2014年08月28日

少なくとも二手三手先を考える

最近、ある会合で、私も常々思っている不安が話題になった。

人々の思考力が低下してきたのではないかと言うことである。
原因は世の中が便利になってきて、便利さを享受する人だけの人が思考力低下に陥っているのではという、これも私と同意見であった。

野外学習でさえ文明の利器を持ち込み、野外学習の目的は何だろうと思ってしまう。
そんなことは考えず、一応行事さえ消化すればいいということだろうか?

考えなくなったという例に、私は自動販売機をよく例に出す。
どのジュースが欲しいか選ぶ→値段を確認→コインを入れる→ボタンを押す→商品を取り出す。
これだけである。

自動販売機の中はかなり複雑なことをやっているが、そこの部分は他人が考えたことである。
世の中は、難しいことは頭のいい人がすべて考えて、考えられない人の思考代行をやっているのである。

サラリーマンとして勤め、10年も経過し、ただ歳を取っただけなのに、後輩ができてくるとそれだけで自分が上になったような気分になる人は危険だと思う。
「若い人たちは・・・」と言うのはいいとしても、それが上から目線が身についた人は危険。
若い人は未熟なのか?

新入社員が未熟に見えることがあるかも知れない。
しかし、それはただ環境に慣れていないだけではないか?
企業は常に危機感を感じているので、それが頭をつかうことに繋がると考えられる。

学校の場合、親方日の丸、毎年同じことの繰り返しで、頭脳は退化しないか。
特に公立学校の管理職は危険である。
もちろんすべての管理職がそうだと言うわけではない。

一番危険な生活は、一日中ほとんど何もしない人。
帰宅すると、デンと座っている。
奥さんがお茶を持ってくる。
食事を持ってくる。
座ったまま、あれこれ指示をする。

こんな生活だっただろうと思われる人。
ある日曜日、奥さんが出かけて夕方帰ってくるまで何も食べなかったという、

便利な世の中と、このような生活が思考低下を加速するのだろうか?

問題はワンポイント思考。
将棋で言えば、王が危ないのに飛車が逃げてしまうようなもの。

私は原発問題についても書いたことがあるが、世の中を治めるために「原発の欲しい人には原発を与える」と言った人がいる。
「原発を与えた後は・・・」は考えないらしい。

「お茶を」と言われたらすぐ要求を受け入れてもいいだろう。
それでも「お茶を飲みたいのだな」と考えるだろうから、思考はワンポイントではない。
いや、もしかしたら、今はそこまで考えない人もいるかも知れない。

ワンポイント(一時思考)だけの人は危ない。
もし、ワンポイントの警察官だったら「ピストルを貸してくれ」と言われて、その後を考えず要求を聞いていたら大変だ。

憂いていても何の解決にもならないから、私は、せめて二手三手先を考えることを推奨したい。

問題行動があったら「しない」としか言えない生活指導をするのではなく「したらどうなる」あるいは「してどうなった」と聞いて、次はどう言うとよいか、どう対策をしたらよいか、さらにその対策の検証まで考える。

決まりを細々と作って終わりではなく、作った決まりによる心理的影響も考える。

人を殺そうとするかも知れない人に、ただ「ナイフを貸してくれ」と言われたから貸したと言う人が増えないことを願う。

何もしない管理職には将棋をさせるのもいいかも知れない。
相手を子どもにすれば、いい教育になるかも知れない。


リコーダーに関心のある方→コリーナミュージック


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posted by edlwiss at 23:17 | Comment(2) | TrackBack(0) | 教育研究
この記事へのコメント
 昨日の音楽の話も、今日の将棋の話も、説明はよくわかり、論旨納得です。便利な世の中になり、考えず済むことが増えたのは間違えありません。世の中がそこらじゅうブラックボックス化しました。
 さてそこで、です。大人は考え方をほとんど変えません。学校の先生はさらに変えられない人です。管理職なら絶対に無理と私は考えてしまいます。例外の例外は期待しないと言うことです。
 何度も言っていますが、だからこそ、義務教育が大事なのです。ブラックボックスの中身がどうなっているか考えられる教育です。
 高校生や大学生、また会社の新人では遅いのです。すでに出来上がったCPUがあり、そこに知識というソフトウェアを入れるだけです。できることは限られています。
 子供は生まれた瞬間はまだ可能性無限大。成長とともに可能性は衰えます。6歳から急激に衰えて、12歳を過ぎると、ゼロではありませんが、ロングテールの可能性になるのでしょう。
 発達心理学の教えは例外を除いて正しいといろいろな非常勤をして思うようになりました。管理人様は勿体ない生き方をしています。音楽やシステムを小学生に教えるべきです。
 もちろん、ある個人にとって生涯発達心理学は可能性はないわけではありません。死に直面した人は可能性はあるでしょう。そのような環境まで自分を追い込んでもあるでしょう。でも、管理人様が指摘しているような大人は無理です。追い込むなどありえない。
 灯篭の斧のような話でも、世の中にたくさんの同じような考え方の大人がいるかもしれません。今は少ないパーセントでも、その人に影響された子供さんはブラックボックスの中身を考えられる大人になるのでしょう。ネズミ算のような増え方になるのでは。
 私は、バドと小論と創造性開発で子供を教育してみたい、です。果報は寝て待て、太公望の心境です。でもこのままおさらばしても悔いはありません。私の過去の行いゆえなのだから。南無阿弥陀仏。
Posted by tsuguo-kodera at 2014年08月29日 04:30
>ブラックボックスの中身がどうなっているか考えられる教育です。

そうですね。
子どものころ、目覚まし時計をはじめ、いろいろなものを分解して、もとに戻せなくなって叱られたことを思い出しました。

子どもは元来、そういうところがあるのではないでしょうか?
Posted by dolce at 2014年08月30日 00:10
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