2011年10月31日

絞首刑は合憲という判決



「絞首刑が残虐な刑罰を禁じた憲法36条に反するかどうか」について、このほど合法であるとの判断が下された。

私はこういう判断について、どうも割り切れない感情が残る。

それは「残虐な刑罰」といっても、残虐かどうかは個人の感じ方について差があるのではないかと思うからである。

こういうことを複数の人間で判断して、過半数が残虐でないと判断すれば、以後、残虐でないということになるのだろうか?

個人によって感情の違う問題を決めてしまうことに違和感を持たざるをえない。

私個人としては、死刑そのものに残虐性を感じる。
どんな手段で死刑を行おうと、残虐でない死刑はないと思うのだ。

これは、死刑制度に賛成か反対かという議論とは別問題である。

死刑制度、賛成、反対の意見は混乱している

すべての議論を知ったわけではないので、私が得た情報の範囲内の話であるが、混乱していると思うのは

1.死刑制度は必要か
2.誤審の問題

の2点を同時に議論していることである。

(1)人を殺したら、当然、自分も責任とって死の償いをすべきだ。
(2)遺族の感情を察すれば、死刑は当然だ。
(3)死刑制度があるということで、殺人という犯罪の防止効果がある。

(1)〜(3)の意見と、誤審の問題をどうするかの議論は相容れないものだ。

人を殺したら死刑になって当然という意見は理解できる。
しかし、無実の人を誤った判断で死に追いやっていいのかと言われたら、そういう間違いがあってもよいとか、仕方がないという意見は納得できるのだろうか?

それでも仕方がないというのは、自分だけは誤審の犠牲にならないと思うからではないか?

実際に死刑判決が確定した人の中で、再審で無罪になった人が4人はいたと思う。
この人たちは、再審を受理されることなく、死刑が執行されていたら、訴えるすべまでが葬られていたことになる。

死んだ奴は誤審であろうとなかろうと、仕方がないでよいのか?

「人を殺したら死刑になって当然だ」という意見を受け入れたところで、一番肝心なところは「人を殺した」ということを、絶対に間違いなく判断できるかということである。

そもそも、絶対に間違いを起こさないという人間が存在するのか?
というところが焦点になる。

それが裁判官であると答える人がいるとしたら、あまりにも、裁判官という身分を知らないと言えるだろう。
裁判官は神ではないし、普通の人間である。

裁判官という身分についたら、真実が見えるようになるなんてことはない。

誤審をしても何の責任も問われないという制度にも問題がある

ある著名な弁護士は、いろいろな事件に携わった経験の中でくやしい思いをしたと語っていた。
そして「トーストの焼け具合が悪いと死刑判決が出やすい」という言葉を残した。

念のため、説明しておくと、
裁判官が判決を出す日、朝食のパンの焼け具合が悪く気分がよくなかった。それで、ストレス解消の方向に精神が動いて、死刑判決を出した
ということである。

その信憑性を云々するということではなく、裁判官から見たら、被告を死刑にするかしないかの判断は、そのぐらいの軽さだと言いたいわけである。

裁判官が自分の判決に重みを感じないのは、もし間違った判決、誤審をしたとしても何のペナルティもないからだと言われる。

ある裁判官によって、ある家族の父親が誤審によって死刑判決を受けたとしたらどうだろう。
「人を殺したから自分も死刑になって当然」という考えに当てはまらないだろうか?

その考えによれば、誤審の裁判官は業務上過失致死に問われてもよいのではないか。
その結果、その裁判官は死刑になるという道もあるのではないか?

誤って人を死刑に追いやった裁判官は、責任をとって死刑になるとしたら、死刑制度存続でも、裁判官は慎重に裁判を行うのではないかと思うのである。

自分の一言で、人を生死の境に立たせるのであるから、そのぐらいの厳しさは必要ではないか?

