2014年09月12日

間違いをただす勇気

朝日新聞の東電、従軍慰安婦に関する報道について当の朝日新聞はどう対応するのだろうと思っていました。

このほど、記者会見で社長が誤りを認め、進退についても明らかにしたことで、ホッとしました。
記事の内容はともかく、明らかに間違っていても、訂正しない人がいる中で、今回の朝日新聞の態度は、遅きに失したとの批判もありますが、報道機関としての信用をかろうじて保った感じがします。

誤った報道はよくないですが、社長の会見には好感を持ちました。

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2014年09月05日

死刑論議は思考力が問われる

最近、死刑が執行されたとの報道があった。
刑罰としての死刑に賛否を問うと、アンケートでは賛成が多いと報道されている。
しかし、これを持って世論が死刑に賛成していると考えるのは単純すぎる。

なぜ、死刑に賛成するのかを考えねばならない。
死刑とは国家による、合法的な殺人である。
こうみると、殺人に賛成の人がどのくらいいるだろう?

enzai_tukurareru.jpeg■何のための死刑か

死刑に賛成か反対かという聞き方は、AかBか二者択一せよという聞き方だ。
どちらかを選ばざるを得ないから、別れるのだろうが、人を殺すことに賛成だという人は少ないのではないかと、私は思う。

■歯止めとしての死刑

これも、私の思うところだが、死刑という極刑を設けるのは、人を殺すような罪を犯したら、自分は死刑になるかも知れないという恐れから、殺意を抱いても殺人を踏みとどまる効果をねらったものではないかと思うのである。

■死刑の問題点

裁判は人間による判定である。
人間である以上は判断にミスがないとは言えない。
人間はミスをするというのは、社会生活上の基本である。
これは、もちろん、ミスをしてもいいということではない。
万全の注意をしたとしても、ミスは免れないというのが人間、という考えである。

死刑の最大の問題点は、執行したあと、あの判決は誤りだったとわかっても、回復のしようがないということである。

■冤罪

死刑判決を受けたのに、再審で無罪になった人が、私が知る限り、4人はいる。

よく、人を殺したら死刑になって当然だという意見を聞く。
しかし、人を殺したということを誰が知っているのだろう?
これは、行った本人と、現場にいて目撃した人しかわからない。

裁判官は想像で判断しているだけである。
裁判官は神ではない。
私が呆れた考えに「裁判は真実を決めるところ」というのがあった。
真実を決められる人など、いるはずがない。

■冤罪を生む背景

なぜ冤罪が起こるのか?
それは、人間はミスをすることもあるからという単純なものではない。

司法は、戦後のGHQの改革が及ばなかったところと言われる。
これは、司法の世界には戦前からの思想が続いているということである。
その影響か大審院という明治時代に作られた機関の判例が、今も生きている。

裁判官が判決を下す時の根拠としては
1.証拠による判断
2.裁判官の心証による判断
がある。

これは法律であるが、問題は2の「どうあろうと、裁判官がそう思ったら思った通りに判決を出していい」ということである。
もっと平たく言えば、判決は裁判官の気分次第とも言える。

気分次第で死刑判決を出しても、裁判官にペナルティはない。
これを称して「やり得」と言われている。

有名な弁護士の著書を読んだところ
「トーストの焼け具合が悪いと、死刑判決が出やすい」
と言うのがあった。
この意味がおわかりだろうか?

■正義が勝つとは限らない

これも、有名な弁護士の言葉である。
「頭にきたから裁判だ」と言っても、正しいから勝つとは限らないということが書いてある。

■必要な証拠は作ってしまう

警察や検察は、犯人に仕立てるためには、必要な証拠は作ってしまうということである。
まさかと思う人もいただろうが、厚生労働省の役人の冤罪事件はフロッピーディスクの改ざんであった。
袴田事件では容疑者の履いていたとするズボンは、検察による捏造だったらしい。

こうしたことが起こるのは、検察が法の番人というより、検察もお役人だから出世志向だということである。
凶悪事件を解決したとか、地位の高い人を有罪にしたら手柄になり、出世の材料になるということである。

冤罪というが、証拠まで捏造して人を罪に陥れるのは、冤罪ではない。
国家による権力犯罪である。
そして、こういう捏造がバレたとしても、大したお咎めはない。
誤って死刑判決を出した裁判官に対してもペナルティはない。

このように人間のやることは、神から見たら欠陥が多い。
果たして、日本は民主国家と言えるのかとも思う。

教師たるもの、民主国家を作るためには、確かな思考力と深い知見を持たねばならない。

教師は国(文部科学省)のポチであってはならない。
それが、悲惨な軍事国家に戻らないための力でもある。


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2014年09月01日

老齢化すると上から目線になる?

年寄りのマナーが問題になっていた。
テレビでの討論である。

順番を待って並んでいるところに割り込む年寄り。
それを注意すると、逆ギレする。

インタビューを聞いていると、ある年寄りは
「1歳でも年下だと、どうしても上から目線でモノを言ってしまうんですね」
と言っていた。

■老齢化の問題

・身体の健康
どうしても、病気が多くなるようだが、血流が悪くなることから起こることが多いようだ。
特に、脳には細かい血管が集中しているため、血管内部の汚れで血流が悪くなる。
そのため、栄養素が届きにくくなると、脳内の海馬が死滅していくため認知症の引き金になる。
血管が脆いと、破れてくも膜下出血になる人がいる。

などなど、支障はいろいろあるが、結局、食生活のアンバランスは影響が大きい。
これは、個人の生活習慣に影響するところが大きいようだ。

・精神の健康

昔から知っている人の、よくない変化をあげてみる。

1.頑固になってきた
2.嫌味が多くなった
3.忘れっぽくなった
4.上から目線が多くなった
5.女性に触るようになった

こう見てくると、老齢化は一概に60才とか65才と区切れるものではなく、上記のような症状が出てきたら、老齢化とみることができるのかも知れない。

私は製薬会社の健康講演会のアトラクションに、しばしば呼ばれるので、何回も健康の講義を聞くことになり知らぬ間に健康の知識が増えた。

自分の歳も考えると、タイミングがいい。

マナーの問題は、昨今、年齢には関係ないように思う。

「今の若いものは」は死語ではないかと思う。


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2014年08月31日

日中友好

尖閣の問題が報道されるたび、日本、中国の関係は思わしくないと言われる。
中国政府の本音はわからないが、同じアジアの隣国として仲良くしたいと国民は願っているのではないか。

