2013年01月12日

地域に貢献する部活動

私は吹奏楽部を指導してきました(今も吹奏楽は指導しています)。

中学校で吹奏楽部を受け持った時、やりながら様々な疑問を持つようになりました。

まず、活動の目標を何にするかということです。

吹奏楽には吹奏楽コンクールがあることは、よく知られています。

地方大会から、全国大会まで続いています。

成績は、昔は1位2位3位・・・と順位をつけていますが、途中から金、銀、銅となりました。

最近、誰が言い出したのかわかりませんが「全国大会を吹奏楽の甲子園」というのを聞いたことがあります。

しかし、私はそうは思いません。

その理由は、高校野球の場合、甲子園に出る高校ぐらいになるとプロからスカウトがありますが、吹奏楽の場合、全国大会で金賞をもらったところで、プロからスカウトがあるとか、音大に入りやすくなるとかなど何の特典もないからです。

つまり、吹奏楽コンクールはプロの登竜門には成り得ないということです。

それでも、コンクールに出て競うということは、それなりに意味はあると思いますが、このコンクールでよい成績をとるために、学校によっては課題曲と自由曲の2曲しか、ほとんど練習しないところもあります。

課題曲と自由曲を合わせて12分という曲だけに、1年を費やすということには、私としては疑問を感じていました。

■地域に貢献する吹奏楽

コンクールには様々な問題がありました。

そのひとつは審査に対する疑問です。

公平を期すなら、運営の仕方をもっと厳格にすべきと思います。
この問題については、語ると長くなりますので、またの機会にしますが、審査員が指導に行くなどの問題があります。

早い話、コンクールには政治力のようなものが働く場合があり、純粋な子どもたちの中に大人の汚い世界を持ち込むことには腹が立ちます。

そうやって、よい賞をとったところで、その瞬間は子どもも喜ぶのかもしれませんが、感動はないようです。
子どもも不自然さを感じるように思います。

賞のために加熱しているのは、指導者の方ではないかと感じることが多いです。

なぜ、指導者が加熱するかというと、優れた指導者という看板、学校の名誉のためでしょう。

私が変だと思い出したのは、毎年、2曲だけに精力を費やし、それで全国大会で金賞をとったところで、その演奏を聴いているのは誰かということです。

賞をとって地元に帰っても、せいぜい、報告会程度で1回ぐらい、まわりの人は聴くだけです。

音楽の団体なのに、みなが上手いのだと知っている情報というのは、金賞をとったという情報だけです。

「金賞だから上手い」と認識しているわけです。

特に、日本人は「賞」という看板に弱いと言われます。

そのせいか、海外留学して帰国すると「○○コンクール1位」とか「○○音楽院主席卒業」という看板を持ってくる人がいますが、それは帰国者のためのおみやげコンクールだったり、卒業=主席ということを知らない人は、それだけで凄いと思ってしまうようです。

音楽は看板ではなく「聴いてなんぼ」のものだと思うのです。

競うことを否定するのを否定するわけではありませんが、音楽は大勢の人に聴いてもらって価値があると思ったわけです。

特に、吹奏楽は野外演奏に威力があります。

だから、地域の行事を盛り上げるために、開会式に出てマーチを演奏するなどの活動がいいと思うようになりました。

そのためには、レパートリーが課題曲と自由曲の2曲だけではだめです。

1年を通じて、いつでも校内だけでなく、地域の行事に役立つだけの演奏レベルとレパートリーを持たなければなりません。

また、学校から出て地域の行事に参加するということは、子どもたちが社会性を伸ばすことにも役立ちます。

もちろん、演奏会も企画するわけですが、コンクールの曲はすごく上手いが、あとの曲になるとレベルダウンということにならないようにしたいと思いました。

でも、吹奏楽にとって全国につながるコンクールというのは、内部的にも外部的にも重みがあるのではないかと思いました。

果たして、子どもたちは演奏会で、コンクールほど真剣になれるのかという不安もありました。

しかし、行なってみると、子どもたちの真剣味が落ちるということはなく、むしろコンクールにはない大きな感動が得られました。

真剣さは指導者自身の問題で、指導者がどこに力点を置いているかということは、黙っていても子どもには伝わってしまいます。

吹奏楽はいろいろな活動をしている団体があり、コンクールに出ていないところ、コンクールではあまり顔を出さなくても素晴らしい演奏をするところもあります。

■吹奏楽にも体罰問題があります

私はなぜ体罰をもちいて指導しなければならないのか疑問を持ちます。

吹奏楽でも、今話題になっている高校のように、体罰の噂が聞こえてくることがあります。

それは、おそらく、指導者が指導者としての看板作り、学校の名誉のためにヒステリックになっているからではないかと思います。

吹奏楽は野球のように、プロの指導を受けてはいけないということはありませんので、時にプロを招くこともあります。

その時の指導を見ていると、厳しさというのは体罰とは全く無縁で、音楽に対する専門性、憧憬の深さが子どもに対しても真剣にさせるということがよくわかります。

長文になったので、今回はここまでとします。





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posted by edlwiss at 23:53 | Comment(1) | TrackBack(0) | 教育研究
この記事へのコメント
 小学校の私の担任の先生は変わりませんでした。怒られたのは2回だけ、優しい人でした。一回は、上級生の女子に、パンツが見えた、とからかった時。もう一回はクラスの生徒がばらばらで校内大会に出て簡単に大敗したとき。セクハラ厳禁とチームを思いやる心を育てられました。
 中学校の担任は怖い人でした。でも怒られたのは一回だけ。喧嘩で殴りあったとき。暴力は二度と振るうな、と諭されました。私は先生にそのように誓いました。それからは喧嘩になっても殴られるだけ。殴られたとき、人知れず、涙を流していたのです。でも、同級生には一回だけでした。
 今はその悪友が懐かしいです。殴られるのも上手くなれたから。
 飛躍しますが、音楽の部活も勉強指導もスポーツの部活もあい通じることが多いのでしょうね。今日もありがとうございました。
 
Posted by tsuguo-kodera at 2013年01月13日 05:36
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