2013年05月21日

起承転結を応用しよう

atamanoiihito.jpg起承転結を使うと、効果的にモノを伝えることができる。

何でも起承転結がいいというわけではないが、起承転結を意識して文章を書けば、まとまりのある文章というだけでなく、人の心理に効果的に訴えることができると言えます。

起承転結は伝統的な表現方法ですが、それだけに完成された表現方法であると言えます。

それは、言いたいことの印象を深める効果があるからだとも言えそうです。

だから、文章表現だけでなく、音楽分野でも使われています。

■ソナタ形式

音楽では交響曲や器楽曲などソナタ形式で作られているものは多い。

kisyoutenketu.jpg


有名なシューベルトの交響曲第7番「未完成」もソナタ形式で書かれている。

序奏があり、ここは、今から物語が始まりますという感じ、続いて主題が提示され(主題提示部)、ここでは主人公(第一主題)の登場で、主人公の彼女(第二主題)が紹介される。

次に展開部で物語が展開する。
様々な苦難を乗り越え、再び主題が再現され(主題再現部)、物語は終わる。

これはドラマである。

映画もこのように作られている。
スーパーマンが登場し、彼女が出てきて、様々な事件に遭い、スーパーマンは彼女を助けて、めでたしめでたしとなる。

クラシック音楽、特に交響曲は長くてどうも、という人もこのようなイメージを持って聴けば、楽しさが湧いてくるのではないかと思う。

このように、音楽におけるソナタ形式も起承転結であり、長い間続いてきた形式でありながら、用いられるというのは、人の心理、つまり感性に訴える方法として、やはり、完成されたものだからだろう。

感性に訴えるというのは、感動を呼び起こす方法として優れているということである。

気安く感動という言葉を使ってしまうのだが、英語クラブの諸氏に聞いてみると、英語では、感動とはemotionimpressionと教えてくれた。
日本語の辞書の説明は以下である。
美しいものやすばらしいことに接して強い印象を受け,心を奪われること。
大辞林

子どもに質問された時、困らないように確認しておきたいものだ。

人を感動させるとは、感動というものを持っていくのではなく、人が感じるものである。

例えば、彼女を喜ばそうと思って花を持って行ったとしても、彼女が期待通り喜んでくれるのかどうかはわからない。

感動は呼び起こすものであり、ある方法を使ったら必ず人が感動するというものではない。

人がいる所で悪臭を放てば、人は臭いと感じるだろうが、感動とは持って行って放って、人を感動させるものではない。

なぜ、こんなことを書くかというと、近年、言葉が乱れてきて意味がめちゃくちゃになっているというか、自分勝手に意味を決めていると思われる人がいるからである。

感動のある授業をしようと思っても、授業を受けている者が感動するかどうかはわからないのである。

それを、感動のある授業をすると言うと、まるで、感動というものを持って行って放つような言い方をする人がいるので呆れるのである。

まあ、感動が詰まったボンベのようなものがあって、教室でそのボンベの栓を開けると生徒たちが感動するというものがあれば便利なのだが(笑)。
(どこかに、そういうものを売っていませんかねえ)

余談だが、気になる解釈として「個性」もある。

「個性は持つべきか、持たざるべきか」という人がいた。
これにも呆れた。
個性とは生まれつき持っているもので、自分の意志で持つ持たないを決められるものではない。
(ロボットを作って、機能として「個性」という部品を入れるか入れないかというのなら、別だが)

■感動を目指して

小説も音楽もドラマも作者は感動してもらえないかと、熱を入れて作るものである。

テレビで放映されたドラマが視聴者の感動を呼び起こせば、視聴率も高まりテレビ局も嬉しいわけである。

コンサートだって、演奏を聴いた観客が感動してくれるように、演奏者は努力するわけである。

小説も感動するからたくさん買ってくれるわけだ。

だから、人生は感動を求めているとも言える。

「人はパンのみにて生くるにあらず」

とは、

人間は物質的な満足だけを求めて生きるものではない。
精神的な満足がなければ生きていけない。


と言うことで、精神的な満足とは感動そのものと言ってよいだろう。

■起承転結を応用しよう

論文を書く場合には、この形式は適していないだろうと思うが、人に強い印象を与えること、すなわち感動を与えたいという場合は、意識して起承転結を取り入れようと言いたい。

kisyoutennketu.jpg指導案も書き方に困ったら、起承転結をよりどころに考えてみよう。

もちろん、これは私の意見であり、私は国王でもないから、上から目線で言うものでもない。

■起承転結を理解するには

起承転結は4つの部分からできているので、文章をバラバラにしか読めない人、つまり頭の中で統合できない人にとっては理解不可能だろう。

しかし、人間が人間である所以は、そういった統合ができる知能を有しているので、普通の人を対象とする限り大丈夫だろう。

もし、あえてこの形式を否定する人は、統合して理解する能力に欠けているのかも知れない。

夏も近づいてきた、スイカの食べたい季節である。

包丁で丸いスイカを切った時、中が真っ赤だった時の感動を経験した人は多いだろう。





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posted by edlwiss at 00:02 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育研究
この記事へのコメント
 起承転結は国語の作文の基本ですね。分かりやすい説明をありがとうございます。
 面白い小説は最初の段落が特徴的だと私は考えていました。雪国や平家物語、紫式部など皆、最初の文章が、私のような凡人では書けないものでしょう。
 人気になる映画のシナリオもその通りの定石が普通でしょう。西部劇映画は最初のワンシーンが全体の面白さを表していて、まず現場のどきどきはらはらがあったように思えます。
 そういえば、寅さんの面白さは先頭部分の夢にあったのかも。ダブルオーセブンを毎回同じ始まりがあり、直ぐに一番の見せ場がありました。全部序が一番印象的でした。
 でも、会社のレポートや入学試験の志望書など、起承転結で書くのは難しいかも。これらは自分の意思を他人に伝える必要があります。凡人は転を省いた方が良い印象を評価者に与えられると私は考えています。
 従って、国語は意思伝達の表現と文学を別物と考えて教えるできなのでしょう。日本も国語も、今までとは違うグローバル化の時代に対応することが必要かも。日本語と文学を分けて考えるべき時代が来たのかもしれません。
 
Posted by tsuguo-kodera at 2013年05月21日 05:00
tsuguo-kodera 様

そうですね。転はよいアイデアなくして入れても変になるだけかも知れません。

報告書の類は過不足なく、結論を先に理由をあとに書くのがいいのかも知れませんね。

ありがとうございました。
Posted by dolce at 2013年05月21日 20:14
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