2011年10月22日

「多いです」とは何人か?

例えば、学校の話になると「・・・という教師は多いです」という言葉が出てくることがある。
こういう場合、多いとは何人ぐらいのことを言っているのかと思う。
さらに、その多いというのはいかなる方法で調べたのかと言いたくなる。

それは、この「多いです」は、まずよくない場合に使われているからです。

例えば

「わかりやすい説明ができない教師は多いです」

との根拠はどこからきているのか?

「わかりやすい説明ができない教師は多いと思います」

としたところで、そう思う根拠は何か?

交渉は三人で行け

ある心理学の本によると、あることを頼みに行く時に、一人で行くと交渉相手にはあまり圧力を感じさせることはできないので、大勢で行った方がよいとあります。
それは、なんとなく理解できることです。

では、大勢とは具体的に何人ぐらいにしたらよいかということですが、二人では、一人よりもましだが、それほどの力にはならないということです。

しかし、三人となると、相手は大勢の者がそう思っているのだと感じるのだそうです。
ということは、二人と三人では大きな違いがあり、裏をかえせば三人以上人数を増やしても、それほどの効果は期待できないということになります。

だから、どうせ交渉に行くのなら何とかして三人にするとよいということになります。
自分が具体的に話をするということで、後の二人はただの付き添いでもいいということにもなります。

真実を知るには具体的に実態を調べろ

秋は文化祭のシーズンでもありますが、学校ではその準備に忙しい時でもあります。
そのため、しばしば生徒の下校時間が遅くなることもあります。

生徒は学校全体で組織した活動のために、クラスを離れて活動をすることもあります。
そして、各部署の活動の終了時間がバラバラになるので、クラスに戻ってくる生徒も時間がバラバラになります。

そういう生徒たちを、私は教室で待っていたことがあります。
なかなか全員が揃わない。

大人の活動なら、各々の仕事が終われば帰宅してもよいということもできますが、中学生ではそうもいきません。
クラスの生徒の下校を確実に確認したいわけです。

校内のあちこちに散っていた生徒たちは、仕事のきりがつくと自分の教室に戻ります。

私が教室に行ってみたところ、室内にいる生徒、廊下や外の庭にいるものなどいろいろで、誰がいて誰がいないということを掴めません。

それで、私は「みんな席に着くように」と言いました。
すると、ある生徒が

「みんな、帰っちゃったよ」

と言いました。
「じゃあ、集めてもムダか」と、私は考えないで

「何でもいいから、みんな一旦席につけ」

とやや大きな声で言いました。
それで、生徒たちが席についてみたら、空席は一つしかありませんでした。
そして、しばらくすると、一人の生徒が入ってきて、席は全部埋まりました。

これで、全員間違いなく確認して下校させることができるわけですが、ここで私が言いたいのは、もちろん確認することは大切なのですが

「みんな」

という言葉に惑わされない、ということです。

大きな声に惑わされず、実態を知ることが判断を誤らないもとになる。


中身は汚い、それでいて一方通行は何かに似ていないか?

説得力のある意見は、中身を精査したとき、根拠がしっかりしていて、曖昧さが少ない。
主張のためには、捏造までするというのは最低である。

公立の学校では受験指導は行っていない。
公立学校では裁量問題はとりあげません。
公立学校の教師は多忙なので忙しいので、補習授業はしません。
生徒の勉強の出来不出来は学校や教師の責任ではない。
公立の学校は学力を高めるところではありません。


上記のように、公立学校が言っていると意見を述べている人がいる。
一体、そういう根拠は何なのだろう?
どこかの公立学校の校長がそう言ったのか?

この意見を言っている人は、どうも塾経営者らしい。
私は、この人に質問したことがある。
それは、この人の文章が文法に沿っていないので、意味がわからず質問したのだが、返事は

「わからないことは、自分で調べるのが勉強の基本でしょう」

というものだった。

言葉の意味なら辞書で調べられるが、他人の書いた文法に沿わない文章を調べられる手段とは何があるのだろう?

書いた本人に聞くしかないのではないか?
そういう意味では「自分で調べる」とはこの場合、文章を書いた当の本人に聞くことではないか?

この人の思考は

[わからないこと]→[自分で調べる]

という単純思考がパターン化されているような気がする。
この人の頭では、何でもかんでもわからないことは調べるという思考みたいだ。

アライグマという動物は、食べ物を洗うというおもしろい習慣を持っているということが知られている。
そこで、アイスキャンデーを与えてみたら、これも洗ってしまってなくなってしまったという話を聞いたことがある。

私は[わからないこと]→[自分で調べる]というパターン化された、いかにも単純な思考ということから、このアライグマの習慣を思い出してしまった。

さて、公立学校が言っているという先の文だが、どうもこれはこの人の捏造ではないかと疑っている。

というのは、私が単にこの人の言いたいことを質問しただけで、ずいぶん気に触ったらしく、この人は他の人との対話で、私のことをこきおろしたあげく「塾と家庭教師が大嫌いだそうです(と私が言っている)」と紹介していた。

