2014年03月14日

斎藤喜博は立派な人だが

自分の作文を立派に見せようとして、立派な人の名前を出すのは「虎の威を借る狐」のようなもので、教師がそのようなことをすれば、かえって情けない教師であると証明しているようなものである。

斎藤喜博に感銘したというなら、具体的にどいうところで感銘を受けたのか書くべきである。
私の場合は教育学のすすめ (1969年) (学問のすすめ〈13〉)を読んだ時である。

島秋人という実在した人物をとりあげ、彼は学校時代はいつも蔑まれ、厄介者、邪魔者扱いにされたまま卒業して行った。
その彼が飢えに耐えかね農家へ泥棒に入った時、お婆さんに見つかって殺してしまった。
裁判にかけられ、死刑の判決を受けた。

彼は刑に服す中で昔のことを思い出した。
何もいいことはなかったような彼の人生だったが、唯一いい思い出としてよみがえってきたのは、小学校5年生の時、図工の先生が「構図がよい」と言った言葉だった。

彼は懐かしくなって図工の先生に手紙を出した。
手紙での交流が始まる中、彼は詩(うた)を作るようになった。
図工の先生は彼の作る詩が素晴らしいのではないかと思い、その道の専門家に見せたところ「天賦の才能が感じられる」と言われ、詩集として発刊される運びとなった。
詩集は彼が処刑された後「遺愛集」として世に出た。

私はこれを読んで強い衝撃を受けた。
強盗までする人間なんて悪人だというレッテル思考が吹き飛んだ。
彼が死刑囚になったのは、誰の責任なんだと思った。
持って生まれた才能を育てられなかった、教師の責任ではないかと思うようになった。

また、これで斎藤喜博という人の人格を知ったとも言える。
犯罪者ということで、まるで人種が違うように切って捨てる人もいるが、斎藤喜博氏は行いのよい人間だけに目を向けている人ではなく、温かい人であると思うようになったのである。

私が教師をやるようになってからも、このことは強く心に残り、すべての子どもに光が当たるように心がけた。
そして、子どもが伸びないで苦しんでいるのは、自分の責任ではないかと絶えず振り返るようにした。
反面、こと細かに校則を作り悦に入っているような人が嫌いになった。

教育に情熱を




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posted by edlwiss at 17:31 | Comment(6) | TrackBack(0) | 教育研究
この記事へのコメント
「子どもが伸びないで苦しんでいるのは、自分の責任ではないかと絶えず振り返るようにした。反面、こと細かに校則を作り悦に入っているような人が嫌いになった。」

 さすがです。子供たちの理解度や問題行動から翻って、自分の責務を考えて先生が教え方や指導法を改善をするのは大事でしょうが、先生本人が自分だけを責めるのはいけません。簡単に病気になります。20%程度の確率かも。
 子供が伸びないのは、先生を含めて学校の大人全員と、他の生徒さんの保護者、部活の顧問などの全員に責任があるのでしょう。
 表舞台だけではありません。裏方の、事務方の人も大いに影響があると思います。私は自分の例から、自信を持って吠えたいです。
 私は、小学校の時、小遣いさんの甘利さんと言う方にたくさんお世話になりました。先生以上に経済的に困窮していたでしょう。
 でも休日に学校のグラウンドで野球するには、教室が開かないと用具がそろいません。無理に教室にも入れて頂けました。時間外労働でしょう。
 理科の補助員は年配の太っちょさん、定年まじかでしたが、よく遅くまで駒落とし撮影をしていました。チューリップが咲く、バラが咲くなど、1分ほどの映画にしていたのです。
 私はそれらを見て、いろいろ彼に質問し、駒落とし撮影や高速度撮影の手法などを教わりました。ライティング手法なども。
 彼は旧制高校の補助教員だったようですが、教育制度改革で母校は理系の大学を開設しないため、有能な補助教員も小学校のお手伝いをすることになったと私は考えていました。
 彼はぶーちゃんと言っていました。この親しみのあるあだ名は私たちにとって、忘れられません。
 小遣いさんや補助員先生は皆さん分掌でなく、自分で子供たちを教育していたと、今になって良く分かりました。私だけでなく、多くの同級生が同窓会で必ず出す話題でもあります。
 ご冥福をお祈りして、今日のコメントを終わりたいと思いました。
Posted by tsuguo-kodera at 2014年03月14日 18:54
 管理人様の新しいブログにまた試しにコメントしたいと思い、アクセスしました。するとなんと、先に書き込んだと思っても、表示できなかった元コメントとその修正版がモデレーションまちでありました。
 日付をクリックするとコメントを公開できるように理解したのですが、クリッカブルマップにはなっていないのか、普通の図形だけの表示のようで、上手く公開できません。
 モデレーションのやり方を教えておいてくれませんか。忙しい身としては新しいブログの方のスタイルが良いのかもしれません。私は無職の定年退職者ですので、このブログの記事でも理解できますが。
 いろいろ要望をしてすみません。
 
Posted by tsuguo-kodera at 2014年03月15日 18:19
tsuguo-kodera 様

15、16日の土日は終日、コンサートの裏方でした。

ブログを書く暇がありませんでした。

私は学校の成績のよくない子どもを、引き上げることで自分の力もつくと考え、その実践の場として部活動を考えました。

楽譜を読む力、楽器を演奏する力をつけることです。

3年間連続して指導できたので、継続的に研究ができました。

他校の先生からは「あいつは優秀な生徒ばかり集めている」と言われたこともあります。

先生によっては、自分の指導力に自負があり「オレならもっと」という気持ちがあるのでしょう。

しかし、いい指導をする先生はそんなことは言わないようです。



Posted by dolce at 2014年03月17日 17:18
tsuguo-kodera 様

新しいブログのコメント書き込みができなくて、申し訳ありません。

よく調べて報告致します。

無料のブログから変わろうと試みています。
Posted by dolce at 2014年03月17日 17:20
tsuguo-kodera 様

コメントの設定は以下のようになっています。

「 すでに承認されたコメントの投稿者のコメントを許可し、それ以外のコメントを承認待ちにする」

以後、よろしくお願いします。
Posted by dolce at 2014年03月17日 17:29
 こんにちは。実は、この記事、昨年から読ませて頂いていて、気になっておりました。多くの方々は、努力はなさいますが、工夫に欠けるところがあります。この場合、努力というのは、昨日と同じことをコツコツやり続けるみたいなことです。アマゾンに暮らす裸族などは、数100年、数千年前と同じことをやり続けてきた典型と言っていいでしょう。そこに工夫が加われば、失敗もあるのでしょうが、失敗からも学び、前進があるのです。
 先生の場合、若しかしたら、教師に責任があるのでは、などとわが身を振り返り内省された、気付きを得られたことで、工夫を開始されるのだと思います。とてもいいことだと思います。この場合、反省し過ぎると、自己否定にもつながり易く、気づいたら即行動、と、行動に移していくなら、教師として成長できるチャンスの筈ですね。
 そもそも、出来の悪い生徒を何とかするのが、プロの教師というものですから。
 出来の悪い生徒から逃げないで、真正面から取り組むからこそ、教師としての実力が身に着くのです。それをしないで、出来のいい生徒の方ばかり向いて、出来の悪い生徒から逃げ回るなどということは、プロの教師のやることではありません(*^-^*)。
 それが我が子の場合も、しかりですね。出来の悪い子は、親や教師に、否応なしに工夫と努力を要求しているのです。手間暇おしまず、取り組みたいものです。
 老爺心より。
Posted by 林田明大 at 2015年03月16日 17:12
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