2014年07月26日

教科書のタブレット化より先にやることがある

学校はガラパゴス化していると、感じるのだが、その原因は学校独特の閉鎖的環境にあると思っている。
こんなことを言うと、気分を悪くする人がいるかも知れないが、私には嫌み(いやみ)を言う趣味はないので、冷静に読んでもらいたいと思う。

■トップの問題

私は、トップは常に革新的でなければならないと思う。
企業の場合は、トップが革新的でないと、会社は潰れてしまうのに対し、多くの学校のトップは革新的とは言えない。

ガラパゴス化の第一の原因は、トップの頭の中の停滞にある。
昔は優秀であった人も、うかうかしていたら倒産の憂き目に合うという危機感のなさから、教育革新から頭は離れ、頭が硬化していくうちに、学校という組織のガラパゴス化をもたらしている。

このことについて、私には忘れられない思い出がある。

PCがまだ、自分で必要なプログラムは自分で作らなければならないころ、私は学校の業務改善のプログラムをどんどん作っていた。
これらにかかる経費は、そうすぐには認めれれるものではないので、すべて自費でやっていたのだが、それを見た校長は「今の若い人は、機械を使って仕事を怠けようとしている」と、間接的に皮肉を言っていた。

指導案は手書きが主流だったころだから、プリンターで印字された私の指導案は目立った。
(もちろん、目立とうと思ってやったわけではない。)
この指導案を見た校長は、PCを使って指導案を作ると、字数が少なくて済む、つまり少ない字数でスペースが埋まるので仕事が怠けられるという発想なのだ。

事実は全く反対で、PCを使った方がはるかに字数は多くできる。
だが、とにかく「今の若い人は、機械を使って仕事を怠けようとしている」が原点になっている。
そう考えたら、自ら検証してみたらよいと思うのだが、そこまで立ち入って考えるという頭の働きはなくなっているわけだ。

学校のガラパゴス化の第一原因は、トップの頭の硬化にある。

■何でも新しいものを取り入れればよいというものではない

時代の生み出した新しいものが入っていれば、時代の潮流に乗っているというものではない。
これは、学校でも企業と同じように費用対効果を考えるべきである。

特に、忙しいと言われる学校の先生の助けになるものは、積極的に取り入れるべきである。
だが、何でも合理化すればよいというものではない。
例えば、通知表の印字化に私は賛成できない。

教科書のタブレット化など、費用対効果は期待できないと思うし、むしろマイナスかもしれない。
それより、教員一人一人にタブレットを配り、教室の大型液晶テレビに教材提示したり、職員間の連絡、教育計画の提示に利用する方がいい。
この場合、ネットワークは学区内のローカルネットワーク中心の利用にすべきと考える。

次に、各教室に液晶の電光掲示板を設置する。
これは、地デジ放送でも番組の途中に「ただいま、○○地方に震度△△の地震がありました」と伝達できるイメージをまず考えてもらいたい。

全校に伝達すべき、緊急事態の時は授業中でも割り込んで、全校放送をしなければならないが、授業を邪魔せず伝達したい場合は電光掲示板を使う。
普段は各学級の時間割を表示するようにすると、授業変更にも便利である。
もちろん、行事予定やその他の伝達にも利用する。

これらの施設変更には大した費用はかからない。
障害は日常の学校運営の合理化に、どれほど役立つかというイメージが湧くかどうかである。

大した費用はかからないと言っても、それは行政のベースの話で、実行には個人から考えたら多額であるが、費用対効果には大きなものがあると思っている。

こうしたことは、腰の重い公立学校ではなかなか期待薄で、私立学校に期待できるかも知れない。
私立学校には先進的に、公立にも影響を与える改革を期待したい。


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posted by edlwiss at 23:53 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育研究
この記事へのコメント
「私は、トップは常に革新的でなければならないと思う。」この文章だけで必要十分条件を満たしていると思いました。以下は蛇足の回答解説です。

 義務教育の学校も、小中の会社も国も、地方の役場も、いわんや国の中核の長もその通りでしょう。長と名の付くすべての人もそうなのでしょう。
 人は安定を好み、安定を願うから成長するとも言えます。でもそれは庶民や一般の先生や所属員です。導くリーダーとして長は、革新的でないとバランスの取れた存続可能な組織はあり得ません。
 革新の難しさは方向が360度可能だと言うこと。安定なら停滞。方向性は要りません。エネルギーがあり操縦できたらホバリングしています。
 でもホバリングは難しい。何かの原因や外乱でカタストロフィーがおきます。その時、操縦不能になります。何処かへダッチロールし、激突。
 社会が変革するから学校も変革しなければいけない、とは私は考えていません。これでは月並みです。テレビのコメンテーターです。
 そうではなく、学校は未来の国民を作るところ。学校が変革しないと、日本はまたいつか来た道に迷いこむ。南無阿弥陀仏です。
 さて学校は変革できるか。義務教育の現場の長が革新的になれるか、だけが命題です。管理している先生が他ではなく、待遇などの議論以前にその立場の人の頭の中が革新的であるかにかかっている。
 もし私が20歳に戻れるなら、職の選択は変わります。でもそれは不可能。だから若い創造的な人に教師を目指して欲しいのです。そのような力のあった管理人様を尊敬しているわけでもあります。
 当方、次第に目線が下にゆき、今は中学生の創造性の教育だけに私は目が行っているのです。夢と現実の、狭間の妥協です。すみません、です。
Posted by tsuguo-kodera at 2014年07月27日 04:25
私は、はじめは教員をやるつもりはありませんでした。
しかし、かつてお話したように、すごい校長と会ったことで、人生の選択が変わりました。
なにしろ、図面に書いていった通りの校舎を作ってくれたのですから。
大学で勉強していたことが、すぐ実現できるなど想像もしませんでしたから。

おそらく、校長になることだけが目的の人は、頭が硬化するというか、本当に老化してしまうのだなと感じました。
そういう校長のもとで、教育が発展するわけがないと思います。

私の会った校長が例外でないような社会を望んでいるのですが。

>もし私が20歳に戻れるなら、職の選択は変わります。

そのつもりになって、小説にするというのはどうでしょう。
Posted by dolce at 2014年07月27日 19:06
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