2012年02月23日

学び合い学習の成功を願う

私が一番懸念するのは「ゆとり」のようになってしまわないかということである。

人によっては、自由時間がなるべくあったほうがいいのである。

いつの頃からか、何でもこと細かに指示してもらわなければ動かない人が増えてきたような気がする。

これって、ロボットのようなものじゃないかと思うのだが、おもしろいことに「私はあなたのロボットじゃありません」と言う人に限って、実は命令してもらうのを待っているという不思議な現象がある。

そんなに言うなら、自分で考えてやればいいと思うのだが「してくれない」という言葉が出てくる。

大学には卒業論文というものがあり、それは本来、自分でテーマを決めて研究するものではないかと思うのだが、教授のお世話になって、研究のお手伝いをすることで、論文が書けたという形もある。
学生もそれを期待している者がいて、先生からお達しがあるのを待っている場合がある。

「あそこの研究室に入ると、卒業ができない」という評判の研究室があった。

先生が何も言ってくれないというのだ。

幸か不幸か、私はその研究室に入ってしまった。

でも、私は自分で研究したいテーマを持っていたので不安はなかった。

ところが、大学には研究室の先生の他に、その学年の担当をする先生、いわゆる学年担任のような先生がいて、学生に、卒業論文はどうするんだという話があった。

私は自分のテーマを書いて出した。

ところが、先生にとっては、それが気に入らなかったようだった。

形の上では、学生がそれぞれ自主的にテーマを提出することになっているのだが、先生の方としては「すみません、テーマがないものですから・・・」ということを期待していたわけだ。

そして「それなら、仕方がないな、先生の方からめんどうをみてやろう」という予定だったのだ。

そういう先生の予定外の私は、先生からしたら不愉快だったわけだ。
おそらく「生意気なやつ」ととられたのだろう。

それぞれの学生のテーマを確認する時間に、先生は順に「誰々は・・・というテーマ」というふうに発表していったのだが、私の番の時「・・・・・の研究」と読んでから「これ、どうするかなあ(弱ったなあ)」と言われた。

もろに、生意気という皮肉めいた言い方だった。
しかし、私の研究室の先生が、私の意思を尊重してしてくれたことで、そこは無事通過した。

世の中には、このような空気が時と場合によって存在する。
だから「赤信号みんなで渡れば怖くない」という言葉のように「みんないっしょ」という空気が波及するし、たまに自立した考えを持つものがいると、表立っては言わないものの「生意気」ということで、頭を叩いてしまうということがある。

独自性を認めない風潮である。

私はこの日本から、こういう空気を排除していかなければならないと思っている。

そして、子どもたちをもっと開放してやって、自由な空気なもとでのびのびと持てる力を育ててやりたいと思うのである。

「ゆとり教育」に対する悪口は「好きにやって」と言われると、困る人の意見ではないかと思うのである。

ソシオメトリーで有名な、田中熊次郎先生は、子どもをがんじがらめにするのではなく、先生は子どもが自然に学べるような環境を作り、その中で自由に活動させることが大切と言われた。
それを「教材の池」と言われて、この池のない授業を「イケナイ授業」と言われた。

これから「学び合い学習」の研究が盛んになることはいいことだと思うが、私の一番の懸念は「何か新しいことを始めようとすると、それだけで反対を決めている人」である。

どうも、教員の世界にはこういう、心の狭い人が多いような気がする。
(気がするというのは私の印象であって、私は神でもないし、超能力者でもないから、日本中そうだとは言わない)

障害となるものは何か

(1)中身もわからず反対を決めている人

新美南吉の「おじいさんのランプ」に、主人公の巳之助が、自分の商売のランプが売れなくなることを恐れて

「電灯なんてものを使うと、山から狸が電線を伝ってきて畑を荒らすぞ」

と言って回る場面がある。

新しい時代を恐れているわけである。
単に、自分の商売がうまくいかなくなることだけを恐れているのである。

情けない人間の一面が描かれている。

でも、どうしても流れが止まらなくなって、商売もジリ貧になるので、巳之助は腹が立ってしょうがない。
それで、誰が悪いということもないのだが、誰かを恨みたくなる。
誰を恨むことにするかと考えたあげく、区長を恨むことにする。
そして、区長の家に火をつけてやろうと計画する。

これと同様な心理の人が研究の妨げになる。

心の狭い人は、残念ながらいるもので、すでに「学び合い学習」の失敗を期待していると思われる言葉を発している人がいる。
「狸が電線を伝ってきて、悪さをする」というのと同じだ。
本音は「オレの存在感」を気にするのだろうか。

