2011年03月28日

約束を守る〜それが信頼のもと

時間は早い遅いではなく、守ることが大切

私は数年前、あるボランティア団体の代表を急遽務めることになった。
始めは依頼されてお手伝いをしているだけだったが、いろいろな成り行きでそういうことになってしまった。

大人の団体を取り仕切るのは、子ども相手とは違っているところがある。
まず、会議への出席だが、午後1時半と決まっている時刻に遅刻する人たちがいた。

始めの会合で、時刻通りに始めて時刻通りに終わりたいから、遅刻のないようにとお願いした。
しかし、どうしても遅れてくる人たちがいた。
いわゆるおばさん連中である。

お化粧はきちんとしても、時刻に遅れてくる人がいる。
こういう大人の人たちをどうするか?

結論、遅刻が身についてしまっている人はあてにしないで事をすすめるしかない。
早い話が、学校のように教育する場ではないと考えていかねばならない。
そうしないと、いろいろなことに差支えが出てくる。

大人の場合、会議後、仕事などの都合がある人もいる。
開始時刻が曖昧だと、どうせ時刻通りに始まらないのだからという空気ができてしまって、遅刻する人が増える傾向もある。

ボランティアだからとかサービスだからという空気は困る。
何であろうと、引き受けた以上はいい加減は許されないと思う。

いわゆる一流企業などでは、遅刻は厳禁である。
きちんとした服装で参加することも要求される。
遅刻したら、入れてもらえない場合もある。

トヨタ自動車はカンバン方式で有名だが、決まった時刻に部品が納入されない場合は取引停止になる。

オーケストラでは、遅刻するとクビの対象になる。
実際、プロオーケストラで遅刻してクビになった人を私は知っている。

プロでなくても、オーケストラの遅刻は禁物である。
私はクラリネットを演奏しているが、参加するときは少なくとも1時間前には会場に行く。

オーケストラはざっと100人位の集団だが、フルート、オーボエ、クラリネット、バスーンといった楽器は二管編成といって二人ずつの場合が多い。
100人いるのだから、一人や二人という感覚は許されない。
例えばクラリネットは二人といっても、二人が同じことをやっているのではない。
自分のパートは自分しかやっていないことが多い。

つまり、オーケストラにおいて管楽器はソリストであり、一人欠けることでも演奏会はパーになる。
だから、遅めに行ったり、遅刻したりすれば、他のメンバーに非常に不安を与える。
オーケストラのメンバーは自分のことしか考えていない人は、参加できない。

これはオーケストラの話だが、チームで仕事をするということは、結局そういうことである。
会社において、時刻をいい加減にする人は、信頼がなくなり結局、仕事がなくなる。

ボランティア団体においても、同様である。
私が参加していたボランティア団体は、市の認定団体で、少しだが予算化されていた。
少しの予算といっても、元は税金だから会計はきちんとしなければならない。
年度末には会計監査があり、これには神経を使う。

市の認定のボランティア団体は10ほどあったが、毎月代表者会がある。
いい加減な団体は、卑近な言葉で言えばナメられる。

いい加減な団体とは、活動のいい加減な団体であり、それは開始や終わりがいい加減な団体である。

時刻について甘い人は、公的な活動をしたことがないか、責任ある立場で仕事をした経験がないのだろうと思う。

会場を使う場合、開始と終りはきちんと決められており、延長すれば延長料金になるし、後に別な団体が控えておれば、絶対に延長できない。

kimaritosinrai.jpg時間を守るということは、約束を守るとかきまりを守るという最も基本的なことであり、それをルーズにすることは、如何に悪影響をもたらすかということは、まともな活動をしている人たちはよく周知している。
企業では最終的には営業利益に結びつく。

トヨタではカイゼンという言葉もあり、改善により何秒短縮できたかということも見直しの成果としている。
トヨタと同じことをやれということではないが、失われた時間は取り戻せないということを考えれば、時間にルーズではそれが他にも悪影響をもたらす。

これは決まったことを守らないということに通じ、信頼をなくすことになる。
大切なことは、約束を守るということであり、特に、高度にシステム化されてきた今日の社会では非常に重要である。

今日の高度なシステム化は何かとつきつめると、コンピュータ化であり機械化である。
コンピュータも機械も信頼性が増す中で、最も不安要素は人間である。

簡単にいえば、機械はあてになるが人間はあてにならないかも知れないということである。

そういう不安を持たせない人とは、約束を守る人ということである。

部品の納入が早いので、納入先と交渉し、納入先が納入時刻を遅くしてくれたとしたら、その時間を守るということが大切であり、納入先としてはその時刻をあてにして計画を組むのである。

取引先と単価を交渉する場合、受け入れる方はなるべく安く、収める側はなるべく高くが常である。
これも、納入予定という時刻が関わってくる。
予定通り納入しない取引先はダメな会社である。
単価が高くでも、予定通り納入する会社の方が選ばれる。

情報デザイン

組織された社会や団体は、成員にきまりを浸透させることが大切である。
そのために、表や図を使ったりして直感的に認識できるように掲示したりする。

文章を読んで、理解しというのは時間がかかって効率が悪いからである。
交通標識はいい例である。
直感的に、停止するということがわかってもらわなければ、事故につながる。

デパートやスーパーに行けば内部の構造、つまり店舗がわかりやすいように図示してある。
トイレは「便所」と書いてあるところは少なくなった。直感的にわかるシンボルが多い。

このように、いかに効果的に情報を伝えるかという工夫を情報デザインと言う。
情報デザインという言葉は、高校の情報Aという分野で出てくる。

私も文章だけではなく、読者に伝えたいことを、できるだけ効率よく伝わるように図示する工夫をしている。

ところが、驚いたことに、こういう図示を形式だと言い、さらに形式主義だという人がいたのに驚いた。
情報デザインは形式ですか?