私はしばしば、演奏の企画に招かれそこで新たな知人ができてきた。
最近は、あるパーティで中国の人と知り合った。
それが縁で、昨日は日中の人々の食事会に招かれた。

音楽に国境はないということを再認識した。
話もはずんで、中国の方々は、日本人に対して悪い印象を持っているとは考えられなかった。

日本語の上手な中国女性から、夜来香(イエライシャン)を歌いたいので伴奏をしてほしいとの申し出があった。
それで、次回のパーティで演奏をする約束をした。

私の中国に関する知識は、紙によるものと伝聞でしかない。
以前、パソコンのことで少しお手伝いした中国人がいて、お礼にと自宅に招かれ手作りの餃子をごちそうになったことはあるが、この家庭は日本人の男性と中国人の女性との国際結婚であった。
その後、一緒にカラオケに行ったりもしたが、国民同士は違和感なく仲良くできると思った。

今回も演奏を通じて、交流を深め少しでも国民同士の有効が深まればと思っているが、これを機会にもっと中国を知りたいと思っている。

ところで、◯◯人と言うと、私がイメージを描く根拠がチャイコフスキーの「くるみ割り人形」に出てくる各国の踊り(もちろん「中国の踊り」もある)である。
チャイコフスキー自身は、どのようにしてイメージを持ったのだろう。
(この部分を聞くと、チャイコフスキーはおもしろい人だといつも思う)
チャイコフスキーの「中国の踊り」について、中国人はどのような感想を持つのか、私には興味がある。
いつか聞きたいと思っていたので、今度は聞いてみようと思う。




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2014年08月06日

自殺の報道を聞くと

今日は広島の原爆記念日、終戦記念日も近い。
この時期、過去の戦争を振り返るテレビも多くなる。

零戦がグラマンに負けるようになり、日本軍の劣勢が決定的になって行く。
それが、この話と、自殺の報道とどう関係があるのかということになるかもしれない。

零戦が負けだしたのは、グラマンの性能に劣るようにからであるが、それは技術的敗北と言うより、日米の考えかたの違いと言える。

零戦はとにかく勝つために、操縦士の安全は後回しになった。
グラマンの方は、まず操縦士を守ることから設計を始めた。
その結果、攻撃されると操縦士を守れない零戦は負けるようになった。

ここに、戦争を通じ、組織のため個人を犠牲にする日本と、個人を大切にし戦いに挑む米国との考えの違いが表面化した。

news_utagae.jpgこの伝統とも言える思想は、今もなお生きているのではないかと、私は考えるのである。
戦争中でなくても、多くの人は組織の中にあり、時に組織と個人の板挟みの中で苦しんでいる。
そういうことを、題材にした小説はたくあさんあり、フィクションという体裁をとっているが、モデルになった事件を想像することができたりする。
ドラマとしても放映され、社名が「ラッキード社」となれば、もとの事件が何であるかわかる人も多いだろう。

建前と本音が大きい世界では、矛盾を解消するために個人に詰め腹を切らされることがある。
すべて詰め腹を切らされた本人が、悪を背負ってあの世に行くのである。
マスコミの中立性が怪しいと、マスコミも含めてシナリオの中にあるから、マスコミを信じる大多数の国民は洗脳状態になる。

実際、ある人の自殺が経過を曲げられて、勝手なシナリオで発表された腹立たしい事実を知っている。
事実はすべて闇の中に葬られ、悪い奴がのうのうと生活している。

「君、奥さんと子どものことは引き受けるから」
というセリフがドラマでは出てきたりする。
作家としては、フィクションの形でノンフィクションを知らせたかったのだろう。

自殺の報道を聞くと、当事者が組織人で、特にそれ相当の地位にある場合「ニュースを疑え」が頭から離れない。

組織のために個人が犠牲になるというのは、日本人に流れている血なのだろうか?


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2014年07月31日

川内原発の影響

川内原発が事故を起こすと、日本全体が壊滅すると言っている人がいる。
原発の専門家でない私には、深いことはわからない。
だが、一般的な知識を持ってしても、この話には説得力がある。

川内原発は鹿児島県にあり、桜島にも近い。
桜島の噴火や地震によって影響を受けやすい位置にある。
もし、川内原発が破壊し放射能が漏れた場合、気流は台風の進路のように日本列島を縦断する。
これで、日本列島全体が放射能に汚染されるということなのだ。

原発の稼働は安全が先行して検討されなければならないものだが、どうも、稼働が既定路線でとにかくもろもろの手続きは儀式のようにプログラムが行われて、最後の決定は政治主導という感じがしてならない。

福島の事故でもまだ懲りないのかという気がする。
相当な被害を出しながら、住民の保障や後始末に多額の費用がかかっているのに、原発は安いと言っているのは、どういう計算をしているのか。

原発推進に熱心な人、学者たちはどこに住んでいるのだろう。
私の考えでは、原発1基につき少なくとも、一人の可動監視員の住居を置き、ここへ稼働に熱心な学者を配置したらと思う。

昔から、著名な学者、例えば湯川秀樹博士らは、原発に反対だった。
しかし、政治主導で決定され現在に至っている。


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2014年07月27日

はじめに「稼働ありき」だからおかしくなる〜原発

はじめに「結論ありき」で進める論法が悪いわけではない。
数学に背理法という証明方法があるから。
しかし、背理法は「証明すべき命題の仮定の外に,結論の否定をも仮定して推論を行い,矛盾を導くことにより,もとの命題を証明する方法」であるから、そこのところを注意すべきである。

■科学者と言えども「金の力」に心を動かされる人はいるだろう

原発の討論を聞いていると、つくづく「金の力」「利権」の背景を感じてしまう。
学歴や地位の高い人は、社会的に影響力が大きかったり、政治に利用されやすい力が働くだろうから、いくら頭が良くても、正義感がない人は国民の味方にはなり得ないだろう。

例えば「電力が不足すると日本経済に与える打撃が大きい、だから原発の稼働は必要だ」と主張する人がいる。
これは「腹が減ったら餓死するかも知れない、だから毒饅頭(どくまんじゅう)は必要だ」と言っているようなものだ。

誰も餓死したいと思う人はいないだろう。だからと言って「毒饅頭を食べろ」と言われたら、無条件に「はい」と言って食べるだろうか?

