2014年02月17日

給食指導は大切

■ものの見方・とらえかた

a7030gsl.jpg私の部屋には右の写真のようなものがあります。
割に大きなものなので、訪れた人の目を引きます。
黙っている人もいますが、開口一番「これは映写機ですか?」という人もいます。
もし、このブログを見てくださっている人がいるとしたら、何と思われるのでしょうか?

人の五感のうち、目から入る情報が一番多いと言いますが、ではこの写真のものを見た時、頭の情報処理はどうなっているのでしょうか?

「奇妙なものがあるな」

「映写機か?」

「何するものだろう?」

人によっていろいろです。

人の目はカメラのようで、取り込まれた像は人によって差はないようです。
しかし、その情報を脳が処理する段階では人によって差が出るように思います。
ただ、変わったものがあるとだけ捉える人「何をするものですか?」と聞く人「映写機だ」と捉える人「映写機にしてはフィルムがおかしいな」と思う人、いろいろです。

ここで私が言いたいのは、世の中には情報がいっぱいあふれているのに、その情報を吸収できない人がいるということです。
「映写機にしてはレンズがないな」と考えたり、それぞれのスイッチはどう使うんだろう、メーターは何を見るんだろう・・・なるほどこうなっているのか・・・思考が深まっていく人もいます。

シャーロック・ホームズは、人を見た時、服装や身振りなどを見て職業を見通してしまうことで有名です。
刑事コロンボはやはり観察力が鋭く、犯人が工作したトリックの矛盾を見てそこから事件解決していきます。
観察力の鋭い人は、ただものを漫然と見ているのではなく、思考が働くのです。

ここで、再度、文部科学省の言う「生きる力」見てみることにします。
「生きる力」=知・徳・体のバランスのとれた力
変化の激しいこれからの社会を生きるために、確かな学力豊かな心健やかな体の知・徳・体をバランスよく育てることが大切です。 

確かな学力
基礎的な知識・技能を習得し、それらを活用して自ら考え判断し表現することにより、様々な問題に積極的に対応し、解決する力

豊かな人間性
自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心などの豊かな人間性。

健康・体力
たくましく生きるための健康体力

太字は筆者ですが、この太字のところを現実の生活中で実践に移していかなければいけないわけです。
ところが、指導要領の研究会などをやっても、これらの文言を読んで実践に結びつかないという現象を感じることがあるのです。

■実践に結びつかない

例えば「美味しい料理を作ろう」と言う。
これには誰も反対をしないわけです。
ところが、いざ調理をする段階になって、今までのやりかたを振り返って、改善点を見つけ、何かを変えてみるかというと、依然として何も変わらない。

同様に「生きる力を」と言って賛成しても、今までのやり方と何も変えていなければ、実践はしていないし、何も変わらないわけです。

しかし「実践者」といえる人なら「どうして美味しくしたんだ?」の問に対し「砂糖を少し多めにしました」などの具体的な答えが返ってくるはずです。

「授業で勝負」と言ったって、それは誰でもわかることだし、誰も反対しません。
でも、観念論だけ、一般論だけ演説のように唱えるだけの人はそこから先へは進めません。

それはなぜか?

実生活の中でいくらでも情報は得られるのに、漫然と生活しているだけで何も吸収していないし、自分で仮説を立てて実践に移したことがないからでしょう。

■給食指導は実践に移すよい場である

授業で「協調することの大切さ」を学んだのに、給食当番の時、実践できないのは変です。

私が交通指導をしていた時、ある生徒が自転車で、一時停止を守らず通過しました。
それで、私は生徒を止めて「君、今なぜ止められたかわかったか?」と聞きました。
生徒は「はい、わかりました」と返事をしました。
それで私は「じゃあ、もう一度正しくやってください」と言いました。

