2013年01月14日

自主性を高めること、好きにさせることこそ最高の指導

好きこそものの上手なれという言葉がある。

最高の指導は好きにさせることだと思う。
好きにさせれば自主性も高まる。

■理論と実践

とは言え、指導者としては確かな理論と実践が大切である。

理論と実践の相互作用で、互いに高まるものであると思う。

だから、紙の上の理論だけ、あるいは自己流の実践では勝手な趣味の世界で、それで指導にあたるというのは、私物化である。

吹奏楽の世界でも、そういう私物化はしばしば存在する。

そういう人は練習を見せない。

自分と生徒だけの世界を作っている。

残念ながら、とんでもない間違いを教えている人は存在するのであって、あえて指導者を避難したいわけではないが、犠牲になる子どものことを考えると、怒りは収まらない。

学校における部活動は、時に、専門でない(専門家としての教育を受けてこなかった人)による指導が行われている。

その指導がたまたま筋に合ったものならいいが、そうでない場合は、練習することによって子どもに間違いを身につけさせることになる。

やむをえず、専門外で担当になってしまった場合は、閉鎖的にならず、練習も公開して外部の人の意見も聞くようにした方がいいと思う。

それでも、責任を感じてなんとか取り組む人は、その姿勢が子どもたちにとっては教育になる。

一番みっともないのは、人のふんどしで相撲をとると言うように、自分は何も実践しないで、他人の成果をあたかも自分の功績のように私物化する人である。

指導はとてもじゃないなと見える人でも、取り組みの姿勢で教育的効果を上げている人はいる。

たとえ、稚拙であっても、実践して肌で感じるものがなければ、全く説得力を持たないと言える。

話が脱線したが、体罰などの恐怖政治的指導をしなくても、子どもを好きにさせれば、効果は上がる。

部活動では、時間の確保も問題である。

特に冬期では、練習時間が短くなるので、練習の工夫が必要である。

しかし、子どもが部活を好きになれば、部活動の時間以外にも頭を使ったり、自分の時間に実践するので、結局、練習時間は長いということになる。

私はこう考えて実践してきたのであるが、行き過ぎてブレーキをかけなければならなかったことがしぱしばであった。

その例としては、

・部活動は終わって下校したのだが、生徒たちは練習が足りないと感じて、途中で楽器店の部屋を借りて練習していった。
・帰宅したのだが、夜中の3時半まで練習していた生徒がいた。
・高校へ進学してからも、帰宅すると楽器の練習ばかりしていて、受験勉強がおろそかになり入試に失敗した。・・・この生徒は、この熱心な練習を聴いていた外人に認められ、渡欧し、プロになった。今は大学教授をしている。だから、結局よかったのかも知れない。

など。

夏休みの練習も、生徒が計画を立てるのだが、それを見て、私が少なくするということが多かった。
子どもたちは、親から「音楽ばかりやっているから成績が・・・」と言われたくないのでよく勉強した。

■プロを目指す子どももいることを念頭にしなければならない

吹奏楽コンクールの延長線上がプロの道に繋がらないのは、練習内容に問題がある。

だから、簡単に言えば、指導者は基本を大切にするか、コンクールの曲に重きをおくかで悩む。

人によっては、言葉は悪いが子どもを消耗品のように考えている人もいる。

実際、私はそういう人と論争したことがあって、どうしても意見が合わなかった。

この意見の合わない人というのは、私の先輩であったが、学生時代から意見は合わなかった。

彼は中学校の先生になってから、猛烈に部活に熱を入れた。

それで、コンクールで学校としては過去にない成績をとって代表になった。

凱旋した彼は、校長のところに報告に行った。

校長は次のように言った。

「代表で次の大会に出られると思ったら大間違いだぞ」

コンクールで審査の結果、代表校に選ばれると、次の上位の大会に出るには学校長の承認が要る。

ふつうは、そんなことは感知していないと思う。

代表校になると、まず、校長は喜んでくれて、承認なんて当たり前で形式的書類ぐらいに考えているものだ。

指導者の先生も、当たり前と思っているだろう。

しかし、一応、形式的にも校長の承認は要るのだ。

校長は印を押さないこともできる。

田中文科大臣の大学設立を承認しないと言った事件を思い出す。

校長が「代表で次の大会に出られると思ったら大間違いだぞ」と言ったのは、日頃の指導を苦々しく思っていたのだ。

彼は体罰こそしなかったが、部活意外の仕事の手抜きが多かったからだ。

校長が言いたかったのは「ここは学校だ」「教育の場だ」ということだったのだ。

彼は音楽が非常に好きだった。

それで、彼のやりたい音楽を実現するために、部活動にその場を求めたのだ。

それは決して悪いことではないと思うが、教育の場という土台を忘れてしまって、自分の趣味のために私物化してしまったのがまずい。

そんなに音楽が好きなら、プロを目指せばよいと思うのだが、そういう気持ちはなかったらしい。

中学生は3年間で卒業していくので、彼の頭の中には生徒を3年間の消耗品としか考えていないのだ。

中学生の時期というのは、長い人生を考えると、成長の大切な一時期である。

卒業して行くときは、習ったことを財産として持っていくことが望ましいと思う。

生徒がプロを目指している場合、あるいは途中でそういう意向を示した場合、練習が妨害となってはならない。





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posted by edlwiss at 12:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育研究
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