2014年10月22日

続きは移転しました

当ブログの読者様、いつもありがとうございます。

当ブログの続きは

教育に情熱を
http://education.fp-guide.com/

移転しましたので、引き続きのご愛読をよろしくお願いします。
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2014年08月17日

基礎、基本には客観性が必要 (2)

昨日は出かける直前だったので、言葉足らずに終わりました。

基礎、基本を間違って教えることは罪です。
知識なら、まだ訂正だけで済みますが(もちろん、訂正できるからいいとういうものではありません)、技能となると一度間違って覚えたら、習得期間が長いほど訂正は困難になります。

例えば、自分の経験になりますが、高校へ吹奏楽の指導に行くと、ホルンとトロンボーンに運指を(トロンボーンはポジション)間違って覚えてくる生徒が多いことに気がつきます。

こういう場合、生徒は直すために非常に苦労します。
間違ったクセを直す努力が、余計に必要になるからです。
だから、ゼロから始めるより悪いことになります。

先生が正しく教えていたら、こういうことはなかったのですが、言葉を変えれば、正しい教えはみな共通性があり客観性があると言えます

自分独特の教え方はいいとしても、伝えることが間違っていてはいけません。

楽器などは、生徒がいろいろな先生に習う場合がありますが、基礎、基本についてはどの先生も同じことを言うはずです。
つまり、客観性があるということで、逆に主観的な教え方をしていないか、時にはふりかえってみる必要があるでしょう。

■テスト

客観テストと呼ばれるテストがあります。
これは何が客観なのでしょう?

客観というのは、指導を考えると、先に述べたように、教え方が正しいのなら、どの先生の教えも同じということになります。
だから、客観テストというのは、採点者により違いが出ないテストということになります。

「基礎、基本は客観的」ということを併せて考えれば、初等教育、中等教育においては特に基礎、基本を大切にするわけですから、テストは客観的であるべきと言えます。

まわりくどい説明になりましたが、基礎、基本のテストで私情が入ることはおかしいし、採点で感傷的になっても仕方がないと言えます。

テストは何よりも公平性が大切ですから、小中学校においては、なおのこと客観性は大切です。

企業の採用試験においては、採用側の企業側の欲しい人材を求めるので、テストには主観が入るのはやむを得ないでしょう。
それでも、一般教養のテストは客観テストでしょう。

■客観テストにも欠点はある

客観テストは文章の記述が少ないということで、主義主張をみることができないという欠点がありますが、主義主張の採点は多分に採点者の主観が入りやすいという欠点もあります。
作品をどう評価するかということも、採点者の主観が入りやすいと言えます。

それで、基礎、基本に関するテストは客観テストを行い、主義主張、作品のテスト(評価)は合議制で行うことで総合的な評価をする場合があります。

マークシートによるテストは、客観テストを行うということで合理性があります。
マークシートと言っても、最近は文章の記述も同時に読み取る方式もありあますから、ただ選択するだけのテストがマークシートの試験ではありません。
(もちろん、文章の解釈を機械で行うことはできません)


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2014年04月16日

ホッとする合唱

学校には合唱部、吹奏楽部、オーケストラなど音楽の部活動がある。
それらの、多くはコンクールを目指して練習している。

全国大会の演奏を聴くと、さすがによく練習してあると感じる。
しかし、全国大会の演奏を聴いていいと思うかどうかは別の話である。
というのは、私はCDやレコードを多数所有しているが、コンクールの録音は少ない。
少しは所有しているが、ほとんど聴くことはない。

それはなぜかとと言うと、疲れるからである。
コンクールの演奏は、うまいかと言われたら、うまいと答えることになるだろうが、あまり聴く気にはならないのは、疲れると言うこと。

次のような演奏は聴いていてホッとする。
コンクールの演奏は、なかなかこうはいかない。



なぜホッとするのか?
ひとことで言えば、力みがないということになるか?

■音楽がわかるとはどういうことか

音楽の知識が豊富だと、音楽がわかるかと言えば、そうも言えない。
確かに、知識が多いと、和声とか構造とか形式などはわかるだろうが、それが、音楽がわかったことにはならないと思う。

音楽がわかるとは、感性の問題で、心に響くかどうかだろう。
だから、何も知識はなくても「いいなあ」とか「すきだなあ」とか感じるなら、それが心に入ってきたと言うことで、これが「音楽がわかる」ということだと思う。

■何かレッテルがないとわからないのは情けない

私が残念に思うのは、コンクールでよい賞をもらっているから、うまいのだと理解する人である。
先生の中には「ウチの合唱部は○○コンクールで金賞をもらっています」という人がいる。
学校の紹介としてはいいのだけれど、それを演奏がうまいと言いたいのなら「では、あなたそれを聴いて何か感じましたか?」と聞いてみたい衝動にかられる。

賞に関係のない演奏では、どうなのだと言いたくなる。
誰かにレッテルを貼ってもらったものでなければ、わからないでは情けないのではないか?
そんな風だから「楽譜があるから、その通り演奏すれば、指揮者はいらないだろう」という発言が出てきたりする。

■プロの演奏ならうまいか?

私はNHK交響楽団の演奏は好きでない。
レベルの高い人たちの集まりなのだが、私は演奏を聴いて感動することがほとんどない。
先入観や偏見を持っているのではない。

NHK交響楽団は、他の財政の苦しいオーケストラから比べたらめぐまれている。
だから、いい演奏をして欲しいと思うのだが、ほとんど、一応真面目にやっていますよという、お役所の演奏みたいである。
家の装置が悪いのかなと思ったりもするが、他のオーケストラではそうではないので、やはり演奏の問題だと思う。

今日、言いたいことは、音楽を自分の耳で受け止めて、自分の感想をもてる人が増えてほしいということである。
音楽がわかるわからないに、専門的知識は必要ない。

料理を賞味するには、何も知識を必要としないのと同じだ。

肩のこらない、スーッと耳に入ってくる音楽がいい。


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2014年03月31日

桜の季節

私の家の裏は桜の名所になっています。
私の記憶の限りでは、NHKのドラマの舞台に2回なっています。

今日は英語クラブ(仮称)のみなさんと、桜を見ながら弁当を食べました。
メンバーの中に、こうしたことに気を配ってくれる人がいて、楽しい会が催されます。
みなさん個性的でそれぞれ特技があり、英語に強いインテリの集まりです。
しかし、自分の力を誇示する人はいません。
それより、学ぶ意識が強いと言えます。

今日の勉強は、拉致問題について語っている英語のニュースの聞き取りと、はだしのゲンについての、新聞社の論説(英文)の読解と討論でした。
この時間が終わって、外に出て満開の桜の下で昼食でした。

sakura040331.JPG


気の合う者同士が集まって会食することは、楽しいものです。
ただ食べると言うことだけでなく、心の交流があるからです。
だから、私は家族はそろって食事をすることが大切だと、折に触れて話しています。

■桜と思い出

今日は桜を見て、思い出したことがあります。
高校時代、電車通学でしたが、降りる駅は田舎の駅で駅員のおじさんがいました。
ホームに沿って桜がたくさん咲きました。

降りる時、ひとり、色白の素敵な女子も降りるのを見ました。
私はドキドキして「今日はどうかな」といつも気になるようになりました。
友人たちにさとられないように、知らぬふりをして通学する毎日でした。
古い桜の木、田舎のホーム、古い電車、美女と、今思えば映画の中にでもいたような思い出です。
淡い青春時代の思い出です。