必ず「他に食べるものはないか?」と聞くに違いない。

しかし、毒饅頭しか食べるものはないようなことを言う人がいる。
それで、まじめな国民は「毒に当たらないことを祈って食べなきゃならんのか?」と考える人もいる。
子どもだけには、毒のないものをと考える親もいるだろう。
ところが、ある時、食べ物は毒饅頭しかないと言っていた人の家を、偶然訪ねた時「すきやき」食べているのを見てしまったとしたらどうだろう。
変に思って、さらに調べると、この人たちは別の人たちから「国民に毒饅頭を食べるように勧めることで、多額のお金がもらえることになっていた」と知ったらどうだろう?
これは、今、話題になっている中国の食材問題とどれほど違うのだろう。

■自分は毒饅頭を食わない

ある中国人に聞いたら、中国国内で作っている食材は買わないと言ったそうだ。
これは、毒饅頭だけが食物ではないと知っているからだ。

原発稼働を推進する人たちは「世界一厳しい安全基準に合格した原発」と言いながら、自分たちは絶対に原発のある地域には住まない。
それは、毒饅頭を食べ続けていたら、いつか毒にあたって死んでしまうことを知っているように、いつか原発事故はあるし、そうしたら助からないことを知っているからだ。
つまり、自分は原発事故の犠牲にならないところに住む、ことを前提にして議論しているのだ。

日本の学歴偏重は、このように自分さえよければいいという学者をたくさん排出してきたようだ。
これで、道徳教育の充実が達成されるのだろうか?

■国民のための発言をしても一円にもならない

原稿用紙1枚程度、言うとおりに書いたら五百万円いただけるという人がいたらしい。
五百万円の支出は、料金の値上げで対処するだけだから、出す方は痛くも痒くもない。

家の近くに宝くじ売り場があります。一等六億円だそうです。
時々通りかかると、買う人の列ができています。

でも、誰それの言うように書いたり、発言するだけで、宝くじの賞金を上回るお金が手に入る人たちもいます。
でも、言うようにならない人もいます。その人たちは一円も得られません。
大した人たちだと思います。

そういう私も、六億円を目の前に出されたら、何だって証言するかも知れません。
だって、それだけあれば、被害に遭わない国外に脱出して安全に暮らせますから。

「男の顔は履歴書」と言いました。
テレビの討論会では、話だけでなく顔もよく見ましょう。


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2014年06月11日

自分のことは自分でする

ファイナンシャルプランナーの仕事に、ライフプランを作るというものがある。
ライフプランとは人生設計で、経済面、つまり一生の資金計画である。

中年以降の人の話では、旦那が定年を迎えたら離婚したいと考えている女性は多い。
理由は「旦那のおもりはもう嫌になった」というものだ。

中年以降の女性は、旦那をおもりしていると考えているのだ。
そして、旦那のおもりから開放されて、自由な生き方を求めているのだ。
若いころは「あつい仲ですね」と言われた夫婦がこうなるとは、不思議な気もする。

サラリーマン男性の典型的な働き方としては、中年ではそこそこの役職に就いて、体を動かすことが少なくなるせいか、メタボ体型になってくる人もいる。
職場では机に座っていることが多くなり、帰宅すれば奥さんが着替えさせてくれ、座ればお茶が出てくる。
食事も定刻には目の前には並ぶ。

こういう生活がすっかり身についてしまった人は、気がついてみれば、何一つ自分のことができなくなっている。
日常生活の何でもやってくれる奥さんが、たまに外出すると、一日中何も食べずテーブルの前に座っていた旦那もいるそうだ。

奥さんにしてみれば、自分のことだけでなく、絶えず旦那の身の回りのことを気にしなければならない。
こうした生活に疲れを感じる奥さんがいて、自由になりたいという節目が旦那の定年ということになる。

法律の改定で、サラリーマンの奥さんは、離婚した時、旦那の年金が最高半額もらえることになった。
この法律の施行で、離婚願望の奥さんは増えたという統計がある。
しかし「必ず半額もらえる」と勘違いしていた人もいて、もらえるのは最高半額であるということを知って、離婚願望の奥さんは減ったという統計も出ている。


私の考えでは、自分のことは全部自分でするのが当たり前だと思っている。
二人で生活していて、そうしないのは「分業」になっているからで、旦那の身の回りのことは奥さんがすべきという決まりはない。
専業主婦であれば、生活費を旦那の世話になっている分、旦那の世話もするということだと思っている。

共稼ぎであれば、この構図は崩れるので、奥さんの不満もやむをえないと考えられる。
もっとも、中には旦那を愛しているので、旦那の世話をするのが幸せと考えている奥さんもいるかも知れないが、そういう旦那は誠に幸せな人生にあると言えよう。

いずれにしても、特に、男は一人になった時、日常の生活において、自分が生きていくための術に自信があるかどうか?
別な見方をすれば、多くの男は若い時は身を粉にして働いたとしても、中年頃から次第に、子どもに戻る生活をしていないか。
何もしなくなるから、使わない機能、つまり頭脳も退化し、料理もできない、いやもう挑戦する気もないとなって、ますます退化が加速するのではないか。
そのうえ、勘違いの言葉を吐くなら、嫌われること間違いなしだろう。

男は自分の食う料理ぐらいはやってみよう。
奥さんがいつまでもいるとは、限らないだろうから。


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2014年04月11日

憂鬱な人はパーティに呼びたくない

パーティをやるなら、明るく楽しくというのが、誰もが思うことだろう。

4月のこの時期は、会社は新入社員、学校も新人の先生と、年度の始めでパーティの多い時期。
2次会、3次会と続く場合もある。
一応、形式的にも全員を集めなければならないパーティもあるが、それ以上に一緒に集まりたいかどうか?
「呼びたくないな」と思われている人はどこに原因があるのだろうか?

いろいろあるだろうが、場の空気をまずくするというのも、原因の一つで、その場合、何がまずくするのかということを考えておくのもムダではないと思う。

なぜなら、敬遠されている関係では、密度の高い人間関係が築けないので、仕事も当然中身が薄くなるだろうと思うからだ。

こう考えてくると、自分も変人のうちではないかと思うので、愛想ばかりではなく、批判してくれる人は貴重な存在だと思っている。
初対面の人は、何らかの警戒心があるあるだろうが、慣れてきて「おもしろい人だ」と思われたら冗談も出てくるようになる。
子どもの場合、始めはすごく緊張しているが、おもしろいと思われたら、すごく遠慮がなくなる。
その落差は大きい。
でも、遠慮なく何かを言ってくる言葉の中に、率直な印象が入っていることが多いので、子どもの言葉は大切だと思う。

嫌われているからといって、悪い人とは限らない。
私の大学時代の経験だが、Kという電気の先生は評判がよくなかった。
あの先生につくと卒業できないと言われていた。
「何も教えてくれない」とも言われていた。
その上「ぼくの試験で70点取れないやつは、単位をやらない」と言っていた。

K先生の電気研究室は恐れられていた。
しかし、私は電気に興味を持っていたので、評判に関わらずK先生に教えを乞うことにした。
ところが、この先生がとても親切な先生で、質問すれば何でも答えて下さるという感じだった。
ただし、先生に何かしてもらおうという姿勢では、全く先生の方からは何もなかった。
だから、卒業論文も、先生にテーマをいただくのではなく、自分でテーマを考えろという風であった。
まさに「人は見かけによらない」であった。

だが、嫌われている臭いをいつも発しているような人もいる。
うまく言えないので、ネットで探していたら次のようなサイトがあった。
嫌味や皮肉を言う人たちは心のうちにコンプレックスを抱えており、相手より自分が優位に立っていないと不安でたまらないのです。自分に劣等感があるからこそ、相手をよりさげすんで自分の気持ちを安定させようとします。心の狭いかわいそうな人たちなのです。
ビジネス会話のきいろわビズ

こういう人は体質になっているのかも知れない。
こういう人だと、人は自然に避けるかも知れない。

若いころはそうではなかったが、だんだんそうなったという人もいる。
やはり、自然に交流がなくなってくるが、いろいろな情報を集めると、認知症(アルツハイマー)の可能性もあるらしい。

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2014年04月10日

STAP細胞をめぐる論議

このところ、連日のように報道されているSTAP細胞だが、果たして真実は?

