BASICとはBeginner's All-purpose Symbolic Instruction Codeということで、初心者にもなじみやすい言語ということだった。
それでも、多くの人が落伍し、落伍した人の中からは「そんなものは必要ないのだ」という理由づけの言葉がよく聞かれた。
何のことはない、要するに「負け犬の遠吠え」みたいなものだったと言える。

私はパソコンをそろえるために、けっこうな借金をしてしまったので、貧乏暮らしに耐えて私を育ててくれた伯母のことを思うと、そう簡単に挫折するわけにはいかなかった。
挫折した人の中には100万円ぐらいの金ならあきらめることができるお金持ちか、親に買ってもらったような人が多かったのではないかと思う。
要するに、学ぶには身銭を切らないとダメという実感を私は持った。
その後、エクセルなどのアプリケーションが一般に出回ったり、ソフトウエア会社がいろいろアプリケーションを発売するようになると、自分でプログラミングまでしてパソコンを使わなくでも、便利なアプリケーションを探してそれらを利用した方がよいという考えが主流になった。
こういう理由はプログラミングの挫折組みにとっては都合のよい言い訳になったようだ。
■それでもプログラミングを勧める理由
私は一応プログラムを作るようにはなったのだが、その結果一番よかったと思ったのは、プログラミングの技術が身についたことではない。
それは、プログラミングの勉強をすることによって、人間がいかにすばらしい能力を持っているかということを実感したことだ。
これは、教師としては大きな収穫だったと思う。
親がわが子の勉強のめんどうをみてやるとき、しばしば「どうしてこんなことがわからないの」という言葉が発せられ、子どもは泣き出すなんて場面がある。
わからないことを、どう教えるのかが指導技術であり、指導技術のない場合「どうして、こんな簡単なことがわからないの?」という罵声で終わってしまう。
教師がこんな風ではプロの教師とは言えない。
私がプログラミングを勧める理由は、教師がプロ教師としての誇りが持てるようになるためでもある。
■すべての子どもが利口に見える
プログラミングをやりだすと、本当に人間というのはすばらしい脳を持っているんだと感じる。
300人の生徒に試験をやらせて、順位をつければビリは300番であるが、そこへコンピュータを入れたら、間違いなく301番である。
なぜかというと、たとえば、1、2、3、4、5というそれぞれの数字を書いたカードをランダムに並べて「大きな順に並べなさい」と言えば、学齢期に達した子どもならいとも簡単にやってしまうであろう。
ところが、どんなに立派なコンピュータであっても、こんな簡単なことができない。
それは、コンピュータは「大きい順に並べるという方法」を教わっていないからである。
大きい順に並べる、または小さい順に並べるというのは、プログラミングの入門段階でで出てくる問題で、こういうことを実行させる(する)ことを「ソート」と言っている。
コンピュータにソートをさせるには、ソートの方法を教えなければならない。
では、いったい、どのようにしてこれをコンピュータに教えるのかということが、プログラミングの要であって、いろいろな問題をどのように解決するかという、すなわち問題解決の方法をアルゴリズムと言っている。
コンピュータに仕事をさせるには、コンピュータに教える立場の人間がアルゴリズムを知らなければならない。
「こんな簡単なこともできないのか」と感じるのがコンピュータである。
教えられていないこと、つまりアルゴリズムが教えられていないコンピュータは何もできない。粗大ゴミである。
これに対して、人間は生まれてから、日に日に自力で学習し賢くなる。
だから、教えてもいないことを解決してしまう場面を見ることがある。
何もかも教えてやらなければ、何もできないコンピュータを教育する経験をすることで、どんなに劣等生と思っていた子どもが、実はすばらしい能力を持っているのだということに気づく。
そして、そういう子どもをレベルアップできないのは、教えている自分が悪いのだと実感を持つ。
少なくとも、私はそう感じてきた。
■思考回路が正しく矯正される
私はしばしば、子どもに「もしかして無理強いをしていないか」とか「理不尽なことを言っていないか」と振り返ることがある。
それも、プログラミングの経験を通して感じるようになったことである。
それは、これで間違いなくプログラムのコードが書けたと思って走らせてみると「エラー」が出て停止してしまう。
「そんなバカな」と思って見直す。時に、コンピュータがおかしいのではないかと本当に思ったりする。
しかし、まずコンピュータの方がおかしいということは、限りなく100パーセント近くあり得ない。
自分はおかしくないと思うのだが、エラーではじかれて頭にくるなんて経験を何百回もすることがある。
こういう経験をすると、人と対するときも「もしかしたら、自分が間違っていないか?」という考え方をするようになる。
実際、中学生の生活指導で、問題の場面に遭遇したとき生徒を注意するのだが、生徒の方が納得しないと「そうか、先生はそう思うんだが、一日考えてみるから君も考えてみてほしい」と言うと、翌日、生徒がやってきて「先生、自分が悪いと思いました」という経験をよくした。
たとえ、自分の指導が正しかったとしても、生徒の心情を考えると「もうすこし○○してやればよかったな」などと考えるようになったように思う。
■年数を経て錆びつかないためにも
「初心忘るべからず」ということばがあるが、教師もある程度年数が経つと、良い意味での緊張感がなくなり新鮮味がなくなることもある。
こういう状態は「錆びた」というイメージと似ている。
錆びた教師は生徒からみても魅力がないのではないか?
ピカピカの自転車がうれしいように、教師もいつもピカピカの状態を保つためにも、思考訓練としてのプログラミングを教師に勧めたい。






早速、貴方のこのブログを私の関係者に教えます。
コンピュータ、音楽、教育、日本語などの学習に共通点があるのでしょうね。
そうでなければ、貴方の時間が足らないはずです。
暑い季節です。ご自愛ください。
いつもありがとうございます。
現役の教師にもプログラミングは経験してほしいと思いますが、中高生も受験に縛られて余裕のないない生活をしていないで、プログラミングをやるぐらいの幅のある子どもがたくさん出てほしいと思っています。
もしかしたら、受験以外のことをやることによって、受験だってなんなく突破するようになるかも知れないとさえ思います。