2014年07月22日

相性

相性というものは、いろいろなところにあるものだと思います。
人でもモノでもです。
それは、それぞれが個性を持っていて、その個性と個性がうまく協調できない時に、相性の悪さが出るのだと思います。

個性というのは、そのモノ(人)が本来持っている特有の性質ですから、互いに相性が悪い時にはどちらかが悪いとうものではありません。
例えば、水と油が溶け合わない代表として言われるようなものです。

■個性と相性を知って望ましい結果を得る

「人それぞれの役割」では、望ましい集団とは、音楽で言う良いアンサンブルと同じだと言いました。

人が何人か集まっていると、誰がいい悪いではなく、相性の良さ悪さが出ると思います。

では、相性の悪さを解消するにはどうしたらよいのでしょうか?

私がヒントを得たのは、やはり音楽からでした。

オーケストラや吹奏楽の楽器にはいろいろあって、それぞれ個性的な音を出しています。
作曲家はそれらの楽器の個性をよく把握していて、うまく使っています。
指揮者はそういう作曲家の意図をよく理解していて、演奏を実現するわけです。

だから、多彩な楽器を上手く使うには、個々の楽器の特質(個性)をよく知っている必要があります。
現実には、学校で吹奏楽を指導している先生が心得ている、最低限の知識の一つだと思います。

具体的な例を挙げてみると、トランペットとクラリネットが一緒に演奏するのは相性がよくありません。
だから、そういう楽譜を書くプロはいないでしょう。

でも、どうしてもトランペットとクラリネットを一緒に使いたいという場合、解決方法があります。
それは、そこにサキソフォンかホルンを加えるのです。

そうすると、よく溶け合うようになります。
トランペットは金管楽器、クラリネットは木管楽器と分類が違います。
サキソフィオンは木管楽器ですが、金管楽器とも相性がいいのです。
また、ホルンは金管楽器でありながら木管楽器と相性がいいのです。

こういうことを、グループづくりや人事に応用したらと思うのです。

例えば、AさんとBさんはそれぞれいい人なのだが、どうもしっくりしないという場合、CさんというAさんともBさんとも合うという人を入れることにより、AさんもBさんもCさんも全員が気分よく動けるということです。
この場合の効果は1+1+1=3ではなく、3より大きくなるのです。

■結局、世の中のものは、個性と個性のぶつかり合いと、個性と個性を融合するものからできている

楽器に例えた話に違和感を感じる人がいるかも知れません。
しかし、音楽が好きで、オーケストラを長年聴いてきたという人には、自然に今まで話してきた人の調和というものが身についているのだと思います。

私たちは生きていくために、いろいろなものを食べますが、それらが体の中で吸収され血や肉となるのと同じようなものだと思うのです。
それを、教養と言っていると思うのです。

学校の教育課程にいろいろな科目があるのも、食事でいろいろな栄養素をまかなうようなもので、本来は教養化するために考えられたのだと私は思っています。
それが、いつからか受験目的化して、教養がどこかへ行ってしまったように思います。

社会にはいろいろな人がいて、全体が調和することが望ましく、調和に向かって進歩を続けることで全員が幸福で文化的な社会に向かって行くべきだと思います。

ただ、そういう社会のの中にあって、毒にしかならないものがあったり、壊れてしまうこと(他人の不幸がおもしろいと思う人)を望んでいる人がいるとしたら、それはがん細胞のようなものでしょう。

時に、本音は他人の不幸を喜んでいるのではと思う人がいるのは、悲しいことです。
クリスチャンから言うと、人間の社会を、実は破壊しようという人がいて、こういう人をサタンというのだそうです。

サタンは人間のふりをして、紛れ込んでいることもあるそうですから、気をつけましょう。


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posted by edlwiss at 23:33 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育研究
この記事へのコメント
 なるほど、とても良く分かります。オーケストラやアンサンブルは美しいわけですね。相性を考えて曲ができているのですね。
 一方、複数人が関わる仕事はそうはなりません。同じような性格の部下だけを与えられたり、相性の悪そうな人、もともと過去に事件があった人など、まともな集団など与えられません。酷いものでした。
 部下の時、会社の仕事は楽しいのですが、中間管理職になると仕事は面白くなくなることが多いでしょう。救いは管理職手当だけかも。
 管理の仕事は美しくなく、泥臭いものなのでしょう。到底、実践なんて美しい文言に、管理は置き換えられません。ただ実践し、失敗し身に着ける技能ではないでしょうか。
 学校の先生は美しい世界に憧れて職を選んだ人が多いのかも。偉くなる人も美しい世界に憧れているのでしょう。泥にまみれる管理は苦手な校長や教頭が多いのかもしれません。
 美しい言葉だけを言う先生に教えられた生徒さんは不幸かも。大学に入って初めて世の汚さを知ることになれば、苦界へ落ちる可能性は否定できません。
 こんなことを思ってしまう私は今しばらく、下品なkodeちゃんとして登校し続けたいと考えています。
 論旨に合わない行動になりますが、決して論旨に反対なわけではありません。すみません。
 
Posted by tsuguo-kodera at 2014年07月23日 04:26
数学では、ある値に収束するということがありありますが、人間もある姿に収束を目指しているのではないかと思ったのです。

それが、アンサンブルに例える理想社会かもしれません。

いや、収束しないで、収束ー発散を繰り返しているのかも知れませんね。

クリスチャンは、やがて神によるお裁きがあるといいますが。
Posted by dolce at 2014年07月23日 23:45
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