私はマスコミの報道を鵜呑みにしていない。
というのは、取材から報道までの間には、いくつかの過程を経てきていると想像できるからだ。

記者の取材能力もあるだろうし、記者が報道したいと思ったことが、ストレートに報道されるとも思えないからだ。
また、報道というのは、意図的にある方向性を持って報道されるということもあるからだ。

別の言い方をすれば、報道の楽屋裏がわからない。
報道までに何らかの力が働いているかもしれない。

研究者は組織に所属しており、その組織の力関係、人間関係もチェックしなければ、無責任なコメントはできない。
要するに、間接的な情報だから何一つ断定できないということ。

一番問題にしなければならないのは、感情的なこと。
人は全く人間か関係がない人でも、テレビに映ったりすると、それだけで好ましい、好ましくないの感情を持つことがある。
好ましくないと思えば、あら探しをするかも知れない。
人は事実・真実に関係なく感情に支配されるのは、意外に大きいと、私は感じている。

コピペがどうのこうのと言う話も、例えば
導電現象で抵抗に流れる電流とそれによって発生する電位差に関する法則である。クーロンの法則とともに電気工学で最も重要な関係式の一つである。

となっている。
そこで、私はこの理論に従い・・・・・
と記述した場合、上記の
ここの部分
は、フリー百科事典「ウィキペディア」よりのコピペである。
これがいけない(不正)に当たるかどうかということである。

n_utagae.jpgある独自の理論を展開しようとするとき、既知の説明や論文をコピペしてきたらまずいかということである。
もっと簡単な例を出せば「三角形の内角の和は180度である」とどこかに書いてある部分をコピペしたきたらまずいかということ。

悪意のない」という言葉がしばしば出てきた。
悪意のないというのは、法律では感情的な意味を言うのではなく、明確に「知らなかった」という意味である。
「悪意」に対して「善意」も使われる。

まとめると「悪意の場合」というのは「知っていて」と同義。
「善意の場合」というのは「知らずに」と同義。

法律を勉強した人はすぐわかるが、売買契約において、買った土地があとで売主のものではないとわかった場合「善意の場合」は売買契約は有効。
「悪意の場合」は売買契約は無効となること学ぶ。
つまり、人のものを買った時、そのものが盗品であったとわかった時、買った人が盗品とは知らずに買ったら、買った人のものになるということ。

■悪魔の証明

過去に取り上げた「悪魔の証明」をまた思い出した。
「ある」という証明より「ない」という証明の方が難しい。
もし、STAP細胞の論議で「STAP細胞は存在しない」と言う人が出てきたら要注目。

※ 悪魔の証明

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特に、大々的なニュースにはならなかったが、私には腹立たしい思い出がある。
それは、日本でも有数な奏者が、その力を買われて大学教授に迎えられようとしていたとき、それを妬んだ人たちのいじめに遭い自殺に追い込まれたことだ。
その奏者は大した学歴はなく、まさしく実力で這い上がった人。
それを、学歴があって、次は自分が教授だろうと思っていた人の妬みにやられたわけだ。
妬んだ側は、追及を防ぐために「○○さんは教え子の女性に手を出して・・・」との噂を広めた。

間接的な報道や噂を信じて、勝手な妄想や論評をすれば、書いた本人の頭の悪さを証明することにもなりかねない。
STAP細胞論議が、魔女狩りにならないことを祈りたい。


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2014年02月23日

取引のセンス

私の親は小さな雑貨店をやっていました。
女手一つで、それこそ爪に火を灯すの諺がしっくりするような生活で、私を育ててくれました。
けちでろうそくを買わない、あるいはろうそくも買えないほど貧乏なため、ろうそくの代わりに爪に火をつけて灯りをともすことから。
「爪に火を点す」とも書く。
『尾張(大阪)いろはかるた』の一つ。
故事ことわざ辞典

吹けば飛ぶような田舎の店でしたが、そんな店でも強く心に残っている思い出があります。

金勘定が非常にきちんとしていた親で、締めの日はきちんと清算するために、食事も節約して問屋への支払いをするという親でした。

古い話ですが、日本はオイルショックでトイレットペーパーなど、雑貨があちこちの店でなくなるということがありました。
その困りようはしばしばニュースでも取り上げられました。

ところが、小さな私の店ではトイレットペーパーを切らすことがありませんでした。
問屋が
「今日、商品を持ってきた店は、あなたのところだけですからねえ」
と言っているのを聞いたことがあります。

学校もトイレットペーパーに困り、私は持っていったことがあります。

不思議な店だという評判が広がりました。

私もなぜうちの店がそうなのかわかりませんでしたが、ある時、それがわかりました。

お遣いで問屋に行った時、何のひょうしにその話を聞いたのかは忘れてしまいましたが

「あの店はいいぞ、こんなに勘定のきちんとしている店は珍しいという話をしていましてねえ・・・」

つまり、何かの会議で取引で、この店は大切にしようという話が出たということでした。

その話を聞いてから、私は「商売というのは大きさではないんだ」と知りました。
信用が大切だという、当たり前に普段言うような言葉の重みを知ったわけです。

勘定は1円でもきちんとする。
サービスはサービスであり、けじめをしっかりするということでもあります。

これは、先回の借りた100円返しますか?に通じるところがあります。
だから、私は100円を巡る嫌な思いと言うのがピンと来たわけです。

時々会食をする人たちは、元重役だったり海外勤務も多かった、いわばエリートが多いのですが、足りない100円を出した人は、お金持ちで他人にケチケチするような人ではないですが、多分嫌な気分になっただろうと思うのは、けじめのない態度に対してと想像しました。