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posted by edlwiss at 17:47 | Comment(4) | TrackBack(1) | 社会時評
この記事へのコメント
朝日新聞より舞い込みました。ちょびっと失礼をば、

死刑は残虐か否かと問われれば残虐かも知れません。
でもその残虐性が必ず悪い事でもないと思われるのですが?。

>その考えによれば、誤審の裁判官は業務上過失致死に問われてもよいのではないか。
その結果、その裁判官は死刑になるという道もあるのではないか?

業務上過失致死で死刑にはならないと思うけど?。
それで死刑にするのは残虐だと思う。

>誤って人を死刑に追いやった裁判官は、責任をとって死刑になるとしたら、死刑制度存続でも、裁判官は慎重に裁判を行うのではないかと思うのである。

死刑の残虐性に罪の抑止効果が有ることは認めてる訳ですね?。
それは死刑に抑止効果があるのか残虐性に抑止効果が有ると思われてるのでしょうか?。
残虐性の有る無しを問題視するより残虐性の度合いを問題視する事が必要だと思えますが如何?。
殺人の罪に抑止効果のある残虐性は必要ではないですか?。

も一つ勝手で過大なプレッシャーかもしれませんが、
>実際に死刑判決が確定した人の中で、再審で無罪になった人が4人はいたと思う。

それは法的に無罪になっただけで真実無罪かどうかは分からない。
再審で無罪に成ったのではなく、再審で有罪では無くなった事が真実では?。
法には、「疑わしきは罰せず」の基本が有り黒で無いことが白の証しではない。
灰色もまた白の一部だ。教育者は灰色と白を見定め白に導く事が目標ではないでしょうか?。
短絡的な黒白判断は早計だと思えるのですが。
Posted by 真愚 at 2011年11月01日 21:34
真愚 さん、コメントありがとうございます。

>でもその残虐性が必ず悪い事でもないと思われるのですが?。

このことについて、私は良い悪いには言及していません。
ただ「私は、残虐と感じる」という私の感情を示したということです。

>業務上過失致死で死刑にはならないと思うけど?。

現行法では確かにそうです。
私の言いたいことは、人を死にやったから、自分も死を持って償えという考えということで、裁判においては誤審で死刑にしたら、自分も死刑という法改正をすればよいということになります。

あるいは、誤審の死刑は殺人罪としてもいいわけです。

あるいは、業務上過失致死を想定しても、審理をする中で裁判官の故意性が考えられるとしたら、あらためて殺人罪に問うということも考えられると思います。

>殺人の罪に抑止効果のある残虐性は必要ではないですか?。

おっしゃるとおり、抑止効果は必要だと思いますが、抑止の方法として、残虐性を用いるか、死の恐怖を用いるか、あるいは他の方法を考えるかについては議論が必要だと思っています。

交通違反についても、厳罰主義がいいかどうかも、もっと議論してほしいと思うようなものです。

>再審で無罪に成ったのではなく、再審で有罪では無くなった事が真実では?。

判決というのは人間が下すものですから「事実」や「真実」は本当にはわかりません。
野球で審判がボールかストライクか判定するようなものです。

この場合は、いずれにしても、死刑にすべきでなかったものに死刑判決を下したわけですから、そういう意味では誤審と言えるのではないかと思います。

>法には、「疑わしきは罰せず」の基本が有り

たしかに、そう書かれていますが、現実には「疑わしきは罰する」となっていると、嘆くのは弁護士たちであるようです。

よいコメントありがとうございました。

今後ともよろしくお願いします。





Posted by dolce at 2011年11月01日 23:45
dolceさん、お返事ありがとうです。が、

本文欄には「posted by edlwiss」と有りコメント欄には「Posted by dolce」と有りますが
同じ人ですか?。私のコメントに謝意を表されてると言うことは同じ人だとお見受けしますが、
何で名前変えてるのですか?。
Posted by 真愚 at 2011年11月02日 22:21
真愚 様、コメントありがとうございます。

別のサイトのハンドルを間違って入力しました。

dolce=edwiss

です。

http://edwiss.com
Posted by dolce at 2011年11月03日 00:59
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Weblog: 営業の良識を問う
Tracked: 2012-11-07 23:29

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