ところが、また同じように一旦停止を無視したのです。
そんなバカなと思う人がいるかも知れません。
しかし、生活の中でけっこうそういうことはあるように思うのです。

先生が「生きる力」を学んでも、実践と結びつかないのも同じようなものだと思います。
実践への具体化に考えが及ばないで、ただわからないお経を唱えるように、いつもお題目だけいう人はうるさいだけで、必要ないわけです。

話が飛びますが、アベノミクスはデフレから脱却し景気をよくするために「三本の矢」という具体的な政策を考え今実行に移しているわけですが、成功するかどうかはわかりません。
でも、お題目を唱えているだけでないところは、実践者と言えるでしょう。

給食指導は、太字で強調したところを現実の場で実践する絶好の機会と私は捉えていました。
給食のある日は、いつも指導できるし、生徒の変化を見るのにも最適な機会と思います。
また、それが他の活動にも波及していくと考えています。




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posted by edlwiss at 23:45 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育研究
この記事へのコメント
 なるほど、給食ですか。一度も食べたことがありませんので気が付きませんでした。ありがとうございました。
 お坊ちゃま学園の端くれだったので、当方、小学校から高校まで弁当。早弁の時は皆さんと競争でした。昼休みになったら、走って大学の食堂へ一番で到着しラーメンかカレー。足の速いのが生きました。
 大学は不味い学食。部活の後の夕食のタンメン餃子が美味しかった。今考えると、捨てるようなキャベツの食材の中華だったのです。お蔭で何でも食べられるようになりました。勉強になりました。
 あるとき茶ばねゴキブリが野菜の下にいたのです。流石にゴキブリを半分食べた時、怒って店長に言いました。するともう一杯大盛りが届きました。流石に食べられませんでした。
 ゴキで思い出しました。会社員となり、2つの工場に勤務。どちらも凄く安く凄く不味い食事でした。安いから仕方がないと思って食べていました。
 あるとき、とある関西系の会社で、部下と食事中、ギャーと悲鳴を部下があげました。何事だと聞いたら箸立てから取り出したばかりのお箸を私の目の前に差し出しました。
 なんだと言って見つめたら、なんとその先に茶ばねさんが哀れにも串刺しだったのです。総務部に気を付けてくださいと言いました。もちろん部下とそれからも同じ食堂で昼食をとりました。
 数日後、食堂の裏の道に大型のゴキブリがたくさん悶えていたのです。ほとんど死んでいた状態で。私が殺生してしまった。でも、悪い病気が流行らないために仕方がなかったと南無阿弥陀仏を心の中で唱えたのです。
 ここまでは前置きです。長くてすみません。食事中は個性や育ちや能力が分かります。小論指導や会社の若手指導に食事は欠かせませんでした。全部自腹でした。お蔭で今もお金が無くなったのです。もうできないことです。
 それでも合格になった学生もあまり感謝しないのです。何故か当然と思っているようなのが不思議です。これも前置きです。
 でも、会社員は、私が酒と食事中に感想を正直に言うので、泣いていた人も多かったのですが、退職後10年ほどたったのに、私に今でも感謝しているように思えます。ダメな奴だと思った人ほど、盆暮れに届け物をしてくれるのです。
 逆に私のF社時代の中村師匠に贈り物をしているのですが、もっと高価な食べたこともないものを食べさくれました。
 身体がご不自由になった今は知らなかった食材を送ってくれています。そんなわけで美味いものは全部貰い物の今です。ありがたい、ありがたい。
Posted by tsuguo-kodera at 2014年02月18日 07:01
tsuguo-kodera 様

ご体験談ありがとうございます。
お話にリアリティがあります。

たくさん書いていても、全くリアリティがない人の文章もあります。

現実には会社の隅で、ひとりで碁でも打っているような人ではないかと思います。

そういう人がたまに、ブログに居場所を求めて出てきている場合があると思っています。

子ども相手に給食指導ができれば、指導力のある人だと私は思っています。
Posted by dolce at 2014年02月18日 18:13
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