私は音楽が好きで、いつも音楽を聴いていましたが、その素敵な女子とぴったりマッチする曲が、ショパン-ロイ・ダグラス編曲/バレエ「レ・シルフィード」
で、この曲を聴くと、かつての駅のホームを思い出します。



今度、同窓会で会えたら、声をかけられるかも知れません。

二つ目の桜は、新卒の時です。
見知らぬ土地へ赴任し、小学校は児童360人、職員は18人。
明治時代に建てられた老朽化の激しい校舎。
ギシギシ言う廊下を歩いた覚えがあります。
見知らぬ人たちばかりで、おまけに若いのは私ひとりだけで、あとはみな中年以上のおじさん、おばさんばかり。
不安な中で職員会が終わり、やっと帰宅できるかと思ったら「これから花見に行く」と誘われました。
4月1日でした。

天気がよく、桜もたくさん咲いて人がいっぱいで賑やかでした。
この桜見物の場所は、今、私が住んでいるところの裏なのです。

少しずつ学校に慣れてくると、これが素晴らしい学校で、この小学校での生活は夢のようなものでした。
人に言うと、自画自賛に聞こえるかも知れませんが、今振り返ると理想の学校でした。
当時の先生の気持ちも同様であったと思います。
その証拠に、未だに当時の先生たちは、私も含めて夏には集まって会食をします。
そして、思い出に浸るわけです。

私の「桜の思い出」は今や人生の宝です。

過去二つの桜に加え、今三つ目の桜が人生に加わりました。


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2014年03月05日

自由の大切さ

子どもの成長に応じて、自由の大切さを教えることが大切だと、私は思っています。
そして、自由が拡大することで創造性、自律性、学力などが高まり、自立していくようにると思っています。

街のあちこちには自動販売機が設置されていますが、ある外国人はこれを見て驚いていました

自分の国ではとても考えられないと言うのです。
こういうものを設置したら、たちまち壊され、商品やお金は持ち去られるだろうと言っていました。

私たち日本人は、自動販売機を見ても普通のことと思っているでしょうが、これは日本人という国民性が作り上げてきた心がそうさせたものであり、モノが買いやすいという自由を獲得してきたと言えるでしょう。

もし、破壊や盗難が起これば規制ができて、業者が自動販売機を設置することは困難になるでしょう。
自動販売機などなくてもいいと言う人がいるかもしれません。
しかし、それは短絡的な考え方と言えます。

自動販売機が設置されることで、利便性もよくなり、人件費も節約できるということで、買い手としては、商品を安く、買いやすくなります。
これは、経済を活発にしGDPを高める効果に寄与します。

規制が強くなるほど、人の自由な活動は制限されることになります。
だから、きまりはよく考えて作らなければなりません。
自己中心の考えが強くなり、保身ばかり考えるようになると、自分の身の安全を高めるきまりばかり作りたくなるようです。
そういうきまりは、自分のためのきまりであり、他人のためのものではありません。

くだらないと思われるきまりの多い学校は、よい学校とは言えないでしょう。
きまりの数は管理職の性格、姿勢を表しているとも言えます。

■学級王国が理想の学級となるように

校長がどのくらい学級担任に任せられるかは、良い教育が実践されるかどうかのキーポイントだと思います。

だいたい、任せられないような人を教員として採用すべきではないと思います。

もっと言えばバカと頭のおかしい人は教員をやるべきではないのです。

逆に、社会常識のある教養人が担任をやれば、他人がとやかく言うべきではないと言えます。

先のブログで、私は学級王国賛成の意見を述べました。
これは、バカと頭のおかしい人が先生をやらないという条件のもとでの話です。

私は公約数という言葉を用いましたが、公約数を守れば、それぞれの学級が学級王国であっていいという意味ですが、一応、難しい採用試験を通過してきた先生なら理解してもらえると思っています(モグリの人はどうかわかりません).

例えば、27と36の2つの数があるとします。
公約数は3、9です。
つまり、違うものがあったとしてもそれぞれに共通したものがあるという意味です。

こういう思考が通じない人がいるようです。

「ネコもイヌも人間も同じだ」

というと、なぜ同じなのだということがわからない人がいます。

こういう言い方をするとき、普通に知能がある人(つまりバカでない人)は何が同じなのかは理解して、話題は進みます。
何が同じなのかを、具体的に言えば「哺乳類」という限り同じと言えますし、家庭によっては「家のタマは家族といっしょです」という人もいます。

会話の中で「ネコもイヌも人間も同じだ」を否定する人は、何が違うと言いたいのでしょうか?
(だから、私は「何が=What」あるいは「何処が=Where」などの5W1Hが大切だと言いたいのです。

自分の吐いた言葉を振り返って5W1Hに照らし合わせて答えられるようであれば、責任のある言葉と言えるのではないでしょうか。

今日のまとめとしては「自由を獲得するには、教養人となるべきだ」と子どもに実感させる教育を推進すべきだということです。

「王国」については、続きをまた述べたいと思います。




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2014年02月25日

おつきあい上のトラブル

人生、人とのつきあいの中には、時としてトラブル(もめごと)もある。
自分が悪い時は、ひたすら謝るしかない。
下手な言い訳をすれば、かえって状況を悪化しかねない。

菓子折りを持って、深くお詫びの言葉を述べに行ったこともあった。
相手は黙ってコーヒーを飲みながら聞いていた。
まだ怒っているのかどうかわからなかった。

ひと通りお詫びの言葉を聞くと、席を立ち、菓子折りを掴んで返った。
菓子折りを取る様で、許してくれたと感じた。

こちらが悪くなくても、相手の誤解で喧嘩別れのようになることもある。
最近、疎遠になっていた人から電話がかかってきた。
何年ぶりだろうか、気まずい別れのあった人だ。

声の調子が優しかった。
お話がしたいと言うので、喫茶店で待ち合わせた。
私が先に到着し、待っていると、後から私を見つけニコニコした顔で近づいて来た。
誤解が溶けたのだと感じた。

「いろいろ教えていただきたいと・・・」

と丁重な切り出しだった。
私は相手の低姿勢に上からモノを言うことは嫌いだ。

いや、昔はそうでなかった。
自分で偉そうになっていて、鼻持ちならない人間だったように思う。

年をとってきたせいか、私は次第に相手の雪解けを待つような気分になってきた。
今回も「やっと雪解け」という感じで嬉しかった。

年が自分をそうさせるのかと思ったら、そうではない。子どものころ一生懸命愛情をかけてくれた親の心がそうさせているのだと思うようになった。
中学校の同窓会で、私の弁当が羨ましかったという、同級生の話を聞いていっそうその思いを強くした。
そんなに可愛がってくれた親に対して、何の親孝行もできなかったことの悔いが、他人に対する気持ちに変わっているように思う。

中学校の教師時代、特に1年での担任の時に多かったのだが、給食指導など私の指導に不満を持つ生徒がいた。
それは生徒のわがままなのだが、生徒はふくれっ面をして怒っていた。
私はそんな抵抗には平気で、ひるむことはなかった。
自分は嫌われる先生になるのだろうなとも思っていた。

ところが、おもしろいことには、そういう生徒が3年生ぐらいになると、なぜそうなるのかよくわからなかったが、ニコニコして「いい先生」という。

嫌われるだろうなと思い、ズバズバやっていく私の指導は教育学で学んだことではなく、結局、親が私にやったのと同じことをやっているのだ。
私が中学生2年生の時、母親は旦那様を交通事故で亡くした。
旦那様などと変な言い方になるのは、私の母親は私の実母ではなく、つまり伯母なのだが、棺が運ばれてくると普段は気の強い伯母は泣いていた。