他の人たちも、教養ある常識人ですから、その場にいて見た人はすぐにそのセンスを感じたわけです。

こういうセンスがわからない人にとっては「なんだ100円ぐらい」という感覚しかもてないのかも知れません。

大きいのは、このような付き合いの中で「あの人とはこれからもお付き合いしたい」とか「あの人はごめんだ」という感情が湧いてくるのだろうと思います。

日常生活の中で、こういった勉強のできるところはよくあります。

懇意にしているパソコンショップで、店員が客と話していましたが、客は何も買わずに帰りました。
客が店を出たあと、店員が怒っていました。
値段交渉の時、客が「消費税を負けろ」と頑張ったということです。
店員が、負けられませんと言うと、客は、消費税ぐらいわずかだからと頑張ったらしい。
店員は気分を悪くし、断ったわけです。

私は、モノを買うときにはそういう話はしません。
そこには、親が教えるというわけでもなく教えてくれた、昔の商売のことが頭にあるからです。
「いくらか安くはなりますか」
ということを言ったことはあります。

結局、消費税分より安くしてくれたことはよくあります。
その上、メーカーのサービス品もたくさんくれて、店員はニコニコしているということもありました。
店員としては「このお客さんとはこれからもお付き合いしたい」という意思が表れているのです。

ディーラーで車を買ったときも、先にいた客が値段交渉をしている時

「そこまでして売る車じゃありませんから」

と、聞こえてきたことがあります。
これは「お前には売りたくない」と言われているわけです。
そこまで安くできないということではなく「お前のような客はいらない」と言われているようなものです。

親のやっていた小さな店では、子どもが何かを買いにくると「ありがとう」と言って帰っていきました。
田舎では、親たちがそう躾けていたわけです。
つまり「売っていただいて、ありがとう」というわけです。

私もいつしか、その心が身につき売ってもらうときは「ありがとう」という感謝の気持ちが出てきます。
そのせいか、それは店員にも通じているんだと感じる時もあります。

売り手も気分がいいと、この客は大切にしようととして、結局安くしてしまうということもあるわけです。

人間同士、機械的なものの行き来だけでなく心の行き来もあるわけです。

だから、そういうセンスが理解できない人は、貧しいと感じてしまうのです。
金額ではなく、そういう貧しさがいやになるわけです。

お金はあっても、そういうセンスのない人が「成金(なりきん)」と言われるのでしょう。

センス【sense】
1 物事の感じや味わいを微妙な点まで悟る働き。感覚。また、それが具体的に表現されたもの。「文学的な―がある」「―のよくない服装」「バッティング―」
2 判断力。思慮。良識。「社会人としての―を問われる」
goo辞書

成金(なりきん)
成金とは元々将棋用語で『歩』が敵陣地に入ると『金』に成る(変わる)ことをいう("ときん"とも言う)。前方に一駒進むだけの『歩』が相手陣地に入った途端『王・玉』の次に重要とされる『金』に成る、そんな様から急に金持ちになるという意味でも使われるようになる。このような意味で江戸時代には既に使われている。成金は努力を積み重ねてお金持ちになったというより、宝クジなどで楽にお金を手に入れたというイメージが強い。このことから急にお金持ちになった人を侮蔑する意を含んで使われることが多い。成金は江戸時代から使われている言葉だが、株式市場が暴落〜高騰した1906年、鈴木五郎が株で儲けたことが話題となり、成金という言葉も広く普及した。
また、成金になる要因を頭につけた『土地成金』『自動車成金』『株成金』といった使い方や『成金趣味』『にわか成金』といった言葉もある。
日本語俗語辞書




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2014年01月31日

バカボン症候群

bakabon.jpg赤塚不二夫氏の「天才バカボン」に、テレビが故障した場面でお父さんが「テレビの中の小人が怠けているんだ」というところがあります。
笑いを誘う場面ですが、これが現代において、必ずしも笑えなくなって来ているという空気を感じています。

社会の進歩は、知能と知識の代行をもたらし、バカと利口の二極化が進むのではないかということを書いたことがあります。
その危惧が現実のものとなりつつあると、実感する場面に出会うことが多くなってきたのです。

社会の進歩を加速度的に早めた原動力は、コンピュータであり、今や生活のあらゆる場面に入り込み、その影響力は見方を変えればエイリアンの増殖のようにも思えます。

生活の中でコンピュータ(パソコン)を使わざるを得ない人が増えた結果、高度な知能・知識の塊をそれとは対極的に無知な人が使うという冗談にも似た社会ができつつあります。

「画面をマウスでクリックするんです」と言われた人が、マウスを掴んでモニター画面に接触させたなんて図はまだいい方かも知れません。

インターネットエクスプローラー(以下IEと略す)をクリックすると、Webサイトが見えるようになりますが、IEの中にYahooが入っていると思っている人がいます。
まあそれは勝手に思っていてもらうことにします。

「IEが二つも出てくる」

と文句の電話をかけてくる人がいます。

「二つも出てきて嫌です。IEを消してください。一つでいいです」

まるで、私がIEを二つインストールしたような口ぶりです。

原因は、本人がダブルクリックを二回やったためです。

嫌になるのは、うまく行かないと人のせいにするという性格です。

パソコンを新調し、初期設定ができないのでいろいろな人にお世話になった結果、世話になった人が運悪くみなバカボンのような人だったらしく、新品のパソコンがメチャクチャになっていました。

「これはリカバリーした方がいいですね」

「リカバリーって?」

「買った時の状態に戻すことです」

「わかりました」

「中のデータは全部消えますから、保存しておいてください。いいですか?」

「わかりました」

このように念を押した上で、リカバリーを行った。

翌日、電話がかかって来た。

「あの、私のメールどうしました?」

「だから、データは全部消えると言ったでしょう?」

「ひどいじゃないですか!」

「・・・・・」

思うようにならないと怒る。

誰かが、何かに書いていた、親切にめんどうを見ない方がいいと。
その後、わるいことは、全部「せい」にされるからだと。

また電話。

「あのー、私、ブログを書くのを楽しみにしていたんです。あれから、ブログを書くところに入れなくなっちゃったんです。NETCOM(プロバイダー)に戻してください」

個人が、パソコンの設定でプロバイダーを変更できるわけがない。
ブログが書けないのは、本人がIDやパスワードを間違えているからで、パソコンが新しくなったり、たとえプロバイダーが変更になったとしても、全く関係ないことだ。

これは一例だ。

データを送るように言われたら、送ってきたのはショートカットばかりだった。
アイコンを整列してくださいと言ったら、マウスで一つずつアイコンを移動させていた人。
エクセルで出欠管理をするのに、○や×の記号の小さな絵をマウスでセルの上に移動していた人。
(記号がセルからずれてしまうと文句を言っていた)

などなど、例を挙げるのに不足はない。

こういう珍現象をやっているだけならいい。
問題は誤りに対して素直でない人だ。
笑ってすますような人はいい人だ。

最近はわがままな人が多くなってきたような気がする。
間違いを指摘されると、逆ギレをする人とはつきあいたくない。

私はゲルマラジオを作ってきた年代だ。
パソコンも自分でプログラムを作らないと、使えなかった時代だ。

だから、否が応にも原理は学ばなければいけなかったし、それがいつしか中身を考えたり想像したりする習慣になった。
そういう人生がいいとは、他人対して言わないし、自分のやりかたを人に押しつけたり、出しゃばるののも嫌いだ。

だが、不安になるのは、ボタンを押すだけの人とメカニズムやICの設計に頭を使うような人と、世の中が二極化していいのかということだ。


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2014年01月29日

国民年金滞納者 強制徴収


議論を呼びそうなニュースだ。
マスコミはどういう論評を展開するだろうか?

