2011年03月23日

ジャベールのような〜人を見る目

ヴィクトル・ユーゴーの小説「レ・ミゼラブル」(ああ無常)にジャベールという刑事が出てくる。

re_mizerable.jpg一切れのパンを盗んだために、投獄されたジャン・ヴァルジャンが刑期を終えて出所すると、ジャベールは「あいつは、また盗みをするに違いない」としつこく後をつけ回す。

夜の道を、飢えでさまよい歩いたあげくたどり着いた教会で、親切なミリエル司教にご馳走してもらうが、銀の食器に目をつけたジャン・ヴァルジャンは司教の恩も忘れて、懐に食器を隠しそっと教会を出る。
ところが、後をつけていたジャベールに見つかって、司教の前に突出される。

「司教、こいつ、不届きにも食器を盗んで逃げていました」

ジャンはもう観念していた(今度は何年刑務所に入ることになるのだろう)。
すると司教は

「いいえ、その食器は、その人が盗んだのではありません。私がさし上げたものです」

そう言われては、ジャベールも引き下がるを得なかった。

ジャンはその時から人が変わったようになった。

・・・・・

re_mizerable_book.jpg感動的な場面である。

しかし、いつかきっと捕まえてやるとジャベールは、なおもジャンの後を追い回す。

私たちの周りに、このジャベールのような人はいないだろうか?

人を信用することができない。
ものごとを、ことごとくマイナス思考で見る。

「そんなことをすると、○○になるぞ」

の○○がよくないこと、マイナスばかり。

ジャベールのような人は、教師には向かないと思う。

私が、学校からの用事で、ある駅を経由して行かなければならないことがあった。
駅まで車で行って、そこから電車に乗ると都合がいいのだが、どこか車を置けるところはないかという話になった。

それを聞きつけた、中学生のいわゆるワルと言われている生徒が「そんなら、先生、オレの家駅に近いから置いとけよ」と言った。
私は、ありがたいと思ったので、それじゃあお父さんお母さんによろしくと言った。

その話をある先生に話したら「そんなことをしたら、車がどんなになるかわからんぞ、やめといた方がいい」と言った。
私は全くそんな心配はしていなかった。
彼は本当に心配して気をつかってくれたと思ったからだ。
もちろん、問題は何もなかった。

私はブログには実際に自分が経験したことを書いている。
部活動の運営についても、実際に行なったことを書いている。

だから「そんなことをすれば〇〇になるぞ」と言うのは意味がない。
なぜなら、これからこうしようと思うという未来のことを言っているのではなく、すでに済んだ過去のことを言っているからである。

小学校に赴任しているとき、特別活動の実践報告をしたことがある。
その時も、実際の報告をしたにも関わらず「そんな風にはならない」と言った人がいる。

そんな風にはならないとは、なぜ言えるのだろう?
なるとかならないではなく「なったこと」をこちらは報告しているのである。

学校の先生は指導計画とか指導案なるものを書いて、実践に移す。
しかし、計画したようにならない事はよくある。
それはなぜか?

相手は「生きている」からである。
感情のある人間だからである。

コンピュータのプログラムなら、間違いがなければ、コンピュータは間違いなく動いてくれる。
でも人間は機械ではない。

コンピュータは誰が操作しても、操作に間違いがなければ、人に関係なく全く同じ動作をする。
しかし、そうもいかないのが人間である。

ある人が非常にうまくやった指導案を、別な人が全く同じように実行したとしても、同じ結果が出るとは限らない。

人間の場合は不確定要素が多いからである

先生という不確定要素。
生徒という不確定要素。

教える人が同じでも、生徒が違えば違う結果になる。
教える人が違えば、生徒は同じでも違う結果が出る。

議論をするとき、忘れがちなのが教える人の違いを考慮に入れていない
だから教育は人だと言う人もいる。

「そんなにいい方法があるのなら、ここに書いてくれ」という人がいるが、そういう人は自分という存在を忘れていないか?
どこどこで素晴らしい指導をした人と、自分は違う人間だということを忘れていないか?

SidoKekkaFukakutei.jpg


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さて、私は部活動において、誰でも許可を得たら、理由に関係なく休むことができるきまりを作ったと言った。
そして、これを部活におけるゆとりとも言った。

ゆとりとは何ぞや?

自由時間があるという時間のゆとりか?

私は、ゆとりの本質は精神的ゆとりだと思っている。

なぜなら、時間時なゆとりは個人によって違いがあるからだ。
あることをするのに、早い者もいるし、遅い者もいる。
ある者は10分でもいいと言うが、ある者は30分でも足りないという。
30分でも足りないと感じている者に、20分なら十分だろうと言っても通用しない。

休みは、特にやむを得ない理由でなくても、取れるんだということで、精神的ゆとりがもてるというのが、一番大きな効果だと思っている。

実際に実施してみて、休みたいという要望は思ったほど多くなかった。
でも、きちんと練習していれば、好きな時に休みがもらえるという効果は大きかったと思う。

また、このきまりを作る前には前段階があった。

新入部員が入ってくると、個々の新入部員の面倒をみる上級生を割り当てた。
割り当てたというと、機械的に思えるかも知れないが、こういうことを私が提案し、上級生たち話すと、彼らは賛成し進んでその役を買って出た。

これは、新入生にとってお兄さんやお姉さんができるようなものである。
新しい環境で不安のある生徒たちにとって、頼れる人ができるのは安心感があるし、上級生にとってはより上級生としての自覚ができるものと思う。

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教師がいろいろなプランを考えて実施に移そうとしても、生徒たちがこれを受け入れなければ、何にもならない。
生徒たちに反感を持たれていたら、教師の意図はことごとく砕かれる。
つまり、信頼関係が必要ということである。

ジャベール刑事のように、いつもマイナス思考の人は、実践してきたことがことごとく失敗して、悲観的に考えるようになったのか、それとももともとそういう性格なのか考えてみる必要があると思う。

ある人が言うことは聞くが、自分の言うことは聞いてくれない、響いていないと感じたら、自分に原因があるのではないかと考えてみることも必要だと思う。

・・・次の記事「使わない歯車は錆びる」へ続く。

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posted by edlwiss at 20:42 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育研究
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