伯母の涙を見たのはその時だけだったが、その後一人で私を育てることになり、難しい年頃のわがままな私を叱っては、近所の家に行って泣いていたことが後でわかった。
弱いところを見せれば、将来を不安に感じるだろうとの、親心だったのだろう。
そんな伯母の気分を、私はそっくり受け継いでしまったように思う。
(生育歴は教育学を超えるように思う)

だから、たとえ相手が悪くてもその相手が惨めになる姿は見たくない。
自分は誠心誠意やって、雪解けを待つ。

そのせいか、自分が不幸だからといって、相手も不幸になれと期待する人間は嫌いだ。
相手の欠点を探すのも好きなら、それが趣味ならやればいいだろうが、ほじくり返して何になる?
惨めになる姿を見て喜ぶのか?
もし、そうだとしたら、それは道徳上は最低の心だろう。

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そういう私にも敬遠したい人間もいる。
それは壊れた人間だ。
ジュースのボタンを押したのに、コーヒーが出てくる自動販売機のようなもの。

こういう機械は修理工場に持っていくべき。

それでも、子どもは別だ。
可能性があるからだ。
可能性にかけるのが教師だと思うからだ。

大人でも修理可能が見いだせればいいが、ごく当たり前の間違いを認識できない人間、誤りが訂正できない人間。謝れない人間に関わっている時間はない。




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2014年02月08日

自分の居場所

今日はこの地域としては珍しい雪の日だったので、家に閉じこもっていました。
そして、普段は意識したことのない「自分の居場所」というものについて考えていました。

もし、誰とも音信不通になったら、自分は全く孤立していることになるなあと考えたりしました。
珍しく、全く電話もない日だなあと思っていたら、つい先程ブログを書く直前に電話がありました。

人は、学校を卒業し社会に出ると、サラリーマン、自営業などそれぞれ新しい環境に入り込んで行って、新しい自分の居場所ができます。

ibasyo.jpgしかし、いつかその居場所を脱した時、自分の居場所はどこなのかということを考えました。
日本は一人暮らしが増えると予想されていますが、誰とも交流がなくなった人が孤独死として発見されるのでしょう。

では、今、自分は大勢の人に囲まれているから、少なくとも現在のところは孤独ではないと言えるのでしょうか?
この疑問にぶつかった時、定年退職という言葉が浮かんできました。

■その日を境に

現役中はわからないかも知れません。

組織の中にいると、無用な摩擦を避けたいという心理から、そこそこ他人との交流はあります。
それで、自分は他人ともうまくやっていけているのだと思うかも知れません。
しかし、退職というその日を境に突如、交流が途絶える人もいてその落差に驚く人もいるようです。

何だか、奥さんの態度まで違うようだと思ったら、奥さんとしては「もう給料入れてくれないんだから、お茶も出したくない。命令されると腹が立つ」と考えていて、実際そのような言葉を聞いたこともあります。

私が思うところでは「これまで共に苦労して来たんだから」が本当だろうと思っていたのですが、そうでない言葉が出てくるのには驚きました。
もちろん、みんながみんなそうではないと思いますが。
でも、旦那の退職を期に別れたいと思っている女性は意外に多いのだと感じました。

その根拠は、法律が改正され別れても妻は夫の年金の半分までもらえる可能性があると、世の奥様方が知った時のアンケートからです。
このような情報は、ファイナンシャル・プランナーをやっているとわかります(妄想ではありません:笑)。
この法律の改正で、離婚予備軍が増えたのですが「必ず夫の年金の半分がもらえるわけではない」とわかってから、離婚予備軍(離婚願望)の女性は減りました。

こういうことを考えている女性の生の意見は「今まで我慢してきた」とか「私の人生が犠牲にされた」とか「これから自分の人生を生きたい」などです。
私は女性のそういう心理がよくわかりません。やはり男と女は違うのかも。

そんなことを知ってからは、毎日、共に川べりを散歩したり、バードウオッチングをしている老夫婦を見たりると、いいなあと思います。

■校長でいつづける人

校長で退職し、楽器店の営業として本当に頭を低くして働いている人に会ったことがあります。
私がかなり若い頃でしたが、この方は全く偉そうなそぶりはありませんでした。
その頃は、特別意識しませんでしたが、今思うと偉い人だと思います。

しかし、退職後も依然として現役中と同じような人もいます。
バイキング料理になると、自分はどっかり座りこんだままです。
誰かが持ってくると思っているのでしょう。

ポツンと一人になって「あれ、様子が違うなあ」と狐につままれたような表情です。
そんなところを、ようやく気がついた一人の女性が、持って行くのを見たことがあります。

学校の先生は教科に分かれていて、それが自分の専門という意識の強い人もいます。
学校にいるうちは、それぞれの領域を侵さないという不文律で「・・・のことは、・・・先生に聞け」ということになりますが、退職後はどうなるでしょう。
つい、上から目線のクセが抜けなくて、恥をかくことがないとは言えません。

人によっては、学校の先生という立場をうまく利用している人もいます。
そういう人は、根から勉強好きの人と思います。

絵が好きだから、不安定な画家より先生をやりながら絵をかく人。
天文の勉強をして、現役中に星を発見し、自分の名前がついている人。
魚の研究をして、中学校の先生時代に博士号をとった人。
国語の先生をやりながら、小説を書き文学賞をもらって、退職後も小説家でありつづける人。

私はこれらの人に、大いに刺激されました。
多分、この人たちにとって定年は単なる通過点ではないかと思います。

勉強するには、先生はいい環境です。
なにしろ、勉強して給料がもらえるのですから。

定年退職後は、専門が本当に専門であるかどうか試されると時と思います。

一人家に閉じこもっていても、必要な人、本当にエライ人なら何処かから連絡が入るはずです。
そして、新しい自分の居場所が決まってくる人もいるように思います。
まさに、ここが自分の専門性の試される時かも知れません。

ネット時代は、どこにも居場所がない人にとって、ブログという居場所を作るというという貢献をしました。
そういう意味では、現役、退職を問わずブログは人を救っていると言えるでしょう。

しかし、ブログに居場所を求めても、居場所になっていない人もいるようです。

お年寄り(女性)で、一人暮らしですが、毎日、絵を書いてスキャンしブログに公開している人がいます。
さっちゃんのブログですが、人気があり、この人はブログにしっかりと居場所のある人ですね。




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2014年02月07日

頭が悪い

自分の頭が悪いとつくづく思い知らされるのは、アルゴリズムが見つからない時。

ある会社から、プログラムの宿題をもらっているが、舐めてかかっていたら予想以上に難しい。
自分の頭をフル稼働しても、つまらないところをグルグル回っている。
食べるときも、運転中も、会話中も頭の一部はそのことを考えている。

学生は入試で大変だろうが、答えはどこかに模範解答として示される。

私の問題は誰も教えてくれない。
孤独な戦いである。
考えるだけ考えて、ギブアップしたら巻末の解答を見るというわけにいかない。
頭のなかを数式やら、アイデアなどがグルグル回って「頭が悪いんだ」と何度も自覚する。