年金積立は自分の将来のお金を積み立てているのではないというところが、銀行などで行う積立てとは違うところだ。

収める人と収めない人がいるというのは不公平ではあるが、一方では解決しなければならない問題もある。

年金積立を全くしないで、生活保護を受けた方が支給額がおおいという問題。
年金受給資格は25年必要だが、それに満たない人の積立金はどうなっている?

年金改革はこれまで何度か議論されたが、まだ決定的な改革はない。
社会保険庁のでたらめ経理が、政府が年金を管理することの信用を失ったと言えるのではないか?
あれほどのでたらめをやっておいて、関係者は処罰らしい処罰をされていない。

「国に鐘を預けていいのか」という不信感を払拭することもしないで、強制徴収だけするというのは、定稿もあるだろう。


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2014年01月26日

自由の鐘

マーチ王・スーザの曲に「自由の鐘」という行進曲がある。



「自由の鐘」は原語では「Liberty Bell 」であり、自由はfreedomではなく、libertyである。
自由を表す言葉は、英語ではこのように二種類あって、微妙に意味が違う。

日本語では「自由」しかないので、何でも自由で押し通してしまって、自由の履き違えが起こるのかも知れない。
何か論を主張するなら、言葉の意味を大切にすべきである。

意味を違えて意見を言うのは愚かであり、結局、自らの無知、学のなさを晒しているようなものである。
言葉の意味を違える原因に、自分で意味を勝手に作ってしまうということがある。
例えば非常に多いのが、折にふれて指摘する「個人主義」である。

恐らく、自分勝手を個人と結びつけて、短絡的に「個人主義」としてしまうのだろう。
自分の主張を重みのあるものにしたいのなら、辞書で確認すべきである。

さらに恥の上塗りをする人は、間違いを指摘されても訂正できない人である。
これは先生の免許があっても、先生としては失格である。

個人主義に関しては、過去の記事個人主義と利己主義を参照されたい。

ところで、呆れた事故調査委員会で書いたように、この顛末には怒りが収まらない。
息子を亡くした母親の心情を思い量ると、辛くて仕方がない。

どうも、ここに個人と団体の力関係を感じてしまうのは、私の思い過ごしだろうか?

薬害エイズの時もそうだった、当時の厚生省は明らかに、危険を知っていて個人を無視した。

戦前は、零戦とともに若者が命を断っていったが「国のために個人が死ぬ」というのは、日本の伝統なのか?
あるいは、民族の血筋なのか?

私が個人主義を批判したい人に言いたいのは、もっと日本人は個人主義を大切にしなければならないということだ。

裁判でも個人が組織を相手に戦うのは不利とよく言われる。
裁判は力関係ではなく、正しい者が勝つというふうでなければいけない。

個人主義を批判する人は「会社のためにあなたの息子さんは死んでください」と言われたら承知しますか?
いや、あなた自身、みんなのために死んでくださいと言われたら承知しますか?

それを跳ねのけるのが個人主義であり、かつ、他人という個人の尊厳をも尊重するのが個人主義の意味だと思うのですが。


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2014年01月25日

呆れた事故調査委員会

エレベーターで人が亡くなったという事故があった。
そこで、事故調査委員会が動くことになった。

問題はその事故調査委員会の報告である。

「現在は対策がとられているので、報告の必要はないと判断しました」

と発表し、終わり。

私は耳を疑った。

発表している人の顔を見て

「この人大丈夫?」

と思った。

発表者が委員長かどうかはわからないが、代表して発表するする以上、それなりの地位にあると思うが、これで給料もらっているの?と思ってしまった。
おそらく、学歴もあるのだろうが、この年寄りを見て「学歴はあてにならない」と思った。

学歴は過去の遺物と考えた方がいいという考えが、ますます強くなった。
発表者の顔が阿呆に見えた。

日本人は肩書きを重要視すると聞く。
だから、音楽コンクール○○位というものに重きをおくらしい。

ヨーロッパへ留学したある音楽家の話では、ヨーロッパではそういうことは通用しないと聞いた。
「今、どれだけ実力があるか」が重視されるらしい。

そういう話を聞くと、日本は「肩書き国」と言ってよいかもしれない。

話を元に戻す。

事故の調査とは、事故がどうして起こったのか、原因と事故の因果関係を調査するものである。
その後、どう対策がとられているかは関係ない。
こう書くと、たまに「対策は必要ないのか?」という頭の悪い人が登場したりするが、事故の調査は現在の対策がどうあるかを調べるものではない。

だいたい、事故がどうして起こったのか因果関係を調査して解明しなければ、その後の安全対策はとれないはずである。
それを「今は対策がとられているから」と発表するということは、何が原因で事故に至ったかを知っているということになる。
そうでなければ、対策は原因を踏まえない形式な対策でいいといことになる。
(これからは、原因解明の前に形式的対策をとればよいということになる。)
JR北海道の捏造には驚いたが、大同小異、結局同じ穴の狢(むじな)か?

「今は安全対策がとられている」と発表するなら「では、事故の原因は何だったのですか?」という疑問に答えなければならない。
記者も質問すべきである。

これでは、遺族が納得しないのも無理はない。

それにしても、あまりにばかばかしい発表を堂々としてほしくない。
こういうバカな報告をテレビのニュースで発表することほ、国民を舐めているかよほどバカにしているのだろう。
発表者は機械的に原稿を読むのではなく、自分が読もうとしている文章の意味を考えるべきだし、その意味もわからないひとは担当するべきではない。

人が死んだ事故の始末が「今は対策がとられているからよし」とは、ばかばかしすぎる。
一応、対策をしたという恰好をつければ、めでたしなのか?

原発対策がそういう言葉の遊びに終わらないことを、願うばかりである。

安倍さん、なんとか言わないと内閣の政治姿勢と思われても、仕方がないのではないでしょうか?



