しかし、多くのデータを一つの数字に集約するということ自体乱暴とも言える。
例えば、国民の平均所得を出してみても、多くの人にとって実感がないようである。
これは、わずか数%の人が所得の大部分を占めていて、それが平均に影響しているからである。
あまりにも、平均点が神の数値のごとく用いられるせいか、それがあたかもすべてを物語っているように信じこんでしまっている人もいるようだ。
どこかの知事が平均点をたいそう気にしていて、平均高い学校の校長名を発表すると言う。
一体、知事殿は平均点の高さと、校長がどのような関係にあると思っているのか?
聞いてみたいものだ。
まさか、平均点の高い学校の校長が学校経営をうまくやっているとか、教育の成果を上げているとは思っていないだろうと思うが、万が一そう思っているとしたら、長としては恥ずかしい。
学力テストは能力の一部を測っているもので、人の能力として大切なものは他にもある。
■地域差
学力テストを行って出る結果は、その学校の教育力だけではない。
エンゲル係数の低い地域、つまり所得の少ない地位域では食費の占める支出が多いので、文化的なものへの支出が少ない。
つまり、子どもは学校へ行くようになって教育を受けるのではなく、生まれたらすぐに家庭環境による教育を受けるのである。
専門家の話では5歳児の脳細胞が最も多いという。
就学前の教育は後に影響するのである。
だから、義務教育年齢を引き下げようという話もわかる気がする。
実際、いくつかの地域で指導した経験では、中学生で、ある地域と別の地域では完全に1学年分差があると感じた。
学力格差は所得格差と関係があるのではないか。
こう考えると、知事の仕事は校長名の好評ではなく、県民の所得を増やすことではないか。
県民は所得を増やしてくれる知事を、選挙で選ぶべきだろう。
教育に情熱を




koderaの法則は稼ぎや税金や教養や学歴に関してたくさんあります。一部披露させてください。大学生や若者相手ですのでご容赦を。(笑)
朝ごはんは成績に正比例する
家族同一趣味率は成績に正比例する
親との会話時間率は学力に正比例する
継続習慣率は学歴に正比例する
喫煙率は一家の学歴に反比例する
ポイ捨ては一家の収入に反比例する
賭け事回数は教養に反比例する
テレビ視聴時間は教養に反比例する
などなど50個ほどあるはずです。試験など不要で、ほとんどの成績を推測できます。将来もほどほどなら予測できます。
ここでふと考えたのは学力も経済力も衰えた親や若者を国は容認しているのかも。究極の貧民対策を自由に選ぶためにです。
くわばらくわばら。南無阿弥陀仏。
だから、ただ平均点だけを気にしている知事は、政治のプロとは私には言えないのです。
やぶ医者の対症療法と同じように思えます。