問題を難しくしているのは変数が多いからだ。
やっぱり数学の勉強が足りなかったかなと思う。

でも、これまで鉄壁の壁と思っていたものを突破してきたのだから、と自分で自分を励ますものの、孤独な戦いの最中である。

特別、外見は何もしていないように見える姿を見た人からは、仕事をしていないように見えるのかも知れない。





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2013年12月04日

アラ探しのプロ

finale.jpgアラ探しと言うと聞こえが悪そうだが、そうばかりとも言えない。

パソコンがビジネスに進出し出した頃、ワープロを見て、パソコンで楽譜が書けないだろうかと思いソフトを探した。
売り出されていたソフトを次々と試したが、結局、何かといできないところがあり、落ち込んでいたところMacintosh用で、アメリカのCoda社で発売されていたFINALEというソフトがあるのを知った。
早速、アメリカまで注文を出した。
日本円で16万円ぐらいだった。

到着した荷物はフロッピーディスク2枚に、分厚いマニュアル3冊と薄いマニュアルが2冊ついてきた。
もちろん、すべて英文である。
このソフトはプロ用でも使えるとの説明があったが、それだけに手強い、つまり難解との評判だった。
ただでも難しいのにマニュアルが英語なので、一応使えるというレベルに達するまでかなりの苦労をした。

もうひとつ問題があった。
それは、普通のプリンターでは印刷できないことだった。
どういうプリンターなら印刷できるかというと、Postscriptというプリンターが必要だということ。

この時Postscriptという言葉を知ったのだが、これは印刷技術でありプリンターにPostscriptというプログラムというか一種の言語が積んであるのだ。

PostscriptはアメリカのAdobe社の特許で、このプリンターは高い。
しかも、レーザープリンターしかないので、さらに高価だった。

その代わり、これで書いた楽譜は商用印刷ができる。
FINALEはもとからプロ用として開発されたソフトだったのだ。
それだけに、FINALEでは書けないことはなかった。

巷に見る紙に印刷された楽譜を見ると、楽譜を書くことは大したことではないように見えるかもしれないが、その難しさは演奏する人でなければわからないだろうと思う。

ソフトを開発するということは、プログラム言語に精通していなければならないのはもちろんだが、楽譜のソフトとなると、音楽も知っていないとできない。
ソフトの開発は、プログラマーが音楽を勉強するか、音楽家がプログラミング勉強するかのどちらかだ。
FINALEのすごさを知った私はCoda社がどんな会社だろうかと興味を持った。

Coda社はさすがに、素晴らしいプログラマーを揃えていたが、プロの音楽家も雇っていた。
優秀なプログラマーが作ったソフトを、現役の演奏家が試してみるのである。

ここからが、今回の本題になるところだが、雇われた音楽家たちはソフトのあら探しをするわけである。
現役のプロの音楽家の厳しいアラ探しに耐えて、やっと商品として市場に出るわけである。

学校の先生の中にもアラ探しの得意な人がいる。
いわゆる「ケチ」ではなく、プロと言えるほどのアラ探しの達人なら自身も先生としてもプロと言えるのだろうと思う。

プログラマーが現役の演奏家の異見を聞くのは、その演奏家が素晴らしい演奏家であるからこそ「彼の言うことなら間違いない」とか「彼の要求なら実現しなければならない」という気持ちで取り組むのだろうと思う。

アラ探しの人の意見が強い説得力を持つのは、その人が先生として素晴らしいということが知られているからだろうと思う。
そういう意味ではアラ探しは歓迎だが、たまにはすごさを見てみたいと思う。


リコーダーに関心のある方→コリーナミュージック




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2013年11月30日

CDプレーヤーの故障

CDプレーヤーの読み取りが不調になった。
CDをセットしても、読めたり読めなかったり。

具合の悪いことに、珍しいCDプレーヤーを買ってしまった。
もう10年ぐらい前になるだろうか、販売店の試聴室で店員が次々と入れ替えるCDプレーヤーの中で一番いい音がすると感じたものに決めた。

決めたのはいいのだが、その格好たるや誰かが日曜工作で作ったもののように見えた。
実際「これってどなたかが日曜工作で作られたものですか?」と聞いたら、とんでもないと言われた。
メーカーの名前はEINSTEIN(アインシュタイン)、初めて知ったメーカーだ。
日本のメーカーではなく、ドイツのメーカーである。

製品が風貌からしてユニークである。
あれこれ文献を探した結果、確かにドイツに存在するメーカーでCDプレーヤーは一機種しか作っていない。
商品名が「THE CD」で5年の歳月をかけて開発されたとあった。

CDは間違いなくデジタル機器であるが、最近はアナログレコードの人気が復活してきて「CDの音はデジタル臭い」とデジタルの音を嫌う人たちから歓迎されている。
CDの音は本当にデジタル臭い音なのか?
CDをかけた時、誰もが「これはCDの音だ」とわかるものなのか?

CDの音とアナログレコードの音を比較するとき、機器はそれぞれ最高のランクのもので比較しないと比較にならないのではないか?

CDの音はデジタル臭くて嫌だ、と言っている人が聴いている機械が1万円ぐらいで、これがCDの音と結論づけるのはおかしくないか?
つまり「CDの音」という時、CDに入っている情報を余すことなく取り出した上で、評価しているかということである。
そう考えると、それではいくらぐらい出せばいいのかという疑問も出てくる。

日本のメーカーが発売しているCDプレーヤーを見ると、各社値段に妥協しないで、これならCDの能力を最高に出しますと言っている製品の値段は、およそ50万円以上になるようだ。
100万円を超す製品もあるが、こういう再生装置はある価格からは、音の良さは必ずしも値段に比例するものではないと言える。
これは、逆の視点から言うと、CDの最高の音を出すには50万円以上のプレーヤーで論じてくれと言うことになる。

さて、不調の私のCDプレーヤーだが、現在、買った店がない。
困ったことに、どこでサポートしてくれるのかわからない。
巷にあるCDプレーヤーから共通部品を探すというのも不可能。

と言うのも、このEINSTEINという会社、ユニークなのはいいのだけれど、普通の機械とはかなり発想が違うのである。
デジタル再生機器なのに、CDを回転させるのにベルトを使っている。
CDをセットする時も、アナログプレーヤーのように上蓋を開けてCDを乗せ、その上にインシュレーターという重しを乗せる。
まるで、アナログプレーヤーのようでもある。
そういうことが音に反映するのか、私もそう感じるのだが、聴いた人は、いわゆる「デジタル臭い音」とは言わない。

私としては、このEINSTEINがぜひ復活して欲しいと思い、今いくらでどこで買えるのかネットで探してみた。
ある輸入販売店にあることがわかった。
わかったのはいいのだが、価格が190万円となっていたので、これはとても手が出ないと感じて買う方は断念。

思い切って自分で修理しようと決断。
中を開けてみた。

einestein1.jpg


部品を眺めてみると、なんと部品にJAPANの文字や日本のメーカーの名前が目につく。
CDプレーヤーの読み取りが弱くなるのは、レーザー光が弱くなる原因が多い。
他の部品に異常が感じられないことから、レーザーピックアップを交換すればよいだろうと判断した。

ピックアップをよく眺めてみると、型番らしき記号が見えた。
ネットで検索すると、アメリカのサイトにあった。
VISAで購入できるので早速注文した。
ところで、このレーザーピックアップも日本製である。
日本製なのにアメリカから取り寄せるというのも、変な感じだ。

einstein.jpg


部品は航空便で意外に早く届いた。
外観も全く同じなので、これで修理できると喜んだのもつかの間、出ているケーブルの本数が違う。
結局、使えないことがわかった。
型番の横に括弧で(5/8)と記されていたのを無視していたが(6/6)でなければいけないことがわかった。

再びネットで調べると、香港の会社にあることがわかった。
今は香港からの部品の到着待ちである。

奮闘の数日間で感じたことは、部品はほとんど日本製なのに、なぜ日本ではこういう製品ができないのだろうといことだった。
国産車は性能がよく、世界中で売れているのだが、ドイツ車に魅力を感じる人々がいるのを思い出す。

EINSTEIN車は独自の考えを持って製品を作っているようだ。
日本の製品の場合、50万円というフラグシップ製品を作っても、その下の型番で30万円とか10万円という製品を作る。
EINSTEIN社は「THE CD」だけで、他の型番はない。
これは自信の現れだろうか?

