2013年01月10日

知能の壁を作らないために

■見下ろす人と見上げる人

見下ろす人とは、話し方がいつも上から目線の人である。

人を見下して話しているわけである。

もちろん、役割、立場によって上から目線で話さなければならないこともある。

それは、リーダーシップが要求される時である。

リーダーは、判断して決断しなければならない。

だから、リーダーが優柔不断だとみんなが迷惑する。

いずれにしろ、上から目線で話している時は、上は見ていない(見えていない)だろう。
これを続けているということは「井の中の蛙大海を知らず」と同じ状態ではないかと思うのである。

私は吹奏楽に携わることが多かったので、例としてはそれに関する話が多いのだが、かつてある中学校を指揮してコンクールに出た時、私たちの部門は終わり、表彰も済んで帰ろうと支度をしていた時、別の部門に出る中学生が準備しているのを見た。

中学生たちの持っている楽器に驚いた。

それは、みなプロ並みの新品の楽器を持っていたからである。

その学校は山奥の僻地の中学校だった。

先生がいたので、私が「すごいですねえ」と言ったら、先生は少し得意そうな表情で「いや、クラリネットは○○で揃えようと思ったんですがね」と言った。

○○とはさらにグレードの上の楽器である。

先生は自信に満ちた顔であった。

音大卒の新卒の先生だった。

私は、どんな演奏をするのだろうかと興味を持って、聴くことにした。

演奏を聴いた卒直な感想を言うと、そのすごい楽器らしい音は聴こえてこなかった。

審査の結果もよくなかった。

印象的なのが、帰りがけにその先生が会場の外のベンチに座って肩を落としているのを見たことだった。

まるで、ドラマを見ているようであったが、偶然そういう場面に出会ったのである。

それから何年か後、再び彼がコンクールに参加しているのを見た。

彼は別の学校に転勤していた。

その時は、前に聴いた時と違って、圧倒的に素晴らしいものだった。

もともと、指導能力は高かった彼だが、彼にとっては、かつての敗北感がバネになったと思った。
私も含めて、多くの人は、彼のデビュー時は大した演奏を聴かなかったものの、ただ者ではないと思っていたと思うが、さすがという気がした。

自分が上だと思っている人は、井の中の蛙と同じで、井戸の外は見えない。
でも、それで一生を過ごすのも、その人にとっては幸せかも知れない。

しかし、一流と言われる人たちはみな謙虚であるように思う。
それは。謙虚にしているのではなく、上を見ているからもっと上があることを知っているし、敗北感を経験し、より強くなっているからだろうと思う。

だから、上を見ている限り、進歩は続いているのでそういう人には、スランプはあっても壁(知能の壁)はないのだと思う。

だいたい、その立場でない限り、上からものを言える人など神かキリストか聖人、仙人しかいないだろう。

でも、世の中には何を勘違いしているのか、日本中(世界中)に号令している人もいる。

社長が自社の社員に向かって号令しているのはわかるが、他の会社にまで号令しているとしたら、滑稽であるし頭がおかしいとも思われかねない。

学校もしかり、校長が自校の教職員に号令するのはわかるが、他校にも号令するとしたら、変だということがわかるだろう。もし、そんな人がいるとしたら、知能の壁はおろか、まさしくバカの壁の見本みたいなものだ。

■習い事をする

知人が、定年退職をきっかけに、自分の子どもぐらいの年の先生についてヴァイオリンを習い始めたという話を紹介した。

退職しなくても、現役中に「子どもに手がかからなくなったので、エレクトーン教室に通うことにしました」と話してくれた男の先生もいた。

そういえば、公務員をもうすぐ退職するということで、自宅の庭に茶室を作って、お茶の師範を生かしてその道を極めようとしている人もいる。

これらの人にとっては、定年は一つの通過点であって、定年に関係なく目標を持っている。

年を取ってくると、認知症の心配がある。
でも、人によって差があるようだ。
習い事など、何かを追求している人の脳はMRIで調べても脳の退化は見られない。

ある80歳の男性は20代とほとんど変わらないという結果が出ていた。

日本は高齢化が問題になっているが、高齢でも生き方によっては若さを保つことができる。

しばしば例に出すが、指揮者はその代表格である。

私が知る最も高齢まで現役だった指揮者は96歳だった。

過去の名演を調べると、指揮者の年齢が80歳を中心としたころの演奏が多い。

指揮者は生きている限り知能が常に発達しているように思う。

頭が活性化していることは、気持ちも若いのかも知れない。
芸術家は高齢でも若い奥さんが多い。
芸能界では、歳の差結婚がニュースになるが、チェリストのパブロ・カザルスは80歳の時、20歳の女性と結婚している。

私はクラリネットを吹いているが、運よく、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席クラリネット奏者、カール・ライスター氏と近所の寿司店で会食することができた。※現在は退団。

ベルリンフィルと言えば、クラシックファンの人気を二分するフィーンフィルとともに世界の頂点に立つオーケストラである。

そんな彼が会ってくれるのかと思っていたが、ある人の仲介もあって会食をすることができた。
実に気軽に打ち解けた話ができて、やはりすごい人は偉そうでないと感じた。

ある難しい指使いについて質問したら、彼はわざと意地悪く「教えない」と言った。
私が不満そうな顔をしていると、そっと耳元で回答してくれた。
そんなユーモアのある人でもあった。

昔、ドイツへ渡って現地のオーケストラに入団した奏者に聞いた話では、ドイツはプロのオーケストラのランクがABCDEとあるとのことであった。正確にはEの下にUnderE(Eの下)もあって、6段階あることになるが、実力があれば、上の段階へ行くチャンスもあるとのことだった。

ベルリンフィルはそのAの頂点を成すオーケストラで、海外公演で帰ってくると、大統領も迎えに出ると聞いた。



ライスター氏はそのベルリン・フィルの首席奏者に22歳で就任した。
天才である。



彼の演奏は完璧で、指揮者・ヘルベルト・カラヤンの時、ベルリン・フィルのクラリネット奏者としてその重責を担っていた。

音楽の世界は、プロ、アマチュアを問わず、音楽に対する態度がまじめであれば、音楽の人脈は広がり、その人脈のおかげで世界の頂点に立つ人と会うことができる。

それには、偉そうだったり上から目線では、誰からも紹介は得られないように思う。

知能の壁を作らないためには、いつも何か追究するものがあり、謙虚さが身についていることが大切だと思う。





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posted by edlwiss at 18:46 | Comment(1) | TrackBack(0) | 教育研究
この記事へのコメント
>役割、立場によって上から目線で話さなければならないこともある。
>それは、リーダーシップが要求される時である。

 「上から目線」という言葉の意味を誤解されていませんか?

 引用するまでもないのですが, 

 「目上でない相手から受ける、他人を見下すような雰囲気や言説のこと」というのは一般的な解釈でしょう。

 「対等・あるいは自分より下の立場にいるはずなのに、相手の発言が上から物を言っているように聞こえるときに使う言葉。相手の人格を非難する言葉の一つで、言い換えるなら、まあ『偉そうなお前の態度が気に入らない』という感じ・・・という解説もあります。

 「不快な言葉をかけられた」という印象を抱かせるのが,「上から目線」なのです。

 リーダーが,相手の人格を非難するような言葉を使ってはいけません。

  
Posted by kurazoh at 2013年01月10日 22:49
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