2014年02月25日

おつきあい上のトラブル

人生、人とのつきあいの中には、時としてトラブル(もめごと)もある。
自分が悪い時は、ひたすら謝るしかない。
下手な言い訳をすれば、かえって状況を悪化しかねない。

菓子折りを持って、深くお詫びの言葉を述べに行ったこともあった。
相手は黙ってコーヒーを飲みながら聞いていた。
まだ怒っているのかどうかわからなかった。

ひと通りお詫びの言葉を聞くと、席を立ち、菓子折りを掴んで返った。
菓子折りを取る様で、許してくれたと感じた。

こちらが悪くなくても、相手の誤解で喧嘩別れのようになることもある。
最近、疎遠になっていた人から電話がかかってきた。
何年ぶりだろうか、気まずい別れのあった人だ。

声の調子が優しかった。
お話がしたいと言うので、喫茶店で待ち合わせた。
私が先に到着し、待っていると、後から私を見つけニコニコした顔で近づいて来た。
誤解が溶けたのだと感じた。

「いろいろ教えていただきたいと・・・」

と丁重な切り出しだった。
私は相手の低姿勢に上からモノを言うことは嫌いだ。

いや、昔はそうでなかった。
自分で偉そうになっていて、鼻持ちならない人間だったように思う。

年をとってきたせいか、私は次第に相手の雪解けを待つような気分になってきた。
今回も「やっと雪解け」という感じで嬉しかった。

年が自分をそうさせるのかと思ったら、そうではない。子どものころ一生懸命愛情をかけてくれた親の心がそうさせているのだと思うようになった。
中学校の同窓会で、私の弁当が羨ましかったという、同級生の話を聞いていっそうその思いを強くした。
そんなに可愛がってくれた親に対して、何の親孝行もできなかったことの悔いが、他人に対する気持ちに変わっているように思う。

中学校の教師時代、特に1年での担任の時に多かったのだが、給食指導など私の指導に不満を持つ生徒がいた。
それは生徒のわがままなのだが、生徒はふくれっ面をして怒っていた。
私はそんな抵抗には平気で、ひるむことはなかった。
自分は嫌われる先生になるのだろうなとも思っていた。

ところが、おもしろいことには、そういう生徒が3年生ぐらいになると、なぜそうなるのかよくわからなかったが、ニコニコして「いい先生」という。

嫌われるだろうなと思い、ズバズバやっていく私の指導は教育学で学んだことではなく、結局、親が私にやったのと同じことをやっているのだ。
私が中学生2年生の時、母親は旦那様を交通事故で亡くした。
旦那様などと変な言い方になるのは、私の母親は私の実母ではなく、つまり伯母なのだが、棺が運ばれてくると普段は気の強い伯母は泣いていた。

伯母の涙を見たのはその時だけだったが、その後一人で私を育てることになり、難しい年頃のわがままな私を叱っては、近所の家に行って泣いていたことが後でわかった。
弱いところを見せれば、将来を不安に感じるだろうとの、親心だったのだろう。
そんな伯母の気分を、私はそっくり受け継いでしまったように思う。
(生育歴は教育学を超えるように思う)

だから、たとえ相手が悪くてもその相手が惨めになる姿は見たくない。
自分は誠心誠意やって、雪解けを待つ。

そのせいか、自分が不幸だからといって、相手も不幸になれと期待する人間は嫌いだ。
相手の欠点を探すのも好きなら、それが趣味ならやればいいだろうが、ほじくり返して何になる?
惨めになる姿を見て喜ぶのか?
もし、そうだとしたら、それは道徳上は最低の心だろう。

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そういう私にも敬遠したい人間もいる。
それは壊れた人間だ。
ジュースのボタンを押したのに、コーヒーが出てくる自動販売機のようなもの。

こういう機械は修理工場に持っていくべき。

それでも、子どもは別だ。
可能性があるからだ。
可能性にかけるのが教師だと思うからだ。

大人でも修理可能が見いだせればいいが、ごく当たり前の間違いを認識できない人間、誤りが訂正できない人間。謝れない人間に関わっている時間はない。




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posted by edlwiss at 21:32 | Comment(2) | TrackBack(0) | 日記
この記事へのコメント
 親孝行したいときには親はなし。いえ、実力不足のため、したくてもできませんでした。親孝行できるときには親はなし、です。(泣き)今更墓の維持管理をしてもなにもなりません。
 弁解するなら、自分のことで、子供のことで精いっぱいだったのです。親孝行できなかった自分を恥じて、子供たちに世話にならずこの世とおさらばしたい、競争だと妻と何時も話しています。
 ぴんぴんころりを願っていた父母を思い出していると、騙されようが嘘を言われようが、お金を貸したり、本を貸したりして帰ってこなかったなど、どんな過去もあっても意に介さないことが普通になりました。
 無視は一番の苛めです。子供が他の子供を無視するのは今でもムカつきます。でも、私は平気でネグレクトできるようになりました。
 喧嘩屋だった私は許しているわけではないのです。無関心になったのです。やはり管理人様は観音様の生まれ変わり、法然和尚に近づいているように思えました。
 素晴らしいですね。それに引き換え私はやはり生浮かび。
Posted by tsuguo-koedera at 2014年02月26日 05:13
tsuguo-koedera 様

本当に親に苦労をかけたなあと思っています。
親孝行できなかった分、何かをしなければならないと思っています。
今となっては遅いですが、何もしないよりはいいかと思っています。

その人のためを思って、厳しく当たるのはいいと思いますが、人を痛めつけて溜飲を下げているような人間は嫌いです。

今日は私も早起きでした。

やっぱり、早寝早起きですね。
Posted by dolce at 2014年02月26日 12:22
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