そのEINSTEIN社も認める部品を作っている日本だから、日本も良い製品を作る道がまだありそうだ。
高い米でも「これが日本の米です」と堂々と売れる時代を期待したい。

EINSTEIN


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2013年10月25日

電気製品

CIMG1695_s.jpg蛍光灯が壊れました。
スイッチを入れても点灯しないので、器具の中を調べてみました。

蛍光灯は点灯方式として、グローランプ式とインバーター式、ラピッド式があります。
故障した物はインバーター式で基板に部品が配置されています。

点検した結果、半田付け部分の劣化と予想しました。
それで半田付け部分の半田をやり直すことにしました。
作業が終わりスイッチを入れたら、みごと点灯しました。

最近はLEDが増えてきて、LED証明に換えるという選択肢もありましたが、まだLEDは高価であること、器具自体(筐体)は質がいいことなどで使わないともったいないという気になりました。

もっとも、LEDは当初高価でも電気代を考えたらとも考えましたが、今回の蛍光灯は割に高価な器具を買ったので、それなりに立派で廃棄するのももったいないという気がしました。

LEDも既存の蛍光灯の形をしたものがあり、ソケットに互換性があるようです。
蛍光管が電球のように「切れる」ということはまずありません。
寿命は蛍光物質の劣化で暗くなるということです。

蛍光管が劣化で暗くなったら、管の部分だけLEDに交換しようかと考えています。
その際は少し改造が必要ですが、一応、電気を勉強してきましたので、自分でやります。
電気の専門店に依頼すると、結構な費用がかかるようですが。

電気製品は古くなってきた時、修理するか新品にするかは、電気代も含め経済面で検討するするわけですが、物自体への愛着ということもあります。


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2013年10月20日

ジルジャン

ジルジャンはシンバルメーカーである。
中学校で吹奏楽部に入り、吹奏楽のことが少しわかり始めたころ、コンクールでとてもいい音のするシンバルをつかっていた学校があった。
自校のシンバルの音が「ペシャン」という音なのに対し、その学校のは「シェーン」という感じの音だった。

それでは、シンバルの活躍する曲、ビゼーの「カルメン」より前奏曲を紹介する。
(聴かれる人は1曲目だけで結構です)



単に、金属の板を丸く切り抜いたものを使っても、こういう音はしない。

Zildjiancrash.jpg私はシンバルの音に魅せられ、調べたところ、それは「ジルジャン」というメーカーであることを知った。
さらに、ジルジャンはトルコのメーカーで、それからトルコという国はシンバルの伝統があることも知った。
オーケストラでも、シンバルはジルジャンを使っているところが多い。
他にはパイステ、セイビアンも有名で、これらのメーカーが3大メーカーとされている。

ジルジャンは、400年の歴史をもつシンバルのブランドである。トルコのイスタンブルにいたアルメニア人シンバル職人が元であるが、今日は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州に本拠を有するアヴェディス・ジルジャン社 (Avedis Zildjian Company) によって製造されている。同社は現在も世界最大規模のシンバルとドラムスティックのメーカーである。日本国内ではヤマハのグループ会社であるヤマハ・ミュージック・トレーディングが輸入販売を行っている。
フリー百科事典「ウィキペディア」より

打楽器にはティンパニー、木琴など音程のある楽器も存在するが、シンバルには音程がない。
音は楽音と雑音とに分けられますが、メロディーを奏するのは楽音でそれ以外が雑音である。
雑音というと、汚い音というイメージがあるかも知れないが、雑音に分類されるシンバルの音を汚いという人はいないだろう思う。

オーディオの好きな人たちの中には、良い音はすべて楽音と思っている人がいるようである。
オーデイオの目的は音楽を聴くことにあると思うのだが、そうであったら、生演奏を聴いたり、少しは音楽の知識は持った方がよいのではと思う。

そうして、現実と理論を合わせることで変な空想が一人歩きをしないことを望む。
わたしがオーディオマニアと呼ばれたくないのは、オーディオマニアと呼ばれる人たちの中に、空想的理論を振りかざして頑固になっている人が多いような気がするからである。


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posted by edlwiss at 20:20 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

2013年10月19日

またまた偶数倍音、奇数倍音いい加減にやめましょう

真空管アンプを宣伝したいのはいいが、嘘はいけません。
「まだ言っている」「また言っている」の類の記事には嫌気がさします。

真空管は音が良いという理由を説明するのに、楽器の音は倍音でできている、そしてその倍音は偶数次の倍音でできている。
人の耳には偶数次の歪みがまろやかで心地よく聴こえる。
真空管の音が良いのは偶数歪みだからである。
偶数歪みが柔らかく聴こえるのに対し、奇数歪みは刺激的で耳障りな音である。

と、こんな説明が真空管アンプの販売店でされている。

自分が真空管の音が良いと感じるのは結構。
でも、他人がそう感じるかは別の話である。
いただけないのは、楽器の音が偶数倍音でできていると説明しているところ。

楽器の倍音を管楽器で説明してみよう。

FlClbaion.jpg


図のように管楽器は両端が開いている開管と、片方が閉じている閉管がある。
具体的な楽器の例としては、開管にフルート、閉管にクラリネットがある。
これらの楽器の倍音は、開管のフルートでは偶数倍音列閉管のクラリネットでは奇数倍音列になる。

では、フルートはまろやかな音でクラリネットは刺激的で耳障りな音なのかということになる。


これは、チャイコフスキーのバレエ音楽の中の「中国の踊り」をフルートが演奏しているところ。



これは、ドビュッシー「クラリネットのための第1狂詩曲」である。

クラリネットの音は刺激的で耳障りな音に聴こえるだろうか?

真空管アンプの音の説明者は、実際にフルートやクラリネットの音を聴いたことがあるのだろうか?

