2012年02月26日

できることと理解していること、とは別である

sitterutsumori.jpg「知ってる」だけ「できる」だけで満足していないか

私は今、地方自治体の吹奏楽団を指導している。
クラブ活動ではない、だから団員は仕事としてやっている。

行事に向けて、必要な曲の練習をするのだが、これは当然行事に間に合わせるように練習しなければならない。

当然、まずは演奏できなければならない。

しかし、それだけでは「力」はつかない。

力をつけるためには、リズムをはじめとして、音楽がどのように作られているかを分析し、
まず頭で理解できているかを確認する。

音楽は頭で理解しただけではダメで、それが演奏という実技て実現できなければならない。

これには時間がかかる。

こういうことをやっていかなければ、応用力はつかないし、なんとなくその都度演奏ができるというだけで済ませていくだけになってしまう。

別な言い方をすれば、音楽の楽譜は、時間を分割したものであり、その時間の分割が数学的にきちんとしているかどうか理解していることが必要である。

音楽を演奏するには、それらの理屈っぽいことは知らなくても、見よう見まねで覚えてできるということはある。

しかし、再度言うが、理解していなければ、演奏する力は高まらない。

指導の相手が子どもの場合でも同じである。

例えば、記号に「テヌート」というものがある。
これをテストで答えるなら「音符の表す長さ一杯に音を伸ばす」で正解となるが、実際の演奏となるとそれではダメである。

それぞれの音符を一杯に伸ばすということは、隣の音符との隙間がなくなって、個々の音符の区別がなくなってしまうからである。

実際にはどう演奏するかがわかっていないと、演奏として実現しない。

具体的には「音を長方形の形で、隙間を作って演奏するように」と指示しなければならない。

「テヌートの意味知ってる?」

「ああ、知ってる、知ってる、音符の表す長さ一杯に音を伸ばすことだろう」

では、本当に知っていることにはならない。

tenuto_no_imi.jpg


「知ってるか?」と聞いたり、何か説明しようとすると、すぐ「ああ、知ってる、知ってる」という言葉はよく返ってくる。

しかし、本当に知っているのか(理解しているのか)というと、実は「知っているつもり」だったりする。

このように、本当は理解していないのに、知っているというのを、養老孟司氏は「バカの壁」というのである。

「知っている」という壁を作ってしまうので、本当の知っている(理解)に及ばないのである。

「学び合い学習」は理解を深める

学び合い学習の本質は、このように本当に知っているのかが試される。

例えば、以前、例に出したように、小学生では足し算で

1+2=12

と書く子どもがいる。

そうすると「私が教えてあげる」と、教えられるというこどもは多いだろう。

でも、そのできない子が「どうしていけないの?」と言ったら、説明できる子どもはいるだうか?

いや、子どもでなくても、大人でも納得させられる説明できる人はどのくらいいるのだろうか?

この、1+2=12には大切な意味があり、ここが理解されていれば、算数、数学のしくみを理解する大きなきっかけになると思うのである。

中学校で、文字式を習うと、a+b=abなのか?
ということにも関わってくる。

「できる」だけを「理解できた」にしよう

バカの壁になっていないか、子どもの素朴な疑問を考えてみよう。
そして、それに納得できる説明ができるかが問われる。

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posted by edlwiss at 16:14 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育研究
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