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2014年01月23日

ウソのウソ

本屋に近いので時々立ち寄るということはしばしば申し上げている。

昨日も立ち読みをした。
もう少し離れたところには大きな本屋があって、そこは立ち読みをする人のために、広いスペースがありゆったりしたソファーも置かれてていて環境がいい。
しかし、そこへはそんなに行かない。

ウソというのは、間違ったことを承知で真実のように言うことだと思う。
裁判用語では、悪意と言う言葉があって、これは「知っていて」という意味で、逆の「知らなかった」は善意と言う。

例えば、土地売買において、買った土地が売主のものでなかったと言うとき、売買契約が有効か無効かは、善意かか悪意かで判決が分かれる。
善意、つまり買い主が売主のものでなかったことを知らなかった場合は、売買契約は有効で、知っていて買った場合、つまり悪意の場合は無効になる。

他人の土地でも売ることができるので、登記をしておかないと知らぬ間に誰かに自分の土地を売られてしまう可能性もある。
買った人が、善意で買った場合は買った人のものになってしまうので注意が必要である。

さて「・・・のウソ」という本が目についたのだが、どうも、こういうタイトルをつける本は、保険の本が多いだ。
営業妨害にならないように、ずばりタイトルを明かすのはやめておく。

始めにも言ったように「ウソ」とある以上真実を語っていないと言うことになる。
しかし、別にウソを言っているわけではないので、ウソとは言えないのではないかと思った次第である。

どういうことかと言うと、簡単に言えば「保険のお世話になることはめったにないから、保険は必要ない」と書いてあるのだ。
例えば、医療保険、これは国民皆保険で公的な保険で間に合うと言うのだ。

年間でずいぶん保険料を払っていても、お世話になることは滅多にない。あったとしてもそんな多額のことは少ないだから保険料がもったいない。貯金しておいた方がいいという、またかという例の論法である。

しかし「滅多にない」とか「少ない」というところがミソである。
そもそも、保険というのは「滅多にない」「少ない」から成り立つのであって、よく起こる事象に保険商品を設定したら保険そのものが成り立たない。

毎月1000円程度の保険で、賠償金5千万円とか携行品損害30万円など保障がついているが、保険会社に1000円払った人がみな5千万円もらっていたら、保険会社の経営は成り立たない。

私は毎年8万円ぐらい自動車の保険料を払っているが、一度もこの保険のお世話になったことがない。
貯金していたらずいぶん貯まったと思うが、後悔はしていない。
まあ、将来を予測できる超能力者には保険は必要ないかも知れないが、私にはそういう能力はないのでこれからも保険料は払っていくつもりである。

専門家が書いたという以上、こんなことはわかりきっていると思うのだが、わかっていて、あえて真実を隠すのはウソである。
保険会社はウソを言っていない。
もし、私が自動車事故を起こして、賠償を求められたら保険会社は人身事故、物損事故ともに無制限の金額を払ってくれると言っている。
私はそれを信じている。

専門家が知らないわけはないからウソだと思うのだが、本当に知らないのなら善意としても、それなら無知ということになる。

それにしても、どうしてこういう本を出すのだろうと思う。
また、どういう人が買うのだろうと思う。


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2014年01月03日

子ども受難の時代

「粘る餅 似たような人生の繰り返し」

これは、少年院に収容されていた、ある少年の作った詞(うた)である。

少年院にいる子どもの多くは、家庭環境に恵まれなかった者たちである。
両親の問題、貧困の問題がほとんど。

何不自由なく育った人はピンと来ないだろうが、犯罪を表面的に捉えるだけでなく、背景に注目していただきたいと思う。

親による子どもの虐待。
離婚の増加は「子は鎹(かすがい)」が死語になっていることを示す。
シングルマザーの増加が、貧困に拍車をかけている。

女性の賃金は概して男性の賃金より安いので、生活は大変。
では、シングルファーザーの方はいいかと言うと、こちらも子育ての悩みが多い。

親の精神的なストレスが、子どもへの暴力にも及んでいる。

そういった悪い環境の中で育った子どもたちが、すべて犯罪者になるわけではないが、少年院や鑑別所を調べると実態がよくわかる。

家庭内暴力を受けている子どもの前で、お父さんお母さんを大切にと言うのはいかがなものか?

子どもは訴える力が弱いので、誰かが守ってやらなければならない。
親があてにならないなら、頼りは先生だろう。

担任は子どもの生活状況をよく把握しておく必要がある。
校長も担任との連携を深めて、実態把握に努める必要がある。

本年は立場の弱い子どもに、手を差し伸べられる年になってほしいと思う。


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2014年01月02日

運転手の老齢化

昨年末の宴会で、医者が「最近の軽自動車の多さを見ると、怖くて運転する気がなくなります」と言っていました。
軽自動車そのものが怖いわけではなく、軽自動車は高齢者が運転している割合が多いということです。

医者の彼が言うには、高齢者に認知症が増えているので、詰まるところは、認知症の運転手が増えていると想像されることです。
医者だから、認知症の運転手の怖さを感じるのでしょう。

高齢者の事故が多いということで、免許更新時には特別講習が課せられるようになりましたが、統計を見ると若年層の運転手の事故が多いということで、国は高齢者特別講習によって収入を増やそうとしているのではと怒っている人たちもいます。

その本音は私にはわかりませんが、警察の話によると運転技術は若い人の方が高いが、事故は多いといいます。
実際、自動車保険(任意保険)も21才未満はかなり高くなっています。

昨年、免許更新のことで驚いたことがあります。
なんと、7年以上も免許更新を忘れていた女性がいたことです。
この人はペーパードライバーではなく、運転は毎日する人です。

運転免許は1年を超えて更新を怠ると、完全に失効します。
(海外渡航など特別の事情が認められる場合は、3年まで猶予される場合があります)

■運転技術があれば運転してもよいか?