こういう人の発言は、とにかく、悪い結果ばかり想定する。まだ実施されていないことも、必ずダメになるという結論にしている。
そういう人の心理を、再度、以下に掲載する。

got_or_chonoryoku2.jpg


(2)無知な人

学び合い学習の本質を理解しないで、やっていること自体が、学び合い学習の良さを生かしていないのに、うまく行かないと「学び合い学習はダメだ」と言う人。

だいたい、学び合い学習そのものは、新しいものではない。

いろいろな場面において、人が集まるところに学び合いはあると言ってもよい。
その今まですでに存在する学習の中で、特に「学び合い」に焦点を当てると考えた方がよいと思うのである。

医者が手術をする時に、ずいぶんたくさんの道具を使い分ける。
教育もいろいろな道具を使い分けなければならない。

その使い分けこそ、教師の専門性であると言える。

学び合いは、教師が子どもに与える問題をよく考えねばならないという人がいる。
それはいいとしても「簡単な問題を出すと、利口な子が解いてしまって、すぐ終わってしまう」という意見があったが、これなんか全く、話し合い学習の本質を理解していないのだと思う。

一斉学習がいいのか、この部分はグループに任せた方がいいのか、現地に行って見るのがいいのか・・・教師の専門性が問われる。

「教科書を見ると・・・」という意見もあるが、見たって見なくたって、そんなことはいっこうにかまわない。
子どもは見てきても、学級での授業の雰囲気を感じて「ここは、見ていないという前提で授業をやるのだな(やっているのだな)」と了解して「授業ごっこ」に参加するという傾向もある。

学校は「学校ごっこ」「授業ごっこ」をやめなければいけない。

教師が、ごっこをやらないと決意することによって、子どもも真の姿を見せるような気がする。

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posted by edlwiss at 14:07 | Comment(3) | TrackBack(0) | 教育研究
この記事へのコメント
 お説ごもっとも。その通りですね。先生ゴッコだけでなく、お父さんごっこ。お母さんごっこ。会社ごっこ。弁護士ごっこ。政治家ごっこ。新聞記者ごっこ。何時からこんなに臨場感の乏しい社会になったのでしょう。

 団塊の世代の造反、革命ごっこの人たちが社会をリードしているからかも。革命ごっこで北朝鮮にハイジャック機で行き、今も歳老いたお母さんが帰国に尽力をしている奴が部活仲間にいました。ごっこはいけません。自分はごっこをしていないと思っているごっこ人ほど社会に悪さをしでかします。


 ネット社会は恐ろしいです。怖いです。中国やロシアはビッグブラザーを志向します。全体主義の帰結でしょう。SNSは対抗しうるのか。SNSの国連の活動も目を離せなくなりました。

 現実には、棺桶に入る直前の私はと言えば、目の前に来た弱者、被害者を救済しようとするだけです。これで今の私の限界です。

 今日のコメントは核心すぎました。愚痴になりました。済みませんでした。
Posted by tsuguo-kodera at 2012年02月23日 15:25
>「ゆとり教育」に対する悪口は「好きにやって」と言われると、困る人の意見ではないかと思うのである。

わたしも そう かんじます。

大学のときの おはなしは わかりやすいです。


記事のなかでも 書かれていましたが
「ことこまかに指示されることを まつひと」は 多いですね。

そして また 指示にたいして
「ことこまかく 完璧に こたえなければならない」と 考えるひとたち。

そんななかで
「わたしこそは みんなとちがって なんでも できるので まかせて」
と ずれたひとたち。





Posted by 10円まんじゅう at 2012年02月26日 01:34
 お饅頭様のコメントは私にとって大好物のように感じています。今回も発想が広がりました。

 『「ことこまかに指示されることをまつひと」。指示にたいして「ことこまかく完璧に こたえなければならない」と考えるひとたち。そんななかで「わたしこそはみんなとちがってなんでもできるのでまかせて」とずれたひとたち。』

 素晴らしい指摘のように感じました。右と左の両極端。何でバランスしないのでしょう。でも、私はそれとも違っているのかも。私こそみんなとちがってひとつだけが得意と考えているようです。鶏頭を切るに牛刀を持ってす、で良いのではと。仕様やロジックやソフトやコンピュータシステムで考えるからでしょう。

 またのコメントがあることを期待しています。ありがとうございました。

Posted by tsuguo-kodera at 2012年02月26日 19:13
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