2014年02月11日

実践の場がイメージできない

人を呼んでパーティをやろうという時、自ら調理をするか出前で済ますか。
どんな違いがあるのだろうか。
実践という視点で考えてみると、ご馳走したと言っても、出前では自分で料理を作っていない。
だから、調理人がどのように料理を作っているのかわからない。
このように、私たちの生活の中には「出前」のような環境が増えていて「わからない部分」も多くなっている。

子どもの頃を思い出すと、親が家庭の年中行事を心をこめてやってくれたことが、なつかしい。
ぼたもちを作る時は、前日から時間をかけて小豆を煮たり、大変に手間をかけて作ってくれたものだ。
日曜の朝早く、寝床にその小豆のにおいがしてきて目の覚めたのを覚えている。

そういう、手間をかけたことが、親から子へと「実践」が生々しく伝わっていく。
最近は家で餅つきをするところも少なくなってきただろうが、毎年その時期になると呼んでくれる家が私にはある。

石臼があり、杵があり、打ち下ろす姿や湯気、つきたての餅を女たちが加工する姿を毎年見ている。
昔、餅つきが珍しくなかった頃は「餅つきの絵」が冬休みの宿題になっても、子どもたちは困らなかっただろうが、今はそんな宿題が出たら困ってしまうだろう。
もしかしたら、電気の餅つき機の絵を書いてくる子どもがいるかもしれない。

今の世の中、餅を食べたいと思った時はスーパーへ買いに行けばよいので、いつでも好きな時に食べられるという感覚がある。
古い人間は「餅」という言葉を聞くと、餅つきの場面を想像して「大変」という感覚が蘇ってくる。

家によっては、買ってくればすぐ間に合うのに、わざわざ手間をかけて餅つきをするという習慣を残している。
それは、ただ「餅を食べればよい」ではなく、一連の行事に大切なことが含まれていることを知っているからである。

こんなわかりきったことは、大人向けに言うことではないが、この「大切なこと」が次第に失われていくことで、いつしか「実践」も失われてきたと思うのである。

つまり、今の世の中「やりました」と言っても実際はやっていないので、結局、実践がないということになるのである。

まあ、別にいいじゃないかという人がいるかもしれない。
しかし、それが人との交流で問題になってくることがある。

それは「お手伝いができない」ということである。
実践がないから、お手伝いができないのである。

私は演奏を頼まれると、大抵は自前のPAを持っていく。
招待する側は気遣って手伝おうとするが、どんな風に用意するのかわからないので、手伝いようがなく、ただ見ているだけである。
これは、特殊な例になるかも知れないが、最近は、特別なことでなくても手伝いや準備のできない人が増えてきたような気がする。
それに反比例し、偉そうな人は増えた気もする。

自分は実践していないのに、実践したと話す人。
(出前を頼む電話をした,という実践はあると言えるが)
実際は自分でやっていないので、どんな準備をしたらよいか、どんな危険の可能性があるかイメージできないわけである。

イメージできないから、実践の寸前まで話をしても途中でパタリと話が止まってしまう。
言い方を変えれば、話の終わりが抽象的である。

実践の段階まで具体的に、イメージできて話のできる人が真の実践者であると思う。
細かいことを言えば、チョークの準備は?色の種類は?等々考えられるかどうか。

だが、長年経験してきたと言う人の中にも、本当に実践してきたの?
と思えてしまう人もいる。
何十年やってきても、実践の環境から学べない、吸収できない人だ。

だから、実践は経験の長さだけでは語れない。

昨年は、一体この人は何処に住んでいたのだろう、もしかしたら別の惑星から来たのだろうかと思うぐらい不思議な人に会った。
ただ、経験値だけ言うなら数十年はあるだろうが、自慢そうに話す授業を見に行ったら、とても授業と言えるほどのものではなかった。

授業は問題外だが、私が疑問でならないのは、一体、この人どこで生活していたのだろうかということ。
そのぐらい、社会常識にも欠けていた。

話が冗長になったが、締めくくりは「手伝える人になろう」と言うこと。





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posted by edlwiss at 00:42 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育問題
この記事へのコメント
 今日の記事、父や母や祖母たちを思い出してしまいました。ますます呼んでいるのかも。全く同感です。
 特に餅の例はスイートスポット、食い意地だけ張っていた悪ガキだったので。
 餅つきはこねる方が大変だと父は言っていました。水をつけないとこねられない、素早くこねないと怖い熱い、濡らしすぎたらかび易い餅ができるなど。
 辛味もち、あんころもち、きな粉餅、用意しておいて、できたらおなか一杯食べたことも一度だけありました。
 悪ガキは音楽は音痴です。PAの言葉だけ分かりません。妻は起きたところで着替え中ですので、まだ聞けていません。PAも知らないとは恥ずかしい男ですね。
Posted by tsuguo-kodera at 2014年02月11日 05:04
tsuguo-kodera 様

PAは説明すべきだったと思います。

http://www.takmac.com/kon09.htm
からの引用です。

//******************
PAというのは略称で、Public Addressのことです。いわゆるPAと言ったときには、正確にはPublic Address Systemなので、PAシステムと呼ぶことになりますが、一般にPAシステムのことを「PA」と読んでいることが多いようです。で、じゃあPAとは何なのだということですが、簡単に言ってしまえば、「演奏される楽器の音を客や演奏者に聴きやすいようにバランスを取ったり、音量を変えたりする装置全て」です。コンサートやライブに行くと、客席の中央辺りにたくさんつまみやらスライダーやらがついた大きな機械があると思います。あれもPAの一部で「ミキサー」と呼ばれるものです。また、ステージの横などにいくつもスピーカが積んであったりします。あれもPAの一部でメインスピーカと言います。また、ミュージシャンの足元に転がっているスピーカ、これもPAの一部で、モニタスピーカと言います。あげていけばきりがなく、マイクやシールドもPAの一部です。これら多くの機材のシステムをまとめてPAと読んでいます。 ***************//


餅つきは、私たちの年代では貴重な経験かも知れません。
子どもの心に影響を与えていることには間違いありません。
心に鈍感な人にとっては「用が足りればよい」という考えがあるようで、少なくとも教育の実践者を自負するなら、そうあってはならないと思います。
最近では、タブレットの教科書化を推し進めようとする人に危機感を感じます。
Posted by dolce at 2014年02月11日 11:53
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