次の図はクラリネットの音を機械を使って測定したものであるが、奇数倍音列であることがはっきり出ている。

clarinet_densotokusei.jpg


オーディオの好きな人の話を聞くと、しばしば、この人は実際に楽器の音をどのくらい聴いたことがあるのだろうと思えるものがある。

私は中学生のころから真空管アンプを作ってきた。
そのころは、トランジスターが未発達で、音楽鑑賞用としてはとても実用的ではなかった。
圧倒的に真空管の方が音がよく、その差は誰が聴いても歴然とした差があった。
しかし、その後の半導体技術の進歩で、その地位は逆転した。
特性はもう比較のしようのないほどの差がついてしまった。

真空管では低音から高音まで、人の耳で聴こえる範囲の20Hz〜20KHzを一生懸命追っていたが、トランジスターの方は0Hz〜100KHzをカバーすることが容易になった。
パワーも真空管が10W〜50Wぐらいなのに対し、トランジスターでは100Wを超えるのも容易で、1000Wのアンプでさえ売られている。

私が最も問題にするのはダンピングファクターで、真空管がせいぜい10ぐらいなのに対し、トランジスターでは200を超えるものは珍しくない。
ダンピングファクターとは何だと言う人がいるかもしれないが、乗用車に例えれば、ダンピングファクターが小さいのはでこぼこ道に弱い車のようなもの。
乗っていて、悪路の影響を受け乗り心地が悪いということだ。

アンプの音ではダンピングファクターが低いと、音が暴れまくる。
これは、実際に楽器では出ていない音が付加されるように聴こえる。
最もそういう音が好きというなら、個人の好みに対してとやかくいうことはない。

イメージとして真空管アンプの音は柔らかいと思っている人がいるようだが、当初、私もそう思っていた。
それで、高音用に真空管アンプを使ってみた。
スピーカーから出てくる音が、きつく刺激的だったので、これはスピーカーの特性だと思っていた。
ところが、ある日トランジスターアンプに換えてみたところ、すっかり綺麗な高音になった。
ダンピングファクターの関係で、真空管は高音を再生するとき暴れまくっていたのだ。

私は楽器の音をできるだけ忠実に再生することを狙っている。
しかし、人によっては現実にない音を付加してくれるものを好む人もいる。

だから「音がいい」と言っても、その人の好みを知らないと自分の求める音の参考にならない。

真空管アンプのいいところを宣伝するのはよい。
しかし嘘はいけない。
もし、自分が「こうだろう」と仮定したら、調べてみることが必要だ。
そうでないと信仰のようになってしまう。


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2013年09月26日

潜伏するウィルス

security.jpgWindows7を使っていてどうも変だと感じた。
ウィルスソフトがウィルスを捕獲したのだが、出現に何か規則性があるように感じたのだ。
たとえば「13日の金曜日」のように、ある特定の日に現れるとか、一定時間後に現れるとかである。

調べてみると、案の定、不審なファイルがあった。
削除を試みたが、Windowsが起動している元では削除できない。
ファイルの正体が、Windowsの起動とともに常駐するプログラムになっているからだ。

プログラムが常駐するとは、常にプログラムが動いているということで、動いているプログラムは終了ボタンでも作っていない限り停止できない。
別のOSで起動して削除の手続きをするしかない。

そこで、LINUXを使って削除した。

その結果、起動も早くなったし動きもよくなった。

■目立った害がないからと言って、ウィルスが潜んでいないとは言えない

PCの速度が多少落ちた程度ならいいが、潜んでいるウィルスが情報を盗み出すなど、目に見えない形で動いていたら、とんでもない事態にもなりかねない。

ウィルスを気にするあまり、ウィルス検査ばかりやっていたのでは仕事が停滞する。

それで、私は主要な仕事をLINUXに移し、LINUXで仕事をする比重が多くなっている。

LINUXについてはしばしば書いているが、改めてよさを箇条書きにしてみる。

(1)低スペックのPCでも快適に動く
・・・・私の使っているPCは、Pentium DualCore にRAM 4G、Windows7にCoreI7、RAM 4Gより高速である。
(2)安定している
・・・・トラブルや不安が非常に少ない。
(3)ウィルスに強い
・・・・LINUXをターゲットにしたウイルスは少ない。あってもセキュリティがしっかりしている。
(4)デフラグの必要がない
・・・・バージョンアップの心配をしなくてよい。バージョンアップも無償。

近年、LINUXで動くソフトも充実してきて、ビジネスでの不自由は感じない。

欠点としては、ワークステーションとしては、Windowsのように何でもかんでもおまかせで、ユーザーは使うだけとはいかない。
自分が気に入るように仕立てて行かなければならないことだろう。

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2013年09月17日

ガラケーかスマホか

keitai2.jpg


携帯電話の会社はスマートフォンを売りたくてしょうがないようである。

私はガラケーと呼ばれる従来の携帯電話を持っているが、携帯電話会社からスマホに変えるなら特典があるという趣旨の連絡が来た。
しかし、私はスマホでなく、またガラケーにした。

電話機としての機能は、私の判断ではガラケーである。
理由の第一は、バッテリーの持ち。
スマホはあまりにも、バッテリーの持ちが悪すぎる。
頻繁に電話をすると、たちどころにバッテリーが使えなくなる。
私はdocomoユーザーだが、Formaの出始めもバッテリーが弱かった。
それが、ようやくバッテリーを気にしなくてよい段階になったところだ。
スマホは、あれもこれもできるという多機能を前面に出しているが、バッテリーが貧弱で、実際、あれもこれもできない。

第二の理由は、電話としてはガラケーにはボタンがあって、電話をかけやすい。
かけるスタイルもガラケーの方が自然に思う。

時々電車に乗ってみると、スマホとにらめっこしている人が多いのに驚く。
ガラケーを使っている人を探すと、ごく少数派である。

電話会社がスマホを勧めたがるのは、電話料金では収益が上がらないので、インターネトを使ったコンテンツや物品の販売で儲けようとしているからだろうか?

とにかく、電話をよく使うビジネスマンはスマホでは間に合わないのではと思う。
事実、友人が迷ったあげくスマホに切り替えたが、再びガラケーに戻そうとしている。
理由は、やはり電話をしているとバッテリーが持たないというのが理由だ。

私は新しい携帯電話もガラケーにしたと言ったが、店で心細い思いをしてガラケーを探した。
もうメーカーは力を入れないのかと思っていた。
ところが、ガラケーも進化していると感じた。
軽量、防水、GPS、ネット検索など、新しい機種を触ってみて満足した。
ポケットに入れてもかさばらなくなった。

スマホの悪口ばかりを言ってきたようだが、スマホのいいところもある。
だから、全然使わないわけではない。
ただし、常には電源を切っているので、電話として使っていない。

スマホの便利と思うところは、自宅のパソコンで入力した予定表がgoogleのサービスを利用して連携できることだ。
私はgoogleカレンダーを使い、スマホではジョルテというシステム手帳タイプのアプリを使っている。

あと、スマホを使うのは、地図をナビゲーションで使うぐらいである。
音楽鑑賞で使っている人も多いようだが、私も試してみたが、やはりバッテリーの問題でやめにした。
私の場合、クラシックを聴くことが多いので曲が長いと言うこともある。
音質そのものも少し不満である。

それで、Walkmanがいいと言うので買ってみたが、結局、私はイヤホンが好きでないので、ほとんど使っていない。
音楽鑑賞は部屋のシステムで聴くことがほとんどである。

はじめの写真に載せたように、タブレットを車のナビゲーションとして使っている。
10インチあるので見やすい。
ドライブサポーターというアプリを、月額315円で使っているが、これがなかなか実用的である。

以上、私は「こう使っている」ということで、他の方がもっと違う使い方をしているというのを否定しているわけではない。
ご意見のあるかたは、どうかよろしく。

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2013年08月09日

張り込み

私が張り込みをしたのではなく、松本清張原作のドラマのタイトルである。

今日は演奏があったのだが、連日の過労がたたったのか、演奏待機中に、冷房が効いているのにもかかわらず冷や汗のようなものが出てきた。
ハンカチで汗を拭っても、すぐに拭き取れないほどの汗だった。

