2012年02月25日

学び合い学習の本質を見失わないように

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私は学び合い学習が、かつての「ゆとり教育」のようにならないことを願っています。

ゆとり教育については、いろいろ言われていますが、立場によって価値観が違うのではないかと思っています。

ゆとり教育は、指示を待って動くことを前提にしている人にとっては、学ぶ内容が少なくなって、試験に対処できないと言うでしょう。

しかし、自立している人にとっては、大歓迎の教育です。
ゆとりの時間は自由なわけですから、自主的にどんどん学べるわけです。

だから、何を前提にしているかが大切なのです。

「してもらう」のが当たり前の感覚の人には「してくれない」という不平がでるでしょうが「自分からやりたい」という人にとっては、拘束時間が多いのは歓迎できないことです。

ある音楽大学の教授が言っていました。
この教授は、いくつかの音楽大学で講義をしています。

その大学は、いわゆる一流から三流まであるわけですが、教授が言うには

「○○大学は、学生が自分でどんどんやっているから、そこを見守っていればいいのだが、△△大学では、いちいち課題を出してやらないと自分からはやらないから」

ということでした。

音楽大学では、このような差が出ているということです。

さて「学び合い学習」の本質とは何でしょうか?

学び合い学習をものに例えると、私は次のように考えています。

ジュースを手に入れるということを考えてみます。

ジュースを手に入れるのに、自動販売機の場所を教えて、コインの入れ方、ボタンの押し方を教えるのが、受験教育や学習塾の指導だと思います。

それに対して、自動販売機のボタンを押すと、なぜジュースが出てくるのか、自動販売機がなくてもジュースを手に入れる方法はないかを考えるのが、学び合い学習ではないかと思うのです。

つまり、いかに早く能率的にジュースを手に入れる方法を教えるのが、受験教育であり、なぜボタンを押すとジュースが手に入るのか、自動販売機がなかったらどうしてジュースを手に入れるのかを考えるのかの違いです。

「生きる力」ということが打ち出されていますが、ボタンを押すことしかできない子どもより、ボタンを押さなくてもなんとかしようとする子どもと、どちらが、生きる力をつけることができるのかは明らかだと思います。

しかし、頭の中が「勉強とは答えを知ること」「いかに早く答えを知ることだ」の固定概念が染みついてしまっている人がいるのではないでしょうか?

私たちは、早く答えを出すなら、電卓の操作を覚えることが一番の早道です。

はからずも、3・11の災害で全てを失った人は、それまでの便利な生活を全て失ったところから復活するために、生きる力をいやがおうにも試された格好になりました。

コンピュータ時代になり、その中核はCPUと呼ばれる計算部分ですが、それと並行して、大切なのがプログラムです。

プログラムは人が知恵を使って作らなければなりません。
今やあらゆる電化製品に、コンピュータは内蔵されていますかが、その中のプログラムは各社各様であると思います。

各社各様ということは、目的はごはんを炊くということであっても、プログラムは違うわけです。

そのごはんを炊くプログラムを、いかに考えていくかをアルゴリズム(問題解決法)と言われますが、人が生きる力とはこのアルゴリズムを鍛えるようなものだと思います。

そこで、早くも「学び合い学習」の本質を理解していないと思われる例を見つけました。

それは、例として出させていただくのは恐縮ですが算数の問題解決型学習〜学力「崩壊」の決め手に例を見ました。

研究授業を見た感想が書かれていましたが、この方はやはり「答えを早く出すことが学力」との固定概念から抜け出せないように思います。

「23×12を(20+3)×(10+2)と考える子が出てきました」とあり、次に「なぜ、12×23というたった一問を解くのに、1時間もかける必要があるのでしょうか」と言っています。

そして「正しい筆算のやり方をきちんと教えるのには、5分とかからないはずです」と続けて「算数は、国語とかと違って、正しい答えは一つしかありません。
「考える力」云々よりも、子どもたちが、確実にできるようになることが大切です。
わかる子にとっては、こんな問題は楽勝すぎるし、わからない子にとっては、いくらたくさんの子どもが説明しても、かえって困惑するばかりです」と言っています。

私は子どもが「23×12を(20+3)×(10+2)と考える」というところはすばらしいことだと思います。
子どもなりの論理です。かつ間違っていません。
ただ、行き詰まることは考えられますが、そういう経験も大切だと思うのです。

「正しい筆算のやり方」と言いますが、それは算数の答えは一つしかないからと言って、そこに至る方法(アルゴリズム)は一つしかないと言えるのでしょうか?

正しい筆算のやり方という固定概念があって、それを教えたいなら、はじめから「学び合いの学習」の題材にする必要はありません。

それは、能率的に早く答えを出す技術を教え込む授業なのです。

学び合い学習というのは、答えに至る過程を大切にするという大前提を忘れてはなりません。

混乱すると言っていますが、そういう混乱もいい経験ではないですか?

授業者もその「学び合い学習」の本質をどれだけ意識して、行ったのかわかりませんが、学び合い学習は、早く答えを知る練習をすることではないはずです。

この授業を例にして、学び合い学習を勘違いして捉えている、塾講師もいます(結果を重視せよ)。

学習塾は、できるだけ早く答えを出して点数を稼ぐ訓練ですから、学び合い学習の本質とは正反対にあるものです。

答えの出し方を早くすると言う訓練は、必要ないとは言いませんが、それ以上に必要なのは、アルゴリズムなのです。
でなければ、社会に出て役に立つ立たない云々ではなく、コンピュータにとって代わられて、人の仕事はなくなります。

就職先は皆無になるでしょう。

学力とは何かをよく考えてもらいたいものです。

ひとつ、断っておきますが、何でもかんでも「学び合いの学習」に持ってくるのは、不適当な場合もあると思います。単純に、傾斜しないことも配慮していただきたいと思います。

「ひとつ、ここは学び合い学習でやってみよう」という時間を設定し、そこは十分に時間的余裕を持たせる必要があると思います。

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posted by edlwiss at 21:29 | Comment(1) | TrackBack(0) | 教育研究
この記事へのコメント
 アルゴリズムとは、当方の琴線に響く言葉。内容はまだ半分も理解できていないのかも。でも自分のものにできそうな気がしています。そうか、アルゴリズムと考えたら、小論もプログラムも要求仕様も同じこと。すると学校の学級管理もアルゴリズムで良いのだろう。思考が爆発しました。しばらく統合のため、時間が必要になりました。本当にありがとうございました。
Posted by tsuguo-kodera at 2012年02月26日 05:07
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