。
それが、ブルーノ・ワルター指揮/コロンビア交響楽団/ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」で、私はこのレコードを、もらった小さなプレーヤーでよく聴きました。
このレコードが偶然、名盤と言われる録音(演奏)で、クラシックファンの中でも有名でした。

コロンビア交響楽団という、あまり知名度のないオーケストラで、人の心を揺さぶる名演が誕生したのです。
どこがすばらしいのかと言うと、ごく自然な演奏なのだけれど、人が演奏しているというより楽器に生命が吹き込まれ、楽器たちが生き生きと楽しさを表現している演奏なのです。

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演奏の評価の一つとして「よく歌っている」というのがありますが、確かによく歌っているわけで、このワルターという指揮者は歌わせることが得意なのだと思っていました。

しかし、いろいろ調べてみると、ワルターは練習で「もっと歌うように」と言ったことはなく「もっときちんと弾きなさい」と言っていたということを知りました。

きちんと弾くということを徹底していくと、次第に精密機械のような演奏になりがちだと思うのですが、それが、ワルターの場合は生き生きとオーケストラが歌い出すわけです。

ワルターは時に83歳だったと思います。
すでに引退表明をしていて、健康上の理由からも仕事をやめていました。

しかし、関係者がこの大指揮者の録音を何としても残したいと思い、ワルターが動けないなら、ワルターのいるところでオーケストラを作ろうと言って作ったのが、コロンビア交響楽団だったのです。

普通、オーケストラ作りは10年かかると言われています。
しかし、このような事情で作られた臨時のオーケストラでありながら、歴史に残る名演が誕生したというのは、ワルターの音楽性はもとより、人格に他ならないと思うのです。

指導というと、何かを話さないことには始まらないのですが、相手に伝わるのは表面的な音声だけではなく、何か他のものも伝わっているのだと感じます。
言葉というのは、相手とのコミュニケーションの手段の一つですが、それだけで全てが伝わるものでもないと思うのです。

何が伝わっているのか?
無意識のうちに、指導者の人格その他までもが伝わっていると考えるべきだと思います。

私が今まで見てきたうちでの経験ですが、担任が歳の多い人の場合、子どもが落ち着いているように見えます。
プロのオーケストラの場合も、指揮者が70を超えて80歳ぐらい年齢になると、演奏に集中力のあるものが多いように思います。

こう考えてくると、指導者というのは人格的に歪がある部分が、欠点として指導にも現れると考えるようになりました。

自分を客観的に見るということは、なかなか難しいことです。
先に、部活動での指導を紹介しましたが、吹奏楽部員はいつも80〜90人ぐらいいて、それは全校生徒の約1割を占めていました。

ということは、それだけ学校全体への影響力も大きく、まず全部のクラスに部員がいるという状態でした。
それで、部活で決めたことなどはすぐに全校に広まるということにもなります。

小学校では学級王国という言葉も聞かれますが、中学校では似たように、部活王国ということもあります。
吹奏楽では、先生によっては、練習を外部の者に見せず、部活王国のような運営をしている人もいます。

優秀な指導者であればいいかも知れませんが、それは時に指導者の客観性をますますなくすということにもなりかねません。

そこで、近隣の中学校4校で吹奏楽部は研究会を作り、時々、指導者をローテーションしました。
合同で演奏会を行い。その際、課題曲を決めて、講師を招き批評していただくということを行いました。

日頃からそういう活動をしていると、それぞれの指導者の長所短所もわかり、子どもにとっても指揮者が交代するということで、よい緊張感ももたらしたと思います。
春休みに指導に行った学校が、翌年の赴任校だったということもあります。

4校演奏会の後は、演奏の評価だけではなく、運営に関わる生活指導の問題も話し合ったりして有意義な時間になったと思います。
これも、各校の校長や保護者の理解があってできたことだと思います。

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posted by edlwiss at 21:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育研究
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