何か体が変だと感じた。

演奏ができない、差し支えるとなると困ったなあと感じ始めた。

見ていた人が「顔色がよくないですよ」と言った。

やっぱりおかしいのだと思った。

私の演奏がそんなに価値のあるものとは思わないが、中止するという迷惑はかけたくないと思った。

心配して、栄養ドリンクを持ってきてくれた人がいた。

ありがたくいただいた栄養ドリンクが効いたのか、元気が出てきた。

あの「ファイト一発!」みたいだ。

演奏時間には体調が回復して、事なきを得た。

よかった。

過去を振り返ってみると、もし自分に事故があったら迷惑をかけただろうと思うことはある。
しかし、それが現実味を帯びて感じたことは今回がはじめてである。

そう言えば、先輩が、怪我をして、コンクールの指揮を車椅子で行ったのを見たことがある。

ある学校の先生が緊急入院をし、電話がかかってきて指揮を頼まれたことがある。
コンクールの数日前だった。
生徒の不安を考えると、引き受けるべきと考えた。
それに、当の先生のご指名で、校長からの以来だったということもあった。

オーケストラの演奏となると、標準的な二管編成では、クラリネットは1番と2番の二人だけである。
(二管編成
:THE ORCHESTRAより)

オーケストラは、ざっと百名ぐらいで演奏するが、クラリネット一人が休んでしまうと、そのコンサートはパーになってしまう。
特に1番を担当すると、必ずというぐらいソロが出てくるので、責任は大きい。

幸い事故で欠席したということは、これまで一度もなかったが改めて責任というものを感じた。

事故で欠席でなくても、コンサートの当日、出席が遅いとメンバーに不安を与えるので、私はかなり早く会場に行く。

数年前から、毎月、演奏があるので体調管理は万全にしておかなければならない。

私は昔から、依頼された演奏しか参加したことがない。

依頼されなければ演奏に参加しないというのは、私のポリシーでもある。
生意気あるいは偉そうに感じる人がいるかもしれないが、そういうことではなく「頼まれもしないのに出て行く」というのが、恥ずかしいからである。

前置きが長くなったが、帰宅して休んでいて見たドラマが「張り込み」だったということである。これがなかなかよかったので真剣に見てしまった。

松本清張は例によってサスペンスで男女の問題がベースになっているが、このドラマも同様、男女の深い関係がもとに展開する。

松本清張は企業の取引関係、役職との絡み、あるいは高級官僚と政治家などが中心になるドラマも多いが、この話はごく普通の市民の話しである。

主演の小泉孝太郎は好演している。若村麻由美は美しいが、それ以上に演技が光っていてすばらしい。

殺人事件はないが、涙を誘うものがあり、ラストシーンは心に重く残る。
表情だけで演技をしなければならない難しいところを、若村麻由美はなんとも言えない深刻さ、不幸をよく表していた。

男女の好き嫌いというものは、如何ともし難いものがあり、塩見三省演ずる田舎の電気店主である若村麻由美の夫役の涙は見ていても辛い。

人生の難しさは、好きになってはいけない人を好きになるという、理性だけではどうしようもないところがある。





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2013年07月15日

マウスで画面をクリックするんです

PCの講師に「マウスで画面をクリックするんです」と言われたら、マウスをモニター画面に直接接触させて何かをした人がいると聞きました。

このように、ズレるという人がいます。

この場合には笑い話に終わりましたが、問題はズレている認識がない人です。

お年寄りがこのデジタル時代に話がわからないので、ズレるということはありますが、そこそこの働き盛りの人がズレているのは問題があります。

いわゆる社会常識のない社会人には困ったものです。
特に、間違っているのを指摘されても直せない人。
理解できないのではなく、直そうとしない、あるいは意地を張る。

恐らく、言われて直すという素直さがないと、周囲の人も何も言わなくなるのでしょう。

情報過疎状態になって、その上、自分はなんでも知っている。自分が法律そのものと固まってしまうと、頭の中が変なROMのようになってしまうのではないかと思います。

■使い方を強制するパソコン

「パソコンは使い方を強制する」と不満を言っていた大学の先生がいました。

この先生の書いたものを読むと「昔はBASICをやれと言うのでやってみた。そうしたら、今度はDOS・・・」
と不満たらたら、結局何を言いたいのかというと、パソコンはいいものではないという否定の意見です。

この先生が視聴覚教育研究大会の講師に招かれたのですから、これも笑い話のようなものです。
呼ぶ方も呼ぶ方だと思います。

この先生のパソコンに対する不満は、結局、自分の挫折の歴史を披露しているようなものです。

私は、パソコンを使うのに、パソコンに対する不満を言う人に会ったことがありません。
製品そのものの品質に対する不満を聞いたことはあります。
例えば、買ってから半年ぐらいでしょうか、キーボードが壊れたのでメーカーに苦情を言ったら「キーボードはそんなものです。どこかの店で買ってください」言われたそうです。
(保証期間があるでしょうと言う人がいるかも知れませんが、保証は製造責任に対するもので、製品の瑕疵については適用されません)

パソコンの扱いに困った人からの相談の時は「自分の操作が間違っているだろう。自分の知識不足なのだろう」という謙虚な態度ばかりです。

「うまくいかないのは、自分に原因があるのだろう」

という姿勢です。

それに比べると、先ほどの大学の先生の態度は「うまくいかないのは、パソコンが悪い。オレが使いやすいパソコンを作らないのはけしからん」と言っているみたいです。

私は大学の先生が、みなこういう風だと言っているのではありません。
立派な先生も知っていますから。

とかく、一国一城の主になると、こうなりやすいのではないかと思うのです。

一国一城と言えば聞こえがいいですが、城は城でもボロい城では雨風もしのげないかもしれません。

小さなボロい城から天下に号令しても、どのくらい声が届くかです。





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2013年06月26日

理論〜実践〜検証

論文は次の3つが揃って説得力を持つものだと思います。

1.理論

2.実践

3.検証

いつも理屈をを言っているだけで実証しないと、単なる妄想と言われてもしかたがありません。

「この鍋は3分でご飯が炊けます」

と言ったところで、実演しなければ人々は納得しないでしょう。

そして、次には、なぜそうできるかという説明が必要です。

あの「ジャパネットなんとか」のコマーシャルもそうです。

オクターブ上がったような声で

「いいですか、みなさん、この◯◯は・・・・ができるんです」

とはじめて

「では、こちらをご覧ください」

と続いて実演が始まる。

そして

「いいですか、この◯◯が□□なのは、ここが△△となっているからです」

「こういう製品は、いいですかみなさん、ジャパネット・・・だけなんです」

と、論文の1、2、3が揃っている。

そういう私も、あの説得力のある話術に乗って◯コップを買ってしまいました。

先生も理屈を言う人がいますが、この説得力の1、2、3(ワンツースリー)をお願いしたものだと思います。

でないと、ホラ吹きとか妄想癖があると言われかねません。

というところで、私も今回の研究をワンツースリーで、概要をまとめてみたいと思います。

1.理論

(1)アップサンプリングの効果

16bit、44.1KHzのフォーマットでできている。
これを192KHzにアップサンプリングをすると、音質が改善されるはずである。
(ここまでは、すでに言われていることで、私の理論ではありません)

アップサンプリングの理論のイメージ図を次に示す。

upsamling.jpg


アップサンプリングは、デジタルのサンプリングポイントの間にサンプリングポイントを付け加えるもので、これを増やすことで、限りなく曲線に近づき、かつ連続したアナログデータに近似すると考えられる。
その効果により角のない滑らかな音になると予想される。