ところで、運転技術があれば免許証の必要はないと考える人はいるでしょうか?
今回の7年以上更新しなかった人は毎日運転していたので、運転は慣れたものです。
免許取りたての初心者より、運転技術は高いでしょう。

しかし、私の周りで「運転技術があれば、免許はいらない」とか「免許はなくても慣れた人の方がいい」という人は一人もいません。
というより、そんなことは考えたこともないという人がほとんどでしょう。

免許制度は自動車運転以外にもたくさんあります。
何のために免許制度があるかと言うと、技術や知識の水準があるレベル以上にないと、他人に害を与える恐れのあるものに定められたものと思います。
だから、免許制度の大切さは誰にも理解できるものと思います。

過去に小学校三年生が、父親の自動車を運転していたという事件がありました。
このような小学生にも免許の必要性は理解できると思います。

しかし、まれにも「(運転が)できれば、うまければ、いいじゃない」という者がいるかもしれません。
小学校低学年程度では、そういう素朴な考えを持つ者もいるかもしれません。

ここで、思い出すのは、小学校低学年向けの「猫とネズミ」という劇です。
来る日も来る日も、猫の脅威に怯えていたネズミたちが会議をして、猫の脅威から身を守る相談をするという劇です。
あるネズミが
「それなら、猫が来たらわかるように、猫の首に鈴をつければいい」
と言います。
一同、それは名案だと納得しますが、今度は別のネズミが
「ところで、その鈴を誰がつけるんだい?」
と言います。
そう言っている時に、猫が来たという誰かの声でみんな逃げ出す。
というところで、劇は終わります。

この劇は、大切な知恵を小学校低学年にもわかりやすく教えるものとして優れています。
私自身も小学生の時、この劇を見て強い印象を受けた覚えがあります。

この劇には、免許制度という決まりの大切さと合理性を教えるヒントがあります。

一般社会人には身についているものでしょうが、もし「レベルさえあれば、うまければ免許は必要ない」という人がいるとしたら、思考に大きな欠陥があると言えます。

一応解説すると。

「運転技術さえあれば、免許は必要ない」

というのは「猫に誰が鈴をつけるんだい?」と同様「運転技術があるというのは、誰が判断するんだい?」ということになります。
つまり、これが「リアリティがない」ということです。
どう実施するか具体的場面までイメージが浮かばないということでしょう。
恐らく、日頃の生活で実践がないのかも知れません。

もし判断する人は「誰でもよい」ということになれば、各個人が判断すればよいということになります。
そうではなく、判断する人を特別に選ぶということであれば・・・あとは言うまでもありません。

■認知症運転手の対策を

医者が言った認知症の運転手の危険性はこれから、もっと問題になるように思います。

認知症かどうかわかりませんが、私が運転していて、気になるのはウインカーを出さない人が多くなったと思うことです。
運転手を見ると、10人中10人がお年寄りのようです。
停車する時、合図を出さない人もいます。
ひどい人は、ウインカーを出す方向と曲がる方向が反対の人もいます。


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2014年01月01日

リアリティーのある記事を

明けましておめでとうございます。

昨年は妄想記事に迷惑をしました。
普通に話のできない人とはコミュニケーションは取れないと思っていますので、そういう人とは一切関わりを持たないことにしました。
少しでも関わりを持つと、どんな因縁をつけられるかわからないからです。
それで、そういう人とは少なくとも1年以上は関わっていません。

しかしながら、自分にとって都合の悪いことはすべて、私が行っているとの妄想による決めつけがありました。
呆れるのは、自分のパソコンがおかしくなったのも、私の遠隔操作によるものとしていたことです。
何が書かれていても、一切無視を通していましたが、そのうち、私の名前をネット上に公開しだしたので、これは放置できないと思い、当該の記事作成者の学校へ管理責任を問うべき通報をしました。
それから、そのブログサイトはあとかたもなく消滅しました。

おそらく、学校当局の調査と指導があったものと思います。
しかし、学校当局からの返事が「これは、個人的な問題で、学校としては全く関係ありません」というもので、責任追及を回避しようとの意図が強く感じられました。

ここで、学校の先生でブログに投稿している人が気をつけるべきこととして、いくら個人投稿であっても所属している団体の管理責任も免れないということです。
また、投稿している本人の評価も、先生として、一般社会人、保護者の人たちからされているということです。

かつて、私のホームページのコメント欄に不適切な文章を書いた人がいましたが、その本人の勤務している会社に通報したところ「会社の就業規則に照らし処分をします」との返事があり、その後、その人はクビになったということがありました。
企業イメージにも関わることですから、きちんとした会社ほど厳しいようです。

前述の件では、本人のブログが完全に消滅していることから、今は閲覧ができませんが、私の方では証拠としてほとんど保存しています。
コメント欄は不適切なものは削除するなどの方法が取れますが、私は「不適切さ」を証拠として残すため削除していません。
加担者の不適切な(私が加害者と決めつけるなど)ブログやコメントも保存しています。

自分に対して、批判、非難などがあった場合、それが複数の人のものからかどうかは、常識と冷静な判断力があればわかりそうなものですが、思い込みが強く、何の根拠もなく自分の思いたいように妄想して決めつける性格の人は、忠告も耳に入らないようです。

念頭にあたり、昨年を振り返り、本年はブログ村の健全な発展を期待して一言、述べさせて頂きました。


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2013年12月07日

もったいない時代

私が、パソコンを組み立てたり、電気製品の修理をしているせいか、壊れたものをよかったら持って行ってくれという人がいる。

パソコンの場合は壊れていなくても、古いからということで、注文を受けることもある。
すると、古いものはやはり、持って行ってくれると助かると言われるので、持ち帰ってメンテナンスをして、パソコンをそんなには買えないと言う人にあげたりする。

そんなわけで、我が家はガラクタが増えてしまうが、ケーブルやアダプターのようなちょっとしたものでも必要な時は買わなければならないということがあるので、ストックしている。

古いものの活用で大切なことは、製品をよく知っているということだ。
たとえば、型番だけでピンとくるようにである。
部品も見ただけでどこに使うものかがわからなければいけない。
ジャンク品は使わなければ、それこそゴミだが、どこかに使われたら再び命を吹き込まれたようなものである。

時にはオークションも利用する。
あえて故障品を落札する場合もある。
故障品の方が安いからだ。

最近、あるところで、やはり、片付けたいので持って行ってくれたアンプを玄関に積んでおいたのを思い出し、再生をを試みた。

tx-sa600.JPG


ところが、どこも悪くない新品に近いものだった。
これは廃品回収業者のところにあったものだが、ある人がいくつかそこからもらってきたものの1台である。
始めの所有者はどういう事情で放出したのか、わからないが、どこも悪くない完璧な製品であった。
こういうものを手に入れたのははじめての経験である。

想像するに、扱いが複雑なものだったので、稼働させることができず故障と思ったのかも知れない。
使ってみると、なかなかいい音がするので、今まで使っていたアンプと交換して自分で使うことにした。

tx_sa600_rear_144.jpg


近頃、空気清浄機も普及したが、1年も使うとフィルターの交感やメンテナンスがめんどうということで、新品を買ってしまうと言う人もいるらしい。

買った方が、メーカーとしてはありがたいのだろうが、資源のない日本としてはもったいないと思う。
再利用を考えることを推し進めることも必要だ。


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posted by edlwiss at 23:50 | Comment(3) | TrackBack(0) | 社会時評

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