私は全くそんなことは言っていない。つまり、この人は捏造しているのだ。

だから、この人は自分の言いたいことを強調する時は、あることないことを捏造するのだと思ったのである。

私のしたことは、重ねて言うが、意味のわからない文章の真意を質問しただけである。

この方は、どうも質問されることがかなり嫌いらしく、自分が言いたいことを一方的に言いまくることが好きらしい。
しかも、その際に捏造までしてしまう。

こんな態度て、子どもを教えていていいのかと思う。

それは、子どもが学ぶのは指導者が言う言葉ではなく、指導者の行いそのものをより強く学ぶと思うからである。

言っている中身に疑問があり、主張は一方的で、一方通行ならそれは、汚れたものを吐き出すだけの排泄行為と同じだ。

説得力のある意見は、優れた工業製品と同じ

優れた工業製品は、数々の耐久テストに耐えて、商品として市場に出てくる。

説得力のある意見(優れた意見)というのは、数々の批判、反論に耐えてなお消滅しないものだと思う。

だから、説得力のある意見は、優れた工業製品と同じと私は言いたいのである。

自分は言いたいことだけ言うというのは、先に述べたように排泄行為と同じだ。

オレの言うことは黙って聞け、質問は禁止、議論になるようなことも言うな、ではまじめに良いものを作っていくという態度に欠けるばかりか、子どもに対してはファッショであり、話し合い活動そのものを否定する態度であり、民主主義に反するものでもある。

こんな態度で、子どもに一体何を教えるというのだ。

しかも、それを教育だというのは勘違いもはなはだしい。

jukunohajimekata.jpg感情にとらわれず、客観的に相手の意見の真意を確かめよう

ブログというものができて、個人が言いたいことをより発表しやすくなった。
そのため、無数とも言えるブログがある。

それだけに、中には何の価値もないゴミ情報もある。

正しく情報を受け取るには、感情を抑えて冷静かつ客観的に判断する頭脳が必要である。

新美南吉の「おじいさんのランプ」にあるように、主人公の巳之助が、自分の商売が成り立たなくなることを恐れ、電気の悪口を言って歩きまわるような態度はいただけない。

もし、自分の塾が流行らないことを恐れて、公立学校の悪口を言うなら、巳之助の態度と同じである。

ただ、巳之助は最後には自分で時代の流れに気づき、自分の愚かさに気づく。

にほんブログ村 教育ブログ 教育論・教育問題へ

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ


posted by edlwiss at 22:51 | Comment(4) | TrackBack(0) | 教育問題
この記事へのコメント
はじめまして。山口県の宇部市で中学校の理科の教員をさせていただいております。
「みんな」とは誰のことか?
面白いと思いました。「だって、みんな携帯持ってるもん」なんてときにも使われますね。
だからこそ、私は、この「みんな」に注目して、「みんながわかる」にこだわって授業をしています。
『学び合い』という『考え方』は、いわゆる学校だけでなくて、あらゆるところで有効だと考えております。
これからもよろしくお願いいたします。
Posted by sakusaku0428 at 2011年10月28日 04:33
 記事のコメントにも触発されました。この先生のコメントも素晴らしいと感服しました。私には出来なかった考え方でした。
 私もたびたび「みんな言っている」と言います。主に2つのケースだと思いました。何れもコメントした方と違っているような気がしました。

@都合の良い意見だけ言って、誤魔化して、其処から逃げるとき。
 そのテーマに興味が無いときです。逃げの手です。他の人にその仕事が行って欲しいときです。自分はもっと違うテーマをしたいときです。

A狭い母集団の中の8割方の人がある意見に賛成したと信じたとき。
 例えば、クラスの生徒さんの1名はラップが趣味だが、みんなはラップに興味がなさそうである、などと使います。しかし、今日、世界の企業は市場のトップを目指しません。学校の成績とは違います。むしろオンリーワンを目指します。変わり者です。スティーブのような人です。従って、例では、口ではラップを否定したようですが、心の中では、ラップをしてやろう、と考える社員を探し始めます。

 今日のコメント、学校の先生とビジネスマンの違いがあると、非常に興味を持ちました。今日もありがとうございました。
Posted by tsuguo-kodera at 2011年10月28日 08:25
sakusaku0428 さん、はじめまして。
また、コメントありがとうございました。

>私は、この「みんな」に注目して、「みんながわかる」にこだわって授業をしています。

この考え方すばらしいですね。
「みんな」という言葉は、しばしば、自己都合というか自分勝手な言い方に使われます。
それこそ、sakusaku0428さんの言われるように、プラス思考で使われるといいんだと気づかされました。
ありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いします。
Posted by dolce at 2011年10月28日 08:32
tsuguo-koderaさん、おはようございます。

tsuguo-koderaさんのコメントも、私には良い意味で触発されます。硬くなった脳を柔らかくさせてもらっているような気がします。
tsuguo-koderaさんは、企業に在籍され、今は学校に関係しておられますが、そういう経験を生かしての広い視野が参考になります。

私は逆に教員を経験して企業に入りました。だから、自分も広い視野を持っているなどとは言えません。そういう意味で、tsuguo-koderaさんのご意見は刺激になります。
今後ともよろしくお願いします。
Posted by dolce at 2011年10月28日 08:55
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス: [必須入力]

コメント: [必須入力]


この記事へのトラックバック

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。