2013年01月28日

体罰が厳しい指導ですか?

■指導を受けるのに甘い指導を望んでいる人はいますか?

私は厳しいと指導とは、誠実で熱のこもった指導と思っています。

それと、体罰による指導がイコールだとは思いません。

もし、指導するときに体罰をする先生がいるとして、それが熱心な先生なのだと思う人がいる限り、体罰はなくならないのではないかと思います。

今、体罰が問題になっていて、実際に体罰を行う先生の評判を生徒に聞くと「熱心に教えてくれた」という声があります。

それでは、これは誠実な指導と言えるでしょうか?

「熱心に教える」という言葉だけに注目すれば、それはよいことのように思えます。

■体罰先生はなぜ指導に熱心なのか

熱心に指導するということは、指導の結果、得られるものの期待が大きいからだと思います。

では、その「得られるもの」とは何でしょうか?

指導の相手が生徒であるなら、その得られるものとは「生徒のため」でなければならないと思います。

指導者に対して「あなたは、どうしてそんなに熱心に指導するのですか?」と質問した時、指導者はどう答えるでしょうか?

■誰のための指導なのか?

あるスポーツの有名校(何度も全国制覇している)をテレビ局が取材しているのを見たことがあります。

女性の指導者でした。

体罰の場面は映らなかったですが、記者が時には体罰のあることを知って

「愛のムチですか?」

と聞きました。

その先生は

「えっ、愛のムチ、そんなこと私はようしませんわ。腹が立って叩いています」

「愛のムチなんて、できる人・・・そんなことよくできますわ」

と言っていました。

これを聞いて、私は心に響くものを感じました。

体罰を容認するという意味ではありません。

これが、本音だと思ったからです。

そして、この先生に誠実さを感じたからです。

「なぜ体罰をするのですか」と聞かれて「愛のムチ」とか「指導の一環です」と答える人を、私は信用しません。

指導になぜ熱が入るのか、それは生徒のためにはなるでしょう。

しかし、生徒のためだけではありません。

指導者自身のためでもあるからです。

「生徒のため」と「指導者自身のため」と天秤にかけて、どちらが重いですか?

■指導者は迷いながら指導している

私も一応、指導者のうちですから、多分他の指導者もそうだろうと想像しての話です。
人の心の中は絶対にわかりませんから。知る人は神のみです。

何らかの競技に出る時は、勝ちたいと思います。

しかし、自分が勝ちたいと思って、生徒の方はどうかと考えます。

そして、生徒の様子をみたとき、生徒も同じ思いなのだと感じればホッとします。

でなければ、自分は、自分の名誉のために生徒をダシにするのかと、もう一人の自分が語りかけてきます。

■子どもに教えられたこと

子どもはやる気になると、その加熱状態を止めるのが大変になります。

私は吹奏楽を指導していますが(今は大人の団体の指導が多い)、中学校の指導をしていた時、生徒が帰宅してからも練習していることを知り、実態を知ったら夜中の3時半までやっていたので、それをやめさせるのに説得したことがあります。

部員は、下校してからもしばしば場所を借りて練習していったということを、外部の人からも聞きました。

夏休みの練習計画を子どもに作らせると、あまりにも多いので、私が削る立場でした。

3年生のクラス担任をしている時、2学期になってクラス対抗の運動競技がありました。

バレーの練習を見に行った時、運動能力の劣る生徒がいて、とても試合にならないと思っていました。

レシーブができなくて、すぐボールを落とす。

それを見ていて、正直、私は腹が立ってきました。それにしても、他の生徒たちは寛容だなあと思いました。

でも、みんなは怒らず「いいよ、がんばって」と声をかけていました。

まあ、早く試合が終わればいいと私は思っていましたが、なんと、それが優勝してしまったのです。

相手が弱かった?

そうではなく、見違えるほど強くなっていたのです。

信じられなかったですが、あとでわかりました。

彼らは相談して、早朝、投稿前に小学校の体育館を借りて、毎日練習してきたのです。

ここで私が教えられたことは、子どもは指導者の言うことは聞くが、もっと影響力の強い人がいるということです。

それは誰か?

自分たちの仲間なのです。

とても不器用だった子たちは、みんなや友だちに申し訳ないと思って、それこそ自分の持つものを全て出し切って練習したのです。

特に、中学生頃は先生や親より、友だちの関係、影響が強いのです。

自分の悩みも、友だちと相談します。

彼らをやる気にさせる最も強い力は、友だちや同級生なのです。

だから、先生に言われてでなく、逆に「先生に華を持たせよう」と心が一致した時、すごく頑張って、先生の喜ぶ顔を見て自分たちも喜ぶということもあります。

そういう意味では、大人が考えるより中学生はずっと大人なのかも知れません。

彼らは、もう親になっていますが、同窓会や同級会になると、あっけらかんとした態度で「先生」と言ってやってきます。

とても温もりを感じる時です。

■指導者はなぜ腹が立つのか考えてみよう

「生徒のため」「愛のムチ」という偽善的な言葉はやめてほしいと思います。

営業マンは自分の生活のために仕事をしていますが、現代は「自分、自分」だけでは顧客を獲得できません。

第一に顧客満足度という言葉が出てくるのが一流企業です。

これは、指導者や先生と言う立場でも同様、生徒満足度が第一だと思います。
これは、表面的に生徒の好むことをやって、迎合するということではありません。

営業マンも、顧客の表面的な喜びを追っているだけでは、成績は上がりません。

腹が立って生徒を殴りたくなった時、本当に「愛のムチ」と思って殴りますか?
自分の名誉のため、利益のためということはありませんか?

体罰を用いる人が、熱心な指導者と誤解されていることを利用していませんか?

強いチームを作っている指導者が、みんな体罰をしているんでしょうか?

チームの成績が、給料に反映するという高校があると聞いたことがあります。

もし、それが本当なら、指導者によっては家計のことが頭に浮かんでくることがあるのかも知れません。
ローンを心配している人もいるのかも知れません。





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posted by edlwiss at 16:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 教育研究
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