2011年03月25日

教育に占い師が必要か?

駅の近くなどで易者と言われる、人の運勢を占う人を見かけることがあります。
どのくらいのお客さんがあるのかわかりませんが、易者の言い方は

「今の仕事はお続けになった方がいいですね。来年の春頃から、順調になります」

といった風です。
特徴は、なぜそうなるかという理由を言わないことです。

でも、占ってもらった人は信じるようです。
なぜ信じるのでしょうか?

それは権威を感じているからではないでしょうか?

あの独特な帽子のようなものをかぶって、黒い服を着て、ちょっと薄暗い照明で、何というんですか竹の束を持って、それを束ねたり広げたりして、おもむろに話をする。

いや、そういう人を私は軽蔑しているわけではありません。

私なりに冷静に考えてみると、占っている人がどういう人か知っているわけではありません。
初対面なわけです。
しかし、ああいう格好をすることで、何か未来を予測できるとか、世の中の仕組みを知り得ている人と信じてしまうという威厳や権威をかんじるのではないでしょうか?

だから、占い師の言葉に根拠は要らないのだと思うのです。
まあ、たまに

「あなたの家には、庭に井戸があるでしょう?」

「はい」

「その井戸が原因なのです」

のように、一見、根拠のようで根拠でないようなことを言ったりします。

これは占いのプロの世界ですが、学校にこういう人が必要でしょうか?
教育にこういう人がいたら便利でしょうか?
でも、教育界が必要としているかしていないかに関わらず、こういう人はいるものですね。

しかし、私は「こういう人はどこの学校にもいるものです」なんてことは言いません。
だって、私は日本中の学校を知らないですから。
それでも、見たこともない日本中の学校のことや、会ったこともない人間のことがわかる人がいる。
そして、こういう方は、教育を「お告げ」のように語っているように、私は感じます。

「生徒を○○すると、将来□□のようになります」

何かひらめくんですかね。未来の予言までできてしまう。
テレビで、事件解決のために、インスピレーションで、誰々が何処にいるなんて予想してしまう外人を観たことがあります。
霊能捜査官と言うんだそうですが、教師だったら霊能教師とでも言うんでしょうか?

私にはそういう、お告げを言えるような不思議な力はありませんから、試行錯誤で実践するしかありません。
しかし、試行錯誤でやっていると、全然違った方向のことをやっているかなと思ったりして不安になります。
だから近隣の中学校4校で、一緒に演奏会をやったり、お互いに指揮を交代したり、日頃の活動のことを話し合ったりして、自分のやっている方向が間違っていたり自己満足に陥らないようにやってきました。

それでも、先生が4人いるとみな性格も違うし、指導方法も違うし、目のつけどころも違います。
それがいいところなのですが、指導方法を真似してもうまくいくものではありません。
その先生とそっくりとって代わるようなことは出来ません。
よく、厳しいとか優しいとか言いますが、厳しいと言われる人の中にも、いろいろなタイプがいます。

先に例を挙げた指揮者セルは厳しいと言われましたが、トスカニーニも厳しさで有名だったようです。
でも、トスカニーニは叱るときは、あっさりした叱り方だが、セルの場合は執拗な叱り方をしたそうです。
厳しいと言えば、ソ連にムラヴィンスキーという指揮者がいました。
この指揮者は練習が多く、非常に細かいところまでこだわったと聞きます。

ショスタコーヴィチが自分の作品の練習を見に行ったとき、ムラヴィンスキーの練習を見て「私は、あの指揮者が何であそこまでこだわるのかわかりません」と言ったそうです。

厳しい指揮者がいる一方で、穏やかな、優しいと感じる指揮者もいます。
それはそれで、またいい演奏があります。

これらは名指揮者の世界ですが、いろいろな個性があり、意地の悪い指揮者など性格的には問題があると思われる人でも、人気があります。

もちろん、名指揮者のように練習はできませんが、普通だったら非難されるような性格でもなぜ通用するのかと考えると、それはスーパースターだからだと思いました。

choBakanokabe.jpg養老孟司・氏の「バカの壁」を読むと、バカな人ほど「知っている」と言うし、単純に結論を出してしまうということがわかります。
これは、ソクラテスの「無知の知」に繋がるところがあると思います。

また、学問とは「共通な部分を見つけることでもあり、それが人間の高度な知的働き」であるということが書かれています。
知人に何でも「知っている」とすぐ口を出す、バカ殿のような人がいます。
周りの人は、その態度を軽蔑しているようですが、本人は、それで偉くなったように勘違いしているようです。

「ネコとクジラが似ている」と言ったら、どう感じるでしょう。
人様々な反応を示すことが予想されます。

「そんなわけはない」と言う人にも「どちらも、乳を飲んで育つ」と言うと、なるほどと大抵の人は理解しますが「似ているわけないじゃん」から一歩も変わらない人もいます。

学問では、乳を飲んで育つ動物を哺乳類として分類しているわけです。
すなわち「哺乳類という集合」なわけです。
最近は、こういう集合の概念が理解できないか、集合の概念がめちゃくちゃになっている人が多くなったと感じています。

「同じわけない」という人たちに対して、養老氏は答えを準備しています。

「それでは、同じリンゴは一つもないのに、それらのリンゴを一括りにして、我々はなぜリンゴと呼んでいるのだ」

と。

スーパースターの指揮者は、もちろん我々とは違います。
4人の先生のやり方も違います。
優れたセールスマンの話を聞いたところで、同じようにはできません。

でも、そこから共通な部分を発見することで、勉強になります。
数学で言えば、最大公約数を探すようなものかも知れません。

私は優れた指導をしている先生に共通なところを発見しました。

それらの先生に共通したところは「学生時代にクラブ活動のリーダー」を経験してきているということです。
そして、その活動の中で、様々な苦労をしてきているということです。

それに対して、親があれこれめんどうを見て、お坊ちゃんのように育ってきた人はうまくいっていません。
こういう人がグチを言う中身は、大抵「生徒がよくない」ということです。
将来、中学校の先生になって行ってバンドの指導がしたいという本人が目標を持っている。
だから、力をつけるために、いろいろな先生のレッスンを受けて、本人は大学のクラブ活動には、時間のムダだ、俺は違うなどという意識で参加しない人です。
人間関係の難しさを経験してきていないので、苦労がないわけです。

ある学校へ、大学でもリーダーの経験をし、クラブを率いていた人が先生になってきました。
部活はまったく酷い状態の学校でした。
その先生によって改革が始まりましたが、それは素晴らしいものでした。
演奏が素晴らしいものではなく、これは将来素晴らしくなるぞと予感させるものでした。

コンクールへ出場したので、私は関心を持って聴いていました。
演奏は御世辞にも良いと言えるものではなかったが、その先生の良い指導は感じられるものでした。

審査の結果は、最下位でした。

生徒たちはショックで少しは反省するのかなと思っていたら、聞こえてきたのは「私たち指揮者がわるいもんで、いい賞がとれない」というものでした。

先生の気持ちを察するものがありましたが、この先生はただ者ではないと感じている人は多かったと思います。
5年ぐらい経ったかなあと思いますが、この学校は全国大会の常連になりました。

火中の栗を拾わないような、実践のない人、特に人間関係の苦労をして来なかった人ほど、自分は何でも知っているような言い方をするし、それはあたかも占い師のように見えます。

学校に占い師が必要なのでしょうか?

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posted by edlwiss at 13:51 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育研究
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