図示することは、視覚に訴えることで曖昧なことをはっきりさせる効果があるのだが、きまりを図示することが形式主義だとは呆れた。
しかも、きまりを守ることは人間味がないなどというようなことを言い。きまりを守らないことが思いやりで、守らなくてよいとまで言うのには、もはや、驚きを通り越して壊れているのではないかと思った。

こんなことを言っている限り、学校の信頼はどんどん低下するであろう。
学校と言ったが、学校という人間がいるわけではないので、一人の無責任な発言が学校全体の信頼低下に繋がるのは罪が深いと思う。もちろん、学校の教師でない人の発言なら、非常識な人がいるものだで済むだろうが、教師だったら非常に問題だ。
もっとも、今日、学校の地位は低下しているのかも知れないが。

さらに、輪をかけて驚いたのは、形式を重んじることは内容(中身)を軽んじることだという。
本当にそうなのか?

いや、ちょっと考えて見ればわかると思うが、形式と中身は関係ない。
形式重視が中身の劣化になると言うなら、形式をいい加減にしたら中身はよくなるか?ということだ。

結論は言うまでもない。
これは、もともとAかBかという話ではない。

教員はもっと社会に目を開くべき

ボランティアのような社会活動に参加すると、いろいろな職業の人が集まってくる。
そこで、気になる話題は概して、教員、元教員は使いにくいということである。
これは、聞くたびに耳が痛い。
そして、決まり文句のように言われるのが「先生、先生と言われ続けられてきたのがいけないのではないか」ということである。

具体的に何が問題になるかと言うと「一度言い出したことは、変えない」ということである。
言葉を変えれば「オレが法律だ」と言っているようなものだ。
とにかく、先生が入っていると、話がまとまりにくいということである。
これは、協調性が悪いということになる。

だから、定年後、使う人材において、警察官と教員の使い古しは役に立たないと言われるのだろうか?

もちろん、全ての先生がそうであるとは言わない。そういう先生がいるから「先生は」と言わせてしまう原因になるのである。

でも、私の知っている元校長は大変頭が低く、世間の評判がいい。
定年後も能力を買われて引っ張りだこである。
頭がいいと感じる人で、まさに「実れば実るほど垂れる稲穂かな」を思い出す。

細木数子さんのような人は、凡人ではわからないような何かを知っているのだろうから、ああいう言い方になるだろうが、そういう人は学校に必要ないのではないか?

もっとも、職員室の前列に水晶玉を持った人が、指示するような学校はおもしろいかも知れないが。

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posted by edlwiss at 22:33 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育研究
この記事へのコメント
 もうしばらくコメントを控えようと思っていました。でも、今日の記事に黙っていられませんでした。すみませんでした。

「部品の納入が早いので、納入先と交渉し、納入先が納入時刻を遅くしてくれたとしたら、その時間を守るということが大切であり、納入先としてはその時刻をあてにして計画を組むのである。」

 その通りです。大量生産がむつかしいのは物流です。思いがけず人気になり、いっぺんに大量に作ろうとすると道路が大混雑し、物が作れなくなります。急激な物流変化は売れる商品の宿命でした。今の被災地の道路は全てこのような極限状態なのでしょう。混雑は想定外ではありません。物流の常識が無かっただけです。インパール作戦やガダルカナル奪回作戦と同じです。貴方のような方がもし日本のトップいいたら、今日ほど酷い被災地の惨状は無かったのかもしれません。

「組織された社会や団体は、成員にきまりを浸透させることが大切である。そのために、表や図を使ったりして直感的に認識できるように掲示したりする。文章を読んで、理解しというのは時間がかかって効率が悪いからである。交通標識はいい例である。直感的に、停止するということがわかってもらわなければ、事故につながる。」

 当にその通りです。商品コンセプトを営業や技術と共有するためには、直感的に理解できる図形や面白い表現が必須でした。私はそれだけを40年間、会社でしてきたのかもしれません。貴方のお陰でますます自分を理解でき、学校でも私の手法を教えたいと思い始めました。ありがとうございました。

Posted by tsuguo-kodera at 2011年03月29日 08:19
tsuguo-kodera さん、いつもありがとうございます。

tsuguo-kodera さんに後押しをしていただいたようで、私も自信がつきます。
とかく、教員は社会から隔絶されたような環境になりやすく、それこそ「親方日の丸」と言われるせいか、ピントはずれな自己満足的投稿になりやすいと思います。

いっそ、学校も民営化し優れた教師が浮かばれるようにしたらとも考えます。

今後ともよろしくお願いします。
Posted by dolce at 2011年03月31日 19:02
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