アップサンプリングをするにあたっては、WindowsよりLinuxが有利のはずである。
それは、音声信号を扱うソフトウエア、特にドライバーがLinuxの方が優れていると考えられるからである。

(2)ネットワークを使ったリモート・コントロール

Windows、Linux、Andoroid、それぞれのネットワーク機能を使えば、音楽用PC(サーバー)をリモートコントロールで再生できるはずである。

2.実践

CPUにCELERON、4GBytesRAM、4TBytesのPCを製作し、OSにLinux Studioをインストールし、ここにCDからリッピングした音楽データを格納し、これをTEAC UD-501というDACを通して、オーディオシステムに接続して再生してみた。

何度もOSのインストールをやり直し、最終的にUbuntu Studioに決定。
Linux内にMPDをインストールし、各種設定をした。
Linuxに付属のPulseAudioは働かないように無効化し、データがダイレクトにUD-501に渡るようにした。

Windowsとのネットワークを有効にするために、LinuxにSambaをインストールし各種設定をした。

リモート・コントロールするWindows側には、Gnome Music Player Clientをインストールした。

AndroidにはDroidMPDをインストールした。

3.検証

一応、目的を達することはできたが、そこまでには紆余曲折があった。

まず、参考文献の通りに実行するための環境が整わなかったこと。

はじめ、最新のUbuntu 13.04を使ったがものの、設定に間違いはなかったはずだが、音楽再生もネットワークも安定した動作をしなかった。

Ubuntu Studuoですべてうまく行ったが、それはUbutu Studioそのものがいいのかどうかは、まだ確証が得られていない。

DACのUD-501にはアップサンプリングのON、OFFのスイッチがあるが、ONの時の音質改善には歴然としたものがあった。

なんとなく、硬く、疲れやすい音質のCDの音が非常に聴きやすい音になり、かつ周波数レンジが広がった感じに聴こえた。

高音のきつさがなくなると予想していたが、低音がすごく改善されたのが不思議である。

ピアノやその他の打楽器の余韻が非常にきれいで、これは特筆ものである。

オーケストラでは演奏している部屋の響きがよく感じられる。
グランカッサ(大太鼓)の衝撃音は、演奏している場所にズシンと重く響き渡る感じが凄さを感じさせる。

ハチャトゥリアンの「剣の舞」を聴いてもうるさい感じはなく、楽器の音がきれいに分離して聴こえる。
それでいて、迫力がないということはない。つまるところ、生演奏に近くなったと感じる。

リモートコントロールも難なく成功した。
Androidにおいても、音楽メニューをタップした時のストレスはない。

このリモート・コントロールを利用すれば、行事などで、いちいちCDを取り替えたりしないで済むようになるので、この先利用が増える可能性を感じる。

LinuxAudioSystem.jpg






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2013年06月19日

できることから始める

ロッテリアに入ってみた。

普段、行かない店だが空腹だったので、たまにはいいかと思って入った。

セットものを注文して、席につくと、向こう側で誰か話し合いをしているようだ。

特に関心があったわけではないが、変だと思うようになった。

会話にしては、相手の話が聞こえない。

そっと立ち上がって見ると、なんと、話している人の相手は誰もいないのである。

ちょっとびっくりした。そして、また、あのサイコを思い出した。

サラリーマン風の人だったが、この人も何かストレスがあったのかもしれない。

ブログも似たようなことがあるのかも知れない。

相手がいないのだけど、仮想の相手に向かって書いているという。

まあ、それでも、それが精神の安定になっているというなら、ブログも意味があると言えるのだろう。

■自分にできることから始める

果たして誰が読んでいるのだろうか?というブログを書いているより、世のため人のため自分は何ができるのだろうかと考えた時、自分にできることから始めるのがいいだろうと思う。

ubuntu_guide.jpgでは、何ができるか?

通訳はまだ無理だ。

でも、街のゴミを拾うことはできる。

特に義務があるとも思われないが、道路の清掃をしている人をみかけることがある。

どういうわけかお年寄りが多い。

そういうお年寄りを見ると、頭が下がる。

お年寄りは黙々と何も言わず清掃をしているが、その行いにメッセージがあると思う。

だいたい、誰も読みそうもないブログを偉そうに書いても、誰に任命されたわけでもない勝手将軍が、前には一人も兵隊がいないのに号令をかけているようなものだ。

今日では、そういうのもストレス発散になっているのかも知れない。

しかし、そういうのは、誰かの役に立っているというものではない。

それに比べると、黙々と道路を清掃しているお年寄りの方が、はるかに格上という感じがする。

船頭はそんなにいらない。

ゴミを拾う人が増えたほうがよい。

もっとも、捨てないことの方がもっと大事だろうが。

ゴミを拾う、ツバメの糞を片付ける。すぐにできることだ。毎日でもできる。

■XPの期限が迫ってきた

WindowsXPのマイクロソフトのサポートが来年の4月9日で終了することは、すでに多くの人が知っていると思うが、みなさんどう対処するのだろうか?

Windows8への入れ替えは現実的ではないだろう。

もちろん、サポートが終了すると言っても、WindowsXPが使えなくなるわけではない。

いや、XPどころか、Windows95が動いている会社もあった。

ネットに繋がなければいいということだ。

サポート終了後もネットにつないだままにすると、ウィルスの格好の餌食になる恐れがある。

踏み台にされて、犯罪の犯人と間違えられる恐れがある。
事実、そういう事件がありました。

来年の4月9日を過ぎたら、WindowsXPはネットに繋げないことが大切です。

本日、来宅のお客さんから「XPのパソコンをある家電店で、引取つてくれるかという話をしましたら、百円で引き取りますと言われました」との話がありました。

私がLinuxで音楽を再生しているのを見て「XPのパソコンにLinux、入りますか?」と言われたので「そりゃ入るでしょう」と返事をした。

というわけで、今度、WindowsXPで動いていたパソコンをLinuxで蘇らせる話しになった。

これも、できることから始めるのひとつだろう。

WindowsXPはLinuxで再び活躍してください。





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2013年06月17日

自分にできること

私は最近、英語のクラブに入れてもらったと言いました。

その英語クラブに、昨日、外部から通訳の依頼がありました。

たくさんの通訳が必要だそうですが、残念ながら私は戦力になりません。

だから、お力になれないのが残念です。

他のことができたとしても、外人の中に入って仕事をするには、英語ぐらいはできないとと思っています。

一流企業を退職した人、大学で先生をやっていた人たちは、ペラペラです。

数カ国語ができる人もいます。

国際試合の審判員をやっている人などは、英語ができて当たり前です。

行くたびに、レベルの高い人たちだなあと感じます。

だから、自分が恥ずかしくなります。

みなさん、話し方も穏やかだし、謙虚です。

少し何かできると、プライドが高く見せつけたがりの人がいますが、やはり、少しだけできる人ではなく、よくできる人は穏やかなんだと感じました。

今日は5カ国以上を回ってきた人の報告がありました。

ここでの会話は基本的に英語となっていますが、今日の報告については、少しはわかりました。

しかし、最近話題になった乳がんの話についての聞き取りは、あまりわかりませんでした。

とにかく、英語ができないと、自分には何もできないような感じに包まれています。

学問に王道なしですから、すこしずつでも毎日やるしかありません。





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