たいていの試験は「出る問題が決まっている」と言ってよい。
範囲はあるが、その範囲の中のどれかが出るわけである。
だから、試験対策としては、試験範囲外は試験勉強はしない(あえて「勉強」とは言わず「試験勉強」と言う)、言い方を変えれば「出る問題しか」やらないということである。
これが、受験勉強の効率的対策の基本である。
合格率が最も低いと言われる司法試験も、予備校では徹底して「出る問題しか勉強しない」方法をとっている。
法律の世界は、法廷で検事と裁判官が言い合いをし、その判断を裁判官が行い、最も筋の通った考えが採用され、もっぱら論理的思考の要求される世界と思う人多いかも知れないが、実際はそうではない。
それは、司法試験の講座を受講してみるとよくわかる。
講師は、どうしてこのような判決が出されたのかという解釈を説明するが、それはほどぼどにし「実は、裁判官はこのような判決を出したかったから、判決を決めておいて、後でそれに合うように理屈をつけているのです」と説明する。
これは、司法界を批判しているのでも何でもない。
予備校は合格実績と効率が大切だから、合格の最短距離を指導しているのである。
そういうシステムはよくないとか、司法改革に向けてとか、それは確かに大切なことではあるが、そんなことをやっているヒマはない。
合格をしたいのなら、現行制度のもとで最も効率のよいやり方をするのがよいのである。
司法試験に限らず他の試験についても、同じようなことが言える。
人としては、自分なりの考えを持ちそれを発展させていくことは大切なことである。
しかし、受験体制のもとではそれらは効率を悪くする。
だから「合格したい」のなら、徹底して「どう回答したら点に結びつくのか」のみを考えて対策をするのがよいのだ。
これは、戦後、経済第一主義を掲げて進んできた今日の社会に似ている。
効率一辺倒で、優良な工業製品を作り出して、日本製品は世界を席巻した。
これで得たものは何だろう?
世界第二位の経済大国。
それで、皆は満足だろうか?
我々日本国民は経済大国を目的に、それに結びつかないあらゆることを捨てて、進んできてよかったのだろうか?
我々は何のために生きているのか?
受験勉強の勝者になることが目的なのか?
私は受験戦争の勝者がいけないと言っているのではない。
自分の人生を、ほとんど受験目的のように費やす生活がもたらすものは、合格の一瞬の喜びだけで終わってしまうと思うのだ。
日本の工業製品は優秀だが、おもしろくない物が多い。
それは、性能一辺倒で無駄のない物を作ってきた結果だ。
もっとはっきり言うと「人間性」をそぎ落としてきたのだ。
だから、日本はお金持ちでも、国民は豊かさ、楽しさを実感できていない。
点を取らなければ合格はできないが、点取りのみの人生では、将来、豊かな楽しい人生は待っていないと思うのである。
人の一生を眺めたとき、その年齢でやっておかなければ、後になってできないことがある。
特に青春時代は大切である。
高校の時、ある先生が何かに書いていた。
「外国語ひとつと、楽器が何か一つ弾けるようにしておくといい」と。
これは、そういう意味ではいい言葉だったと思う。
教師は、点取りに埋没せず、生徒たちに何か人間的な影響を与